2話 その声を

第1話 サザンカ4


 ─5月22日 14:40 ???─




「あ゛ーちくしょ!」


 サザンカはギリギリと歯を軋ませた。


「俺だって俺だって俺だって俺だって俺だって…………」

「もう、やかましいわねぇ」


 しゃがみ込んだまま動かなくなるサザンカをフタツミは呆れ顔で見下ろしている。

 ブツブツと呪文のように何事かくりかえしている一人の男。

 近未来的なデザインでできた目を覆うサングラスのような機械……、ドリームスコープ。

 それと首に巻かれたネックプレイメーカーで、紛いなりにもこの世界ではヒーローと呼ばれる存在だと一目でわかる。


 ……そのはずだ。

 だというのに男は悲壮感あふれる声音でうわ言のようにこんなことを呟き続けているのである。


「こんなのおかしいだろいつもなら俺だって『キャンサー』ぐらい瞬殺だし武器なしとかそういう縛りプレイだって楽勝なのにこんなステージぐらい制限時間半分で終わらせられるし絶対楽勝だってありえないってこんなさあ俺だってねえ伊達にヒロバスやってきたワケじゃないんだよこんなステージで苦戦なんかするはずねえじゃんだっつーのにこんなさぁ馬鹿みたいなさあ違うんだって本当にマジでこの程度じゃないんだって俺はもっとやれる筈やれる筈なんだなのに」

「いいわよ、わかったわよ。次はこんなことしないから」


 フタツミがめんどくさそうに表情を歪めながらも、サザンカをそう言って適当に慰めた。

 大袈裟なため息を落とすその姿には全く悪びれた様子はない。白々しい限りである。


 サザンカがこうやって蹲る原因は数分前に起こった一つの事件にあった。

 このゲームステージの華。ヒーローたちの最大の見せ場。

 そう、それは言わずもがな大ボスの登場である。

 このキャンプ場を襲った『キャンサー』たちを統括する女王クイーン


『エンプレスマンティス』


 彼女の出現で更なる恐怖の渦に飲まれるキャンプ場。

 まさにステージの大詰め。

 そこにさす光となるべくヒーローは立ち上がってこそ輝くというものだろう。


 それなのに。


「いくらゲームオタクでもその装備でアレは厳しいと思って」

「そういうとこっ! 変なとこで気ィ使ってんじゃねえよ余計なお世話だブスッ!」

「……」


 ギャンギャンと騒ぎ立てるサザンカの言葉の、どうやらその一部分が引っかかったらしい。

 瞬間すっと陰りをさした顔が、何か不穏な空気を作り出す。


「あんたが自殺志願者だったなんて知らなかったわ」

「ぐげげげげ、つぶ、潰れるッ潰れるからッ……グゥ」

「別にねぇ、あんたを気遣ってやったわけじゃないのよ」


 突如として出現した黒い手。

 サザンカは頭の上から勢いよく降って来たそれに地面に押し付けられる。

 そりゃもう、蚊でも叩くような要領で。

 その叩かれた蚊の如し、見事に手と地面に潰されてしまったサザンカはうめき声をあげた。

 ハンパじゃない重量がサザンカにのしかかり指一本動きやしない。


 サザンカはそれに耐えきれずにもがいた。


「おいっ、コラやめ、アダダダダッ!! こ、の、陰気メガネ女ァ‼︎」

「ほんとに殺してやろうかしら」

「ッダダだだダダダ!」


 グイグイと後ろから押し付けられる影の手。

 重くて重くて早くそれから逃れたいというのに、どんなにもがいてもしっかりとした黒い手のひらはサザンカを離してくれない。


 むしろどんどん山の踏み固められた土に埋まっていく始末。

 ……サザンカがヒーローの体でなければ、圧死しているところだ。

 ──それほどの力でサザンカは地面に押し潰されていた。

 まあ、ゲームの中だからなんの心配もなく潰れもしないまま人型のくぼみを刻んでいくだけなのだが。


 ─聞いてねえぞFFフレンドリーファイアアリなのかよ。


 サザンカは胸の内で舌を鳴らせた。

 FF、とは仲間同士でも攻撃判定が入ってしまう機能のことである。

 もちろん仲間を狙うためにあるわけではない。これが存在するのはリアリティのためである。


 たまたま射線上に仲間がいたり、爆風の強い武器を持っていたりしても本来ならゲームの中では通り抜けるか何かして攻撃にならない。仲間同士ならばたとえ事故でも傷つけ合うことはないのだ。

 しかし、現実ではそんなこと有り得ない。

 仲間がもし攻撃の射線上にいるなら通り抜けないし、近くにいたら爆風で焼け死ぬのが理にかなっているだろう。


 もしもこのFF機能をOFFにしていたのなら、フタツミの影の手だってサザンカを押しつぶすことはできない。

 それができてる、ということはつまりそういうことなのである。


「倉木めぇ……」


 地面にめり込みながら恨み言を吐いて、サザンカはバーチャルの土の味を噛み締めた。

 口に入っては来たものの、味までは再現できていないらしいバーチャルの土。


 サザンカはこの半生でよくこうして伸されることが多く、あらゆる場所の土の味をよく知っている。

 その経験数を数えればもはやプロの土食ツチハミストとも呼んでも過言でない。

 だというのにそれを誇れないのは今まで知って来た土の味で旨いと思えたものが一つもないからだ。

 あとは無様に伏せられる己の無様な姿を誰より理解しているからか。


 そんな風に苦々しい思いをしながら、サザンカが今までにない土の味を味わっていると。

 散々サザンカを潰して気が済んだのか、不意に黒い手が宙に浮きサザンカを解放してくれた。

 のろのろと起き上がると、それまで僅かにしか吸えなかった空気が急に肺を膨らませる。

 その気管を押し広げるような嫌な感覚にサザンカはゲホゲホと噎せた。


 ギロリと恨めしそうに悠然とこちらを見下ろす女を睨む。

 前回のグーパンもそうだが今回のもよく覚えとけよ。ゼッテー許さねえ。

 恨みがましいサザンカのその視線を受けて。はあ……、フタツミはため息をついた。


「何? あんたが来るまで待ってりゃよかったワケ?」


 言いながら野暮ったい紫色のメガネを持ち上げてフタツミはこちらを見返して来た。

 その陰鬱で、しかし険しい目に自然とサザンカは身構える。


 さてさて、そろそろこれまであったその『事件』の内容をはっきりさせておこうか。

 なに、これまでの会話を聞いていればアタリをつけることなど容易だ。

 そもそも説明するまでもないかもしれない。


 キャンプ場に出現した『エンプレスマンティス』。

 ヒーローたちも含めてこの場に立つ全てのものを恐怖に陥れる、──災厄。


 それに殉ずる小物、つまりは『キャンサー』たちに手こずっていたサザンカだったが、このクライマックスシーンに駆けつけないわけにはいかない。

 だって最大に輝いた者こそ『主人公ヒーロー』なのだからっ!


 だから、なんとしても間に合わねばならない。

 だというのに。

 ようやく『キャンサー』たちを切り抜けて、サザンカは巨体の足元までやってきた。

 ヘトヘトにフラフラになりながらもなんとか耐えて、たどり着いたその先。


 そこに広がっていた光景こそ、応戦していたフタツミが、『エンプレスマンティス』にトドメをさすその瞬間であったのである。


「時間押してたし、私が戦ったほうが効率いいじゃないの。ヒーローぶるのは勝手だけど身の程をわきまえて頂戴」

「ぐぬぬぬぬぬ」


 サザンカは悔しそうに拳を握りしめるが、フタツミはそう呆れたように言って息をついた。


「『こんな演習程度でゲームオーバーなんてシャレになんない』んでしょ?」

「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ」

「いい加減諦めなさい、女々しいわよ」


 冷ややかに吐かれたフタツミのそのセリフ。返す言葉もないサザンカは唇を噛む。

 数分前に自分の言ったセリフで首を絞められるなど、身から出た錆とはよく言ったものだ。

 結局なにも吐き出せないまま、サザンカは力なくガクンと項垂れた。


 サザンカとしては、どうしてもその局面に駆けつけたかったのである。

 なぜなら自分は今ヒーローだから。

 ヒーローとして、全てを救う役割をこの身に引き受けたかったのだ。

 全てを照らす太陽のような、明るい光に。そうなるのがヒーローの役目だ。


 だなんて、適当にそれらしい言い訳を並べたに過ぎない。

 大体、その言い分で行くとフタツミも今はヒーローであるわけだしなんら問題はないこととなるではないか。

 回りくどいのはやめて簡単に言おうじゃないか。

 つまるところ、サザンカは美味しい場面を横取りされて拗ねている。ただそれだけのこと。


 くだらなすぎて呆れ返ってしまうぐらい簡単な理由だ。

 しかし、本人の中ではそう簡単にケリをつけられる問題ではないらしく。

 サザンカは口惜しそうにギリギリと奥歯を噛み締めた。


 その様子にフタツミはうんざりとした表情になる。


「自らサポートに徹したと考えれば……、まあカッコ悪かないんじゃないの?」


 そもそも、一般的に知られている『エンプレスマンティス』の性質として、巨大であること。『キャンサー』を従えていることともう一つ。

 手下の『キャンサー』たちを取り込んで力を増す性質があることが明らかになっている。

 つまりは、『エンプレスマンティス』戦では始めのうちにどれだけ『キャンサー』を潰しておけるかがキモとなるわけだ。


 ……なるのだ。だから、サザンカがしていたことは別に無駄な作業ではないのである。

 主役の役割とは言えずとも、ヒーローとして、ゲームのプレイヤーとしてそう悪くはない位置なのではないか?


「思いっきりしゃしゃり出ようとしてたけどね」

「……」

「そういうことにしといてあげる」


 フタツミは大きく肩で息を吐き出した。


 これ以上付き合うのはごめんだ。とでもいうようにめんどくさそうにそう言ってひらひらと手を振るうフタツミ。

 本当に余計な一言多い女だ。そう一言言ってやりたいのも山々なのだけど。


 ふと、別の誰かの視線に気づいてサザンカはピタリと動きを止めた。

 それはフタツミの後ろ。

 身を寄せ合う二人からのものだ。


 片方はサザンカが助けた少女であり。

 もう一つはその子と同じ歳ぐらいのまた見知らぬ少女であった。


 おそらく、フタツミが助けたのであろう、キャンプ客の最後の一人と言ったところか。

 寄り添う少女とは顔つきが少々違うが、こちらもまた『守ってあげたくなる』ほど可愛らしい見目をしている。


 サザンカはへにゃりと相好を崩した。


[あの、大丈夫ですか?]

「うん? あ、ああ、ごめんごめん。変なとこ見せちゃったね」


 決まりの悪そうに笑いかけると、二人のカワイコチャンたちはふるふるとかぶりをふって、ニコリと笑んだ。


 ゲームの中とは言え可愛い二人と会話が出来る!

 いや、ゲームだからこそなのかもしれない。

 その普段はほとんど機会のない現象に、先ほどまでの落胆をすっかり頭の中から排除する。

 先程から陰気な色気なしばかり見ていたから丁度いい目の保養である。

 そうホクホクとだらしなく顔を蕩けさせるサザンカだったが。

 フタツミの呆れ声がまたそれに水を差す。


「本当にね、かっこ悪いヒーローですこと」

「なんなの? お前さっきからさあ、もしかして煽ってんの? ケンカなら買うぞ」


 くるりと態度を一変させてフタツミの方を睨むサザンカにフタツミは肩をすくめた。

 どーぞお好きに。適当にそうあしらって踵を返す。


「ほら、長話は後にしてとっとと切り上げるわよ。時間なくなっちゃう」

「……、もったいねえなあ」


 往生際悪くサザンカは口惜しげに二人の少女に視線を戻した。

 ボスは倒した。キャンプ客は全員救出完了。あとはこの二人を避難区域に届けてゲームクリアだ。


 そう、このゲームはそれで終わり。ハッピーエンド。

 つまりこの少女たちともお別れ。

 サザンカはまたあの屋敷に戻らなければならないということになる。


 それがどうしても憂鬱なのだ。


「鼻の下伸ばしててゲームオーバーとか……、シャレになんないわよ?」

「それ、も、そうか。そうなんだけど……」


 確かにそうだ。また自分の言葉に足元を掬われて思い直す。

 しかしまだまだ諦めきれない。この子たちと話ができるのは今だけだと思ったら、もうすこしいいんじゃないかなとそんな気がしてくる。

 まぁ、またこのステージを選べばいいだけの話なのだけど。


 サザンカは大きくため息を吐き出した。

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