第3話 ナシモトカズム3


 ─5月12日 20:26 倉木邸内─




 小汚い男を風呂に放り込んで、奴の残した跡を掃除する。

 毛足の長い絨毯の底にまで細かい土が入り込んでいて、箒や掃除機だけでは物足りない。

 これはかなり手がかかりそうである


「……めんどくせ」


 そんな悪態をため息とともに吐き出して。それでも和夢は掃除用具を払い続けた。

 あとで、業者に依頼しておこう。そう胸に決めて、ある程度見栄えが悪くない程度にまで整えておく。


 あとは確か、服を用意すると約束してしまったはずだ。借金男が風呂から上がる前に男物の服を用意しなければならない。


 ……身長や体格だけなら、程よく総司郎に似ているのだが。

 変わり者の主人は和服しか持っていないので論外である。

 しかし、他にアテなんてない。

 仕方なく和夢は従業員用の制服を倉庫から引っ張り出したのだった。


 ようやく一通りの仕事を片付け終わり、息をついたそのとき───、


「和夢、どうだい彼は少し落ち着いたか?」


 長く続く廊下から顔を出したのは総司郎だ。

 先ほどの口ぶりからしてシジマを訪ねていったはずだが、随分早く戻ってきたものだ。

 どうせあの偏屈な飼い猫に手の甲を引っかかれて追い返されたのだろう。

 ……ざまあないことである。


「大分平静は取り戻しているようですが、まだ混乱しているようです」


 先ほどあの元借金まみれ男に指摘された自然な口調を奥にしまいこみ、メイドらしい敬語に戻って背筋を伸ばす。

 ……その様子のどこが面白いのか総司郎は喉を鳴らして笑った。


「普通に話してもいいのに」

「……職務中ですので」

「君がそうしたいなら、それでも構わないが」


 少々寂しいなぁ、なんてぼやく主人を無視して和夢はそれ以降口を閉ざした。




 その後、反応など返さないのに他愛のない無駄な会話に付き合わされて。

 しばらくして、借金男がニコニコと上機嫌で和夢の前に現れた。


「はー、いいお湯だったぁ! ひっさしぶりに湯船浸かったわー」


 朗らかに笑いながらそう言って近づいてくる。先ほどから思っていたがどうにも能天気な男だ。


 これまでの話からして、ろくにものを口にしてなかったのだろう。酷く痩せた体だ。

 しかし、必要な部分にはしっかりと筋肉が残っていて見栄えはさほど悪くもない。


 先ほどとは打って変わり、まともな服を着ているからそう見えるだけかもしれないが。

 用意したのは弥一と同じ執事服のはずだが軽くワイシャツとズボンを履いただけでパッと見ただけではスーツと区別はつかない。

 丈も目算だったが大きなズレはなかったようで袖丈もそれなりにあっている。

 シャツに大振りなシワが目立つが、それは瘦せぎすな体に幅が余っただけだ。


「いやぁー、最近は銭湯も二週間置きだったからなぁー」

「……きったね」

「うわーさっきと変わらず辛辣だね、和夢ちゃん」


 事実、感じた事を口にしたまでである。

 卑しいものでも見たように顔を歪めて和夢はため息をついた。

 大体、


「変わるわけないでしょ。風呂に入って上がるだけの短い時間でさ」


 ホントに汚れ落ちてるの? と和夢はまじまじと彼を観察する。

 泥だらけだった、あからさまに染めた茶色の短髪は本来の色を取り戻して石鹸のにおいを漂わせて。

 それに覆われた同じく泥煤まみれだった顔。

 今は湿り気を帯び上気して、土の茶色ではなく僅かに朱を乗せていた。


 土も垢も落としてサッパリとした様子の借金男はだらしなく表情を崩した。


「いやぁ、わっかんないよぉ? 風呂から出たらココロ優しいメイドさんに大変身してるかもしんないじゃん?」

「なにそれ、気持ち悪」

「刺してくるねぇー、トゲトゲしてるねぇー……」


 ハリネズミかよ。

 借金男は大袈裟にため息をついて肩をすくめた。


「勿体無いよー和夢ちゃん。折角かわいいの、に……、あ」


 ややあって妙な形で言葉を切った男。

 ようやく総司郎に気がついたのだろう、その姿を捉えて身を固まらせる借金男。


 それを見て総司郎は安心させるようににこやかに微笑んだ。

 やがてぎしぎしと軋む音さえ聞こえてきそうなぎこちない動作で、男は変に改まって頭を下げる。


「あの、えーと……、さっきはありがとうございました?」

「いや気にすることはないさ。大したことじゃない」

「いや、結構大した事だし、大した額だった気が……」


 結構も何もない。大き過ぎる額だ。

 和夢は胸のうちでそう呟いて、しかし会話に割り込むことはせず沈黙を守る。


 総司郎は柔らかい、人当たりの良さげな笑みを浮かべた。


「それはそうだが、君は言ってたじゃないか」

「? 何か言いましたっけ?」


 首を傾げる借金男。

 合点のいかないように難しい顔になるそいつに、総司郎はこともなげにこう言った。


「倍にして、返してくれるんだろう?」


 ──そう言えばそんな事をいってたっけ。

 和夢は頭の隅で昼間の揉め事の一部始終を思い出した。


 和夢は知ったことではないが、その言葉に借金男が凍りついたのは言うまでもない。

 あれほどベラベラとうるさかった口を震わせて、息を呑み込む。

 その湯上りて火照った肌から血の気が引いて行くさまを和夢は横目で眺めていた。


「……あ」

「ん? どうかしたか?」


 勢いに任せてあんなこと豪語したのだろう。きっと保証もアテもどこにもないのだ。

 それをこんな風に掘り返されては気が気でないのも当然か。

 唇を開閉して息ばかりを吐き出していた男が、震える口を開く。


「えーと、言いにくいんですけど……」


 目をあちらこちらに彷徨わせて置き場のない手で意味のない手振りをする借金男。

 そのわかりやす狼狽っぷりは憐憫れんびんに値する。


 流石の総司郎もそう判断したのだろう。

 宥めるように口端を持ち上げて落ち着いたトーンでこんな事を口にした。


「わかっているさ。今までずるずる滞納するぐらいだ。そんな大層なこと期待してない」


 総司郎は眉尻を下げて笑う。

 よくもまぁ、慰めるようなていで荊の様なセリフを言えたものだ。総司郎のそれは意図とは正反対にまるで嫌味や貶し言葉に部類される。

 和夢は表情を動かさないまま、胸の中で苦笑った。


 借金男のほうも同じようで、顔を僅かにひくつかせている。


「う゛……、それなら、イイんですけど」

「ああ、大丈夫さ。それができれば滞納なんてするはずないしな」

「ぐぅっ……!」


 しかし全く二人のことなど気にも留めない様子で相好を崩す総司郎。

 その様子に和夢がなんとなく腹立たしさを感じたのは、きっと深読みするきらいがあるからだ。

 そういう事にしておく。


 和夢が腹の虫の居所をなんとか納めていると、そのにこにこと毒気のない総司郎の笑みに、言葉が落とされた。


「じゃあ、なんでそんな奴助けたんスか」

「?」


 和夢は目を瞬かせた。

 誰の放った声か一瞬わからなかったからだ。

 僅かに俯けていた首をあげると、なにやら神妙な顔をする男がいた。


 先ほどまでの軽薄そうな笑みを引っ込めて、なにやら曇りがかった表情を浮かべている。


「払った金なんか返ってこないこと分かりきってて、なんであんな大金払えるんすか」


 吐き出した声は実に重苦しいものだった。

 なるほどこの男にも身を案じるぐらいの頭はあったらしい。

 そんな若干失礼なことで、和夢は小さく目を見張った。


「いや、なんと言うか。そうだなあ」


 ふふふ、と総司郎が言葉を濁す。

 借金男の問うたことは、和夢も少しばかり興味があった。

 主の悪癖のひとつ、「」には和夢もだいぶ慣れたものだったが。

 だとしたって、なにもを選ばなくったっていいはずだ。


 二人のぶんの視線が集まる中、総司郎はぽつりとこんな事を言った。


「ただ、君とは気があうと思ってな」

「?」


 意味を探るように、眉を寄せた男は次の総司郎の言葉を待つ。

 そな視線を焦らすように一つ咳払いをして、喜色満面の表情を浮かべた総司郎が薄い唇を開いた。



「『HERO ・ BIRTHヒーロー・バース!!』……」


「!!!」



 その単語一つで目を見開いて固まる男。

 男の反応がお気に召したようで、総司郎は満足そうに笑みを深くした。


「ほら、やっぱり」


 和夢も総司郎に仕えているのでよく耳にするゲームの題名だ。内容もよく知っている。

 しかし何故、今その名が出てくるのか。合点がいかない。


 借金男は目を白黒させながら総司郎を見つめた。


「え? ええ? もしかしてあなたも……?」

「ああ、俺もあのゲームが大好きなんだ。よかった よかった、独りよがりだったらどうしようかと」


 確信はなかったようだ。

 そんな曖昧なものでポンと大金を出せる肝っ玉と呑気な心意気には本当に感心する。


 ──そう言えば確かに、この男はゲームで借金を負ったとか、そんな話だったかな。

 確か粳場とか言う男の言ったその言葉に総司郎は強く反応したのだったか。

 ──なるほど、それで……。


 思案に耽る和夢の横で借金男の表情がこの日一番に輝いた。


「あ、俺ッ! 前回のトーキョー大会は予選落ちだったけど、ちょっと前に地区大会で優勝したことあって、」

「ほう! それはすごいなぁっ」


 総司郎も語り合える相手が見つかって嬉しいのだろう。嬉々として男に感嘆を送る。


「あ、いや。まぁ全然ちっちゃい大会だったんだけどさぁ」

「でもすごいじゃないか、優勝だぞ優勝。……なあ和夢、これはいい拾い物をしたかもしれないっ」


 和気藹々ゲームのことについて語り出す二人の男と主。

 盛り上がっているようで何よりだが、一人取り残された小さな従者は密かに舌を打った。


「オタクどもが」


 そんな呟きなど水を得た魚のように話す二人の耳に入るはずもなく。

 さっきまでの陰鬱な空気など何処へやら借金男が食い気味の言葉に力を込めた。


「最近更新されたエフェクト! アレやばくないっすか⁉︎  めちゃくちゃ燃えますよね!」

「ああ、わかるっわかるぞ。あれをどうしても使いたくていつも剣士になってしまうんだ」

「そーなんですよねぇ。でも他のレベルも落としたくなくって……」


 和夢にはあまりよくわからないところまで話が広がっていってしまう。

 和夢にとっては興味のないゲーム談義が長々と。飽きもせず延々と続いていく。

 さすがに退屈になって部屋の隅で一人息をついた。


 総司郎が正面から両腕で肩に手を添える。


「ワタル君。いや……改めサザンカ!」

「さざ?」


 聞きなれない単語に首を傾けた借金男。

 我らが屋敷の主人さまは真っ直ぐにその男を見つめた。

 一切の邪気はない、ただただ純粋な喜びや希望に溢れた鈍色の

 借金男が大きく一度肩を震わせる。


 そして、男には断りようもない『頼みごと』を突きつけた。




「君にヒーローになって貰いたい!」

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