猫と遺灰

夏乃 葉

初話 夏の足音

からからと喉が乾く。身体中に虫がつく。誠に不快な季節である。街頭に連なる木々では蝉が競ってわたくしを苦しめ、白く燃える太陽とまるで役立たずなぬるい風が徒党を組んで大暴れしている。なによりも喉の乾きが酷い為、千代ちよさんによく冷えたミルクを請おうと思いたち、てとてと台所へ歩を進めた。その途端、何者かが私の胴を掴み、そのまま高く持ち上げたと思えば、何やら魚の腹よりも少し柔らかい何物かの上に仰向けにされた。身体から放たれる重力が全くそこに落ち着くような包容である。否、千代さんであった。私はだらしなく腹を晒し、おまけにくたびれ顔で頼りない呼吸をしていた。

「あら、猫も暑い時はべろを出すのね。可愛らしいわ」

千代さんが蕾のようにチロっと笑う。

「・・・ミャゥ」

暑さにやられて返答までだらしない。

人間の雌はどうにも乳が大きくなるらしく、そのまま台所へ乗せてもらい、よく冷えた甘いミルクを頂いた。台所は風通しが良く木陰の中に隠れている為、かかる季節においても爽然として心地良い。

先程までのもやもやとした頭の熱がすうっと鼻腔を通り出ていくようだ。

外で甲斐甲斐しく鳴いている蝉も少し鎮まったように感じる。



千代さんと言うのはこの家の奥方であり、私が生まれて間もない四年前、この家に嫁いできたと聞く。猫の私が言うのもはばかられるが、とても気立てが良く優しい性格をしていて、若々しくも挙措穏やかな女性である。餌も美味しい。そこいらを散歩をしていると千代さんの話を耳にすることがよくある。

なにやら、美人だとか。

そんなことを思い出し私の眼前でしゃがんでいる千代さんの顔をまじまじ見てみるが、やはり人間の顔はどれも似たような様である。当の千代さんは不思議そうに見返してくるが、然程気にした風もなく顔をほころばせた。



斜陽が八畳間の半ば辺りまでを侵食し、私はいよいよ昼寝さえ能わず左右往生していた。まったくけしからん季節だ。

ようやく縁側の隅に僅かな日陰を見つけてはまどろんでいたものの、にわかに塀の向こうから、騒がしい足音と甲高い声が複数聞こえてきた。のみならず、その騒音の塊は次第に私の元へ近づいてきた。

この時間になると近所の稚児供がこぞって島崎家の庭に集まる。この私を抱き上げ、撫で回し、いい遊び道具にするのだ。

今日も変わらずの盛況な扱いであった。私がニャーニャー文句を言うとさらに拍車がかかる。いかん、またしても喉がからからだ。我ながら呆れてしまう。暫くすると、皆満足げに庭から出ていった。

まったく勝手なものだと辟易していると、千代さんがまあまあと何やらニコニコして、水に濡らした布巾を持ってきてくれた。冷涼な布巾に包まると思わず安堵のため息がこぼれる。猫だってため息はでるのだ。

私は千代さんの太股の上で今日幾度目かのまどろみを得た。




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