2人のマリ〜平和な殺人の放課後〜

hatha

第1話

放課後の夕方。

校庭で響く運動部の掛け声がかすかに聞こえる、旧校舎の一室。

もとは教室で、いまはミス研の部室として使われているこの場所で、私、坂本真珠(さかもと まり)と友人にしてミス研の部長である雨宮真理(あまみや まり)は精力的に活動を展開していた。

ミス研の活動内容は、ちょっと広すぎるこの部室にあつまって、お昼を食べる時みたいにくっつけられた机で向かい合い、本を読んだりお話をしたりするのである。部員は私たち二人しかいない。

いつものように西日でオレンジ色に染まったページを閉じ、私は顔を上げる。

机の向こうでは、雨宮真理が読書に没頭していた。

彼女が読んでいるのは異様に厚い文庫本だった。それを白くほっそりした、しかし大きな手が包み込んでいる。黒くかがやく瞳がすばやく文字を追いかけ、白く小さな顔がページの移動に合わせて動くと、艶やかな黒髪がさらさらと肩を流れた。

真理は文句のつけようがない美人だった。

私が読んでいるのは同じく文庫本で、彼女のと比べると厚さが二倍近くちがう。厚ければいいってわけじゃないが、真理はそういうのが好きだった。私は彼女を部長とは呼んでいない。本人がなんだか知らないけど嫌がるからだ。

読んでいた本の文量から当然、私が先に読み終わっていた。

「今回のはハズレだったなあ」

ポツリと一言、口から漏れ出た。私が読み終えたミステリーは、自分の好みとは違っていた。

人が死ななかった。

私はそこに味気なさを感じてしまったのだ。

女子高生のくせにずいぶん歪んだ嗜好だと、自分でも思う。でもこれは好き嫌いだからしょうがないのだ。

私の短すぎる感想を聞いて、真理がページから視線を上げた。目を細めて、楽しそうに私を見おろしてくる。彼女の身長は 170以上あって、150に満たない私とは頭の位置がひとつ分ちがう。

私は彼女の視線に思わず肩をすくめる。蛇に睨まれたカエルのように。それほど、私は真理と容姿の差を感じていた。

ただ、彼女も性格や感性は私と一緒で、まともではない。

高校時代という青春。それを謳歌するのに重要な時期である一年次を、ミステリーで徹底的に読み倒そうという奇特な輩だ。

私は彼女のことを同じ穴のムジナだと思っている。それ故に、分かち難いつながりを感じてもいた。

「真珠(まり)が好きなのは、猟奇殺人だからなぁ」

「うん。そうだけど、トリックももちろん大事だよ。両方の要素がうまく絡んでなきゃ。猟奇的なトリック、ていうのかなあ」

「猟奇的なトリック」

真理は私の言葉を反芻した。

「なにか、トリックを思いついたの?」

気負いも忘れて、目を輝かせる私に、彼女はふふふと短く笑う。

ぶ厚い文庫本を閉じて、

「しばし、悪趣味な空想にお付き合いいただきたい」

言い放った。

「わーい」

私は、ぱちぱちと拍手で応じる。

これも、我らがミス研の活動の一つ。『トリックの当てっこ考えっこ』というやつだった。



***



君が好きな猟奇殺人のトリックを思いついたよ。

まず、状況から説明していこうかな。

舞台は 19世紀のイギリス。田園地にある館だ。ここで殺人事件が起きた。

殺されたのは、館の主レイン卿の奥方、マリー夫人だ。

彼女の死が判明したのは昼の二時ごろ。空が曇り、雨が降ってきそうだったので、クリケットの試合が中止になり、レイン卿が館へ帰ってきたときだ。

夫人の自室の窓が開いているのを見て、彼は雨が降る前に窓を閉めさせようと彼女の部屋へ訪れた。

ノックしても返事がないので、レイン卿が扉を開けると、そこには凄惨な光景が広がっていた。

彼の悲鳴を聞いて、この館の使用人頭であるリーマン執事が、夫人の部屋へ駆けつけた。そして、息を呑む。

同じく部屋に駆けつけた二人のメイド、アヤとマミはそろって悲鳴を上げた。

点々と血痕が散る部屋。その中央、血が滴る小型シャンデリアの真下に、死体がひとつ横たわっていた。レイン卿はそれにすがって泣いていた。

その死体は紛れもなく夫人だった。

手も足も首も、あらぬ方向に曲がり、糸がきれた操り人形みたいだったが、その美しい目鼻と服装で誰だかわかった。腹部にはいくつかの浅い刺し傷があって、血が滲んでいた。

死体が横たわった周りの床には、魔法陣の円がぐるりと描かれていた。おそらく夫人自らが描いたものだろう。彼女には魔術趣味があった。

現場の状況からは、まるで彼女が魔術的な儀式を行っている最中になにか人ならぬ者を呼び出してしまい、それに命を奪われたかのようだった。そいつは開けっぱなしの窓から逃げて行ったのだろう。そう考えれば筋が通るのだ。

血痕は少量だが部屋の四方八方に飛び散っていて、誰かがこの部屋で夫人を殺したにしては不自然だ。返り血を浴びた犯人の背後には血が飛ばないはずだから。当の犯人に実体がないというのなら話は別だが。

また、血痕がもっとも大量に見られたのは、高さ4mはある位置のシャンデリアだった。これも奇妙だ。

そしてなにより、この異様な力によって歪められた死体。人間の所業とは思えない。

この日、屋敷にいた使用人は、リーマン執事と、メイドのアヤとマミ。この三人だ。

マリー夫人はレイン卿との朝食を済ませたあと、夫婦でしばらく、自室で何事か話していた。レイン卿によれば、彼女の魔術的な趣味や行為について、それを辞めるよう説得していたのだそうだ。これはいつもの日課になっていたらしい。

そして昼の12時ごろ、レイン卿はマリー夫人の部屋をあとにした。そしてクリケットの試合へ出かけていった。

このあと、マリー夫人の死が判明する昼の2時まで、レイン卿はもちろん、使用人たちでさえ一度も彼女の部屋を訪れていない。

あるとき、メイドが部屋の扉をノックしただけで、夫人は儀式の邪魔が入ったとヒステリックに騒ぎ出し、そのメイドをやめさせたことがあったからだ。

それ以来、使用人たちは彼女が自発的に部屋から出てくるまで、関わらないようにしていた。

また使用人たちの証言では、窓は夫人が朝起きたときに自分で開けたそうだ。これも彼女の習慣だった。

開いた窓から何者かが侵入して夫人を殺した可能性についてだが。

昼の12時から使用人たちは庭へ出ていなかったから、犯人が誰にも見られずに窓から忍び込むのが可能なのは、12時から2時までの間ということになる。

ただ、夫人の部屋は3階にあるうえ、すぐ下に一、二階の窓がない間取になっている。よって、窓の高さまでたどりつくのは困難だろう。

また、昼の1時ごろのことだ。夫人の部屋で連続して何回も大きな物音がたてられるのを、居間で揃って昼食をとっていた使用人たちが聞いている。その物音に混じって助けを求める声や悲鳴が聞こえたりということはなかったそうだ。夫人が魔術的な儀式の最中に騒がしく動きまわるのは珍しくないので、この時点で夫人は生きていたと思われる。


事件に関することは以上だ。


「ふむふむ、なるほど」

私は真理の話をメモし、謎解きのヒントになりそうな部分をまとめていく。

現実でも空が曇りはじめ、校庭で響いていた声はいつのまにか聞こえなくなっていた。

「この謎、君に解けるかな?」

真理が愉快そうに聞いてくる。

「まあ、だいたいの目星はついたかなぁ」

「何だって」

彼女は大きな身体を乗り出して、私の書いたメモを覗きこんでくる。

「だめ。見ないで恥ずかしいから」

「むぅ、いいじゃないか。ほらほらぁ」

「ちょっとやめて! くすぐったい!」

じゃれあいながらも、私はその腕に抱えた答えを守りぬいた。

「ふむ……さて、きみの目星とやらを聞こうか」

乱れた髪をすきながら、真理が問うた。

私も服の乱れを直しながら、

「答えが間違っていなければ、いいのだけれど」

厳かな口調で返す。

しばしの間。

遠雷の音が教室に小さく響く。そのうちこらえきれなくなって、私たちはくすくすと笑いあった。



***



私、雨宮真里は友人にしてミス研の副部長である坂田真珠の姿を眺めていた。

三つ編みにしたおさげ髪に卵型の丸い顔。眼鏡の奥では、小動物のようにくりっとした目が、好奇心の光をたたえている。

可愛らしくて、見ていて飽きない。名前どおり、真珠のような子だ。本人が普段話す自己認識よりずっといけていると思う。

彼女に興味を持った最初のきっかけは、同じクラスになって、名前を知ったとき。字面が全然ちがうのに、同じマリという音だったから。ただそれだけで、話しかけてみた。するとなんと、同じミステリーを好きとする同志だったわけだ。

さっそく我がミス研にさそってみれば、このとおり喜んで活動に加わってくれた。

いまでは私のしょうもない悪趣味なミステリー脳と互角に渡り合っている。

つまり、私と同じで相当な悪趣味ということだった。

これも名前のとおり、彼女は貝の内蔵からつるりと抜け出てきたような不気味さを、ときおり見せる。

私にとっては褒め言葉だが、誤解を招きそうなので本人にこういう評価は伝えないが。

そういう一面が彼女から垣間見えたとき、私は妙に安心する。仲間がここにいると思えるのだ。

そして、今がまさにそのときだった。

真珠は可愛らしい小さな口から、にやにや笑いとともに、言葉を紡ぎはじめた。



じゃ、始めるね。

いきなり犯人を言っちゃうけど、たぶん、マリー夫人を殺したのは


レイン卿かな。


あてずっぽうで言ってるんじゃないよ。ちゃんとトリックの内容まで推理してあるんだから。


この話で容疑者としてあげられるのは、


1レイン卿

2リーマン執事

3メイドのマミ

4メイドのアヤ

5どこかの誰かさん(部外者)


こんな感じ。

このなかで、マリー夫人を話に出てくる奇妙な死体にしたてあげることができたのは、レイン卿だけなの。

ちなみに、夫人の直接の死因は、毒殺だと思うよ。レイン卿が彼女と朝食をとっていたときか、いっしょに部屋にいたとき、どこかで一服盛ったんだと思う。

で、その毒が効いて、夫人は自室で死亡。この時点では、普通の毒殺だった。でもこれだと、真っ先にレイン卿が疑われるよね。

だから彼は、カモフラージュのために、マリー夫人の死体を糸の切れた操り人形みたいにしたんだよ。

そのトリックについて、説明するね。

まず、夫人が殺された部屋の様子で、特に気になったのは以下の部分。


A開け放された窓。

B少量だが全方位に血の飛び散った部屋。

C死体の真上のシャンデリアからしたたる血。

D一時ごろ、部屋に連続的に響いていた大き な音。


これらの要素から導きだされるトリックの内容はこう。


1レイン卿はマリー夫人の死体を、部屋の中央に位置するシャンデリアの真下に置く。その周りに、見よう見まねで魔法陣を描く。

2すごく長い縄か何かを、夫人の胴体にくくりつける。

3余った縄をシャンデリアに引っ掛ける。

4縄の端を窓から外へ放る。

5クリケットの試合に行ったふりをして一時間後に戻ってきて、外に垂れさがっている縄の端を握り、引っぱっては離し、引っぱっては離し、をくり返す。

6夫人の身体は縄で天井へ引き上げられ、落とされるのをくり返すうち、手足や首の骨が折れ、関節が外れていく。

7奇妙な死体のできあがり。


このトリックの実行が可能なのは、レイン卿だけなの。

1の行程を行えるのは、夫人の部屋に自由に出入りできる彼だけだから。

ちなみに、4の行程で窓の外に放った縄は、ずっと垂れ下がっていたんだろうけど、12時以降、使用人たちは誰も庭に出ていないから、バレなかったんだと思う。

昼の一時頃、夫人の部屋に連続的に響いていた大きな音は、まさに5の行程が行われていた証拠。あと、シャンデリアからしたたる血と、死体の腹部の刺し傷もね。

そのとき使用人たちは居間でそろって昼食をとっていた。だから彼らにはアリバイがあるの。

で、どこかの誰かさん(部外者)が犯行を行なった可能性についてだけど。

そもそもこのトリックを仕掛けるには、誰にも怪しまれず屋敷に侵入して、夫人の自室に入って、声ひとつ上げさせずに彼女を殺さなくちゃならないんだから、その線は論外だと思うな。

最後にレイン卿は、昼の2時に夫人の部屋へ入ったとき、くくりつけてあった縄を回収し、部屋のどこかに隠してから、演技で叫び声をあげた。

そのトリックが行われた証拠として、部屋のどこかに縄が隠してあると思う。


「こんなところかなぁ。どう? 私の推理」

「すばらしい」

真里が感嘆の声を上げるのと、近くに雷が落ちるのとは同時だった。

不気味な轟音と閃光が、薄暗い教室を駆けぬけた。

思いきり照らされた真理の笑顔が、私の視界に影として残る。

空想とはいえ、殺人の話をしているのに、笑っているなんて。やはり彼女は私と同類なのだ。

ちなみに、私もこのとき、笑っていたと思う。話す口もとが自然と綻ぶのを自分でも感じていた。

「よし、今度は君がトリックを出題する番だな」

「やっぱりそうなる?」

「うむ、いつもの流れだ。本は家でも読めるしな」

「うーん、じゃあ一つだけ……あんまり自信ないけど」

「よし、どんときたまえ」

激しい雨音に混じって、またどこかで雷が鳴った。

この雨は、簡単には止みそうにないみたいだ。

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