第7話 ナシモトカズム1


 ─5月15日 1:09 倉木邸内庭園─




 細い月が空に浮かんでいる。

 街明かりに殺されて、肩身狭く存在を薄めたその光は、暗闇の中大した光源にはならない。

 広い庭に設置された電灯のほうがよほど役に立つぐらいだ。

 いや、そういう電灯があるからこそ殺されているのだけど。


 真夜中の庭先で、和夢は一つため息をついた。


 ぼぅっと無機質に足元を照らす電灯。

 その光を受けて、下に敷かれた砂利が瞬いている。

 星なんて見えない空を仰ぐよりも、そちらを見下ろしていたほうがよほど有意義だろう。


 そう思えるほどに。

 ここから見える風景は死んでいた。

 確かに植物は植わっていたが、規則的に並べられたそれらから、和夢はどうしても生命を感じることができないでいる。

 人工的に作られたそれは造花とさして変わらない。


 空気も、植物も、死んでいて。

 みんなみんな、生きてるふりをしているだけ。

 和夢の立つそこには、『生』など一つもないのだと、実感した。

 もちろん、自分を含めて。全部、全部。


 つまらない造形物がこぞって集まって、美しさのない呼吸を続けている。

 そんな途方もなく無意味で無価値な『事実』に、同じくらい途方もない嫌気が胸中から溢れた。


 夜風が和夢の短い髪を後ろへと梳く。

 もともとの清廉さを感じさせない埃と排気ガスまみれの町の薄汚いそれを受けて、和夢は顔をしかめた。

 その脳裏に浮かぶのは、少し前の出来事だ。


「先が思いやられる……」


 和夢の仕える主人あるじ、倉木総司郎がペットを集めて揃えた、数十分前の謎の会合。

 それこそなんの価値も意味も見出せないままに終わった悪ふざけ、だ。


 あれに付き合わなければならない憐れな当事者ペットたちには黙祷でも捧げておけばいいだろうか。

 あと、できれば今のうちに写真を撮っておいてやるのがいいかもしれない。せめてもの優しさで、遺影くらいは綺麗なやつを選んでやろう。


 コクリ、1人頷いて。

 夜よりも濃色な瞳を伏せた時だ。


「どーしたカズム!」


 こんな声が聞こえたのは。


「ああ、トーゴ」


 ばさっと大きく生垣の植物を揺らして、和夢の後ろにした影。

 首だけで振り返って、闇と一切の区別がつかないその存在を確認して、和夢は平坦に名前を呼んだ。


 そこにいたのは濃褐色の肌をもつ、少年だ。

 和夢の見知った顔。彼女が面倒を見るペットのうちの一匹。

 快活そうにニコニコと笑うトーゴは、生垣からまま和夢の方を見ている。


「こんばんわ、だな! カズムっ!」

「こんばんわ」


 見知った顔とはいえ唐突すぎる登場。

 しかし、和夢はそれでも表情を歪めることなく、無表情のままそう挨拶を返した。


 どうしてそんなところに隠れているのか。

 この奇々怪界な少年に、和夢はそう問う気力がなかった。

 聞いたところでまたアホくさい返事が返ってくるだけだ。そうに決まってる。この少年のことは探るだけ無駄なのだ。


 そんなことを考えて心中深いため息をついていると、未だ生垣に生えたままのトーゴがにこやかに笑んだ。


「サキガオモイヤラレ? がどうしたんだ?」

「……、なにそれ」


 少年が吐き出したのはまるでトンチンカンな質問。もはや見当違いですらない。

 和夢は大袈裟に肩をすくめてみせた。


 しかし、どうにも少年の方にはこちらのことなど伺う気もないらしい。

 トーゴは身を乗り出して繰り返し再び和夢に声をかける。


「なやみなら聞くぜ、カズム。オレが力になってやる!」

「ドーモ。別に役に立たなそうだからいいよ」


 和夢はさらりとそう返して、少年に背を向ける。

 これに付き合うと面倒なのだ。うるさいし。

 はやく切り上げるに越したことはない。和夢はそう判断して屋敷の入り口へと足を向ける。


 すると、ガサガサと生垣の植物が葉擦れを鳴らして……。

 そこから出てきた少年に腕を絡め取られた。

 片腕を掴まれたままぐいぐいと力任せに引っ張られて元の位置に戻される。


「そーいわずにぃ!!」

「あーもう、うるさいなぁ」


 どうやらもう簡単に逃がしてはくれないらしい。そう察して痺れを切らせたのは和夢の方だ。


 仕方ないか、そうため息をつく。

 和夢の声の拾いやすい位置を陣取った少年はそれを聞きつけてキラキラと目を輝かせた。

 トーゴのエメラルドの瞳が何かあったのかと訴えてくる。

 和夢は額に手を押し当てた。


「いつものことだよ。あいつの悪癖」


 そう切り出して、今晩のことを適当にまとめて話しだす。

 総司郎がペットの中の三人を呼び出したこと。続けてその理由。結局了承など伺う気もなく強引に要求を通したこと。

 あきれかえるような馬鹿げた課題のことも。

 一通り話し終えて、和夢は肩をすくめる。


「アホ3人でチーム組ませるなんてさ」

「アホ? そんな名前のやついたか?」

「イチゴとサザンカとフタツミのことだよ。名前じゃねえっつの、話の流れで察せよ。それともワザトかよ」


 またもや的外れなトーゴの回答に和夢は息をついて半眼になる。

 その横でトーゴが首をかしげた。

 そして和夢を不思議そうに見つめる。


「で? なにが不安なんだ?」

「バカって羨ましいよね」

「ん?」


 和夢は息と共にそう吐き捨てて、冷ややかにトーゴを見下ろした。

 羨ましいと思う。話を聞けばすぐにこの先行きの見えない計画に嫌気がさすと思うのに。

 これだけの不安要素を抱えて時間はたったの1ヶ月だというのに。

 何も理解せずのうのうと笑っていられるこの少年は間違いなく幸せ者だろう。


 はあっと短息した和夢。

 その意味がわからないトーゴは傾けた首をさらに深くに倒した。

 それを横目に和夢は諦めたように口を開く。


「あの3人だよ? 絶対ロクな事にならない」


 並んだ顔ぶれをみただろうか?

 あの三人が仲良くしている光景が思い浮かぶだろうか?

 あり得ない、少なくとも和夢はそう思う。


 フタツミはサザンカはともかく、イチゴはそもそもよろしくない仲だ。

 イチゴの方も他人との関わりをそもそも嫌う傾向があり、ついでに言えば神経質でうるさい奴は嫌い。

 それに加えて毒にも薬にもならなそうなサザンカ。うるさそうだし軽そうだし、他の2人からいい印象は持たれないだろう。

 ほら、こうして並べただけで仲良くなれる気なんかかけらもしない。


 じろりと何もない暗闇を恨めしそうに睨んだ。


「相性悪すぎでしょ。まぁ、それを楽しんでるのかもしれないけどさ」


 睨んだ暗闇の先には当然諸悪の根源の姿はない。

 でも、その空五倍子うつぶし色の影が脳裏をよぎるから……。

 和夢は吐き捨てるように舌を鳴らした。


「特にサザンカとフタツミ。あいつら初っ端から一発かましてたじゃんか。うまくいくわけない」

「そうかなぁ」

「そうだよ、確実に」


 第一印象が全てでないとはいえ、これは厄介なことに強く根付く。

 そんなものが『最悪』であるとすれば、もうほとんど見込みはないと思っても過言ではないんじゃなかろうか。

 たとえ0%じゃなくたって、彼らが仲良くなる確率は相当低く下回る。


 そう、和夢は当たりをつけているのだけど。

 事もあろうかこの少年はこんなことを言ってみせたのだ。


「オレはそうは思わないけどなぁ……」


 和夢は顔をしかめた。

 しかめた顔でトーゴを見下ろせば何か考え込むように顎に指を寄せ、首をひねっている。


「なんで?」

「うーん、なんとなく?」

「ただのカンかよ、信憑性もクソもないじゃん」

「ゔーん……。でも、えーと」


 和夢の呆れた声を受けて、トーゴは必死に言葉を探してバタバタと手を上下に振るった。

 無意味な行動のように思うが、トーゴはしばらくそれを繰り返してあーでもないこーでもないと頭を回した。

 和夢はそれをつまらなそうに眺めて言葉を待つ。


 ヘンテコな舞を続けていた少年が、急にピタリと動きを止めた。

 ようやく言葉がまとまったらしい。和夢を見上げて快活に笑んだ。


 そして、夜闇と区別のつかない真っ黒な、幼い唇が開く……。







 それと、これはほとんど同時の出来事だったように思う。






「でもオレは……」

「あ゛ん゛の゛アマ゛ァ゛……!!!」





 庭の一角でそんな声が響いた。

 振り向けば、扉口近くで地団駄を踏むひょろりと背の高い……。しかしやっぱり痩せぎすな影が見えた。


 声を荒げる影の方はどうやらこちらには気づいていないらしい。

 2人は素早くその場にしゃがんで、生垣の影に実を隠した。

 トーゴが生えていたその生垣は丁度綺麗に、しゃがんだ2人の姿を隠してくれた。


 声はなおも続く。


「謝ったじゃんっ! ちゃんと謝ったじゃんっ! だっつーのにさあ!」


 ひとりガアガアと騒ぎ立てる声の主は、どうやら相当ご立腹のようだ。

 何があったか知らないが、その声はサザンカのものらしいということだけはわかった。

 丁度話題に出ていた男のタイミングの良すぎる登場だ。

 トーゴと和夢は顔を見合わせる。


 そんな2人がいることなど、全く知らないサザンカは生垣の前を大股に通り過ぎていく。

 誰に向けるでもない言葉を、延々と暗闇に投げかけながら。


「普通殴る? 誠心誠意頭下げてる相手の横っ面をさぁ、しかも平手じゃないんだぜ? グーで??!! 昨日の仕返しってか!!」


 誰にも届かず闇に消えていくだけのその言葉は、ただ無益に和風庭園に響いた。

 無益、だとしても。サザンカは言わずにいられないのだろう。

 いや、腹に溜め込んだ苛立ちを全て、闇に溶かして消してしまおうとしているのかもしれない。


 どちらかは知らないが、イライラと不機嫌そうに庭を闊歩するサザンカは、もう屋敷の裏へと回るところだ。

 その角に消える直前、ギリギリと歯を鳴らしてこう吐き捨てる。


「ぜってー忘れてやんねえからな! 覚えてろこんクソメガネの陰気女あーーー!!」


 そうして屋敷の影に消えて、見えなくなる痩せぎすな影。

 それを確認して、和夢とトーゴはどちらからともなく立ち上がった。


 メガネ、陰気、女。

 和夢はこの少ない単語だけで、サザンカが腹をたてる相手を推測できる。

 推測できた、からこそ小声でトーゴに耳打ちをした。

 それは、もちろん先ほどの発言についてだ。


「で? トーゴ。オレは……なんだっけ?」

「……」


 それは嘲笑うようでもからかうようでもなく、ただ淡々とした調子でかけられた質問だった。

 かけられた少年は視線を彷徨わせながら歯切れ悪く「え……」とか「あ、いや、その」とか、意味を持たない単語ばかりを吐いた。

 じぃっと彼の言葉を待つこと数十秒。

 冷や汗をとめどなく垂らして唇だけを動かしていたトーゴが口を開いた。


「け、ケンカするほど仲がいいって言うらしいし、おれはこのぐらいがちょうどいいと思うぜ……?」


 苦笑いを浮かべてなんとかそう言葉にしたトーゴ。

 しかし、その目は和夢のそれと交わることなくウロウロと虚空を泳ぎ続けている。

 しかし、一方の和夢はそんなトーゴを感情のない瞳で見つめた。

 真っ黒な瞳に真っ黒な肌の少年が写り込む。


「誰から聞いた?」

「く、クラキ」

「ふーん、誰と誰を見て?」

「えーと、ニノマエとイチゴ?」


 おずおずと出した名前は喧嘩ばかりして果てに地下に閉じ込められるようなバカな二匹の獣だ。

 和夢は呆れたようにトーゴを鼻で笑った。


 ビクッと思わず肩を震わせたトーゴに、和夢は更に畳み掛ける。


「あいつら仲良いとホントに思ってる?」

「ホントにおも、おもって……」

「へぇ」

「えっと、あの、そのだな…………思ってない」


 なんとか言い返そうと言葉を探すトーゴだったが、その努力は実を結ばなかったらしい。

 しゅんっと小さな肩を大きく落として静かに俯いた。

 喧嘩するほど仲がいい? 確かにそういう言葉もあるが、あの2人にそれは全くあてはまらない。

 そんな2人を引き合いに出されても説得力がないことは明らかだ。

 和夢は小さく肩をすくめてみせた。


「そう言う事だよ。勉強になった?」

「……うぐぐぐぐぅ。…………なった」


 トーゴはコクリと素直に首肯する。

 子供らしくない乾いた笑みを浮かべて、そのエメラルドの瞳が遠くの空を映した。


「こう言うのをサキガオモイヤラレって言うんだなぁって。オレちゃんと覚えた」

「よかったね、知ってる言葉が増えて」


 あとは最後に『る』をつければ完璧だ。

 あの和服男と共にいるせいもあってか、言葉の覚えにムラのあるこの少年。

 それでも会話自体に支障がないため過信してしまうが、虫食いのようになった日本語理解は時に思わぬ食い違いを生むこともしばしばだ。

 その穴を埋められることに越したことはない。


 和夢はそのまだ小さな頭部の上に乗った柔らかい毛を軽く撫でた。

 トーゴは遠い目をしていたが、その指使いを感じてか、ふにゃりと照れ笑う。


 そんな笑みを眺めながら、息をついた。

 ──先が思いやられる。

 その時もう一度その言葉が頭をよぎって和夢はわずかに眉を寄せた。

 だってこれから和夢は主人の思う通りに彼らをしたりしたりしなければならなくなる。


 放っておいてもどうせ誰からも動きゃしないから。誰かが手出しして、引っ掻き回して、コントロールしなければならないのだ。

 それに選ばれたのが和夢、というわけだ。

 こういった主人のわがままに付き合うのが彼女の仕事で、与えられた役割であるから。


 とは言え、和夢自身他人に興味の持てない性格であるし、うまく立ち回れる気はしないのだけど。

 それでも、和夢はやるしかない。

 あのペットどもと同じように、彼女にだって拒否権はないのだ。


 だからこそ、和夢はこなさねばならない。

 あのペット三人を主人の思う通りに、望む通りに、『仲良く』させなければいけないのだ。


 好きでも好きになってもらえないことがある。

 逆にこっちが嫌いになったらって、向こうも嫌っていなくなるとは限らない。

 結局のところ、『そうなって』みなければどうなるかなんてわからず、手の出しようもないどうしようもない難題を。


 彼女の全身全霊を賭して、心底胸糞悪い主人のため、それだけに。


「あーあ」


 考えるのも面倒になって、和夢は体の中の全てを追い出すようにため息をついた。


 空を仰げば光の乏しい夜空が浮かぶ。

 粗末な星空。粗末な月。

 それは急ごしらえで作った子供の工作のよう。

 だから和夢が空へと向けたのは氷のように冷ややかな視線だ。


 いや、たとえ満天の空だったとしても、それを映す黒曜の瞳は一切の光を受け付けない……冷たい色をしていたのだろうけど。

 和夢は夜空を責めるように睨んで、気だるげな悪態を吐き出した。


「ったく、ほんっとにめんどくせーの」

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