冬の錯夢(さくむ)

冬野 周一

第1話 過去と現在が交錯する

午前0時の時報がラジオからこぼれた。カーテンの隙間から、街並みの灯が白く濁った窓に映し出されている。赤々と燃えるストーブの上で「シュー、シュー」と白い水蒸気を吐き出す音が聞えた。すると語り掛けるように深夜放送のDJが、BGMにのせて「テーマポエム」を朗読し始めた。

「午前0時のスペースゼロ、今夜もあなたを時空の旅へとお招きしましょう。満点に輝く夜空の星が、音楽の調べによせて、そっとあなたを包みこみ語り掛けます。過去が、現在が、そして未来の旅が、時間を超えてあなたをお招きいたします。愛を語り合う恋人のように、そっとやさしく呟いてご覧なさい。ほら、もうあなたは時の空間に佇む旅人です。もう一度呟きを「もう一人の自分に」。


 一人の女性が、コートの襟を立てうつむき加減に、薄暗い街灯に照らされながら歩いて来る姿が見えてきた。ふと辺りを見渡すと、しんと静まりかえった街中に私は立っていた。

「何時だろう」と左腕を持ち上げ、見慣れた腕時計を見ようとしたが見当たらない。ポケットの中を探してみたが無駄だった。どこに忘れたのだろうかと過去の記憶をたどってみたが、全く頭の中に呼び起こすことが出来ない。何か重くのしかかったものが頭の中に覆い被さり過去の記憶を塞いでいるように思えた。なんだかすっきりしない気持ちではあったが、不思議にも気に留める思いにもならない。まるで全ての感覚を失ったかのように、自分の身体も心も捕まえることが出来ない奇妙な幻覚を感じていた。ふと空を見上げると、空は晴れ渡っているのに、星が見えない、まるで闇の世界へ引きずり込まれていくようだった。


 ふと目線を下ろすと、先ほどは遠くにいた若い女性がすぐ目の前に姿を現わしてきた。

「今晩は」突然彼女は、私に軽く会釈をしながら言葉を発した。その顔には薄ら笑いを浮かべながら親しそうに話し掛けてくる。「やっと逢えましたね。何度も電話をお掛けしたのですが、お留守のようでしたね。もう会ってくださらないのかと不安な思いでした」私は驚いた。と同時に自分の身体を退いたつもりだったが、自分の足は動こうとしなかった。

「何を言ってるんだこの女は。人違いだ、今まで見たことも逢ったこともない筈だ」と心の中で叫んだ。「失礼ですが私はあなたを存じ上げません。人違いではありませんか」丁寧に自分の主張を促してみた。すると彼女は嘲り笑うように言った。「冗談はよしてください、それとも私をからかってらっしゃるの。もしかして、あなたは今夜こうして私と出会ったことを快く思ってらっしゃらなくて、自分を否定しようと考えておられるのかしら」

彼女の顔にはすでに笑みはなく、食いつくかのような真面目な目付きで私を睨んでいる。

私は怒りを覚え、顔をしかめながら彼女を睨み返した。

「冗談を言っているのはあなたの方でしょう。私は本当にあなたに逢った覚えなどない。今夜初めて見る顔だ」私は少し興奮気味に自分の主張を押し通そうとした。すると彼女は、ショルダーバッグの中からある品物を私の目の前に突き出してきた。

「この腕時計に見覚えがないとおっしゃるのかしら」私は差し出された腕時計に不意を食らったようにあわてて声を発した。

「どうしてその時計を」彼女は勝ち誇ったかのように少し声を上げて笑った。

「ほらご覧なさい。これでもしらばっくれるおつもり?」

「どうしてそれをあなたが持っておられるのですか。確かにその時計は私のものです。しかし何と言われても私はあなたを知らない。一体あなたと私はどういう拘わりを持っているとおっしゃるのですか」

私は静かに彼女に問いかけると同時に自分自身にも同じように問い返してみた。すると彼女は、まだしらを切るつもりかと猜疑心に満ちた目付きで私を睨んでいる。

「そう、そこまでおっしゃるのならお話しましょうか」彼女は半ばあきらめた風に寂しげな笑みを口元に浮かべながら歩き出した。

「どこか落ち着ける場所でお話しましょう」

「えっ」と私は声を上げて辺りを見渡してみたが、すでに街中はひっそりと静まり返って営業している店など一軒も見当たらない。かすかに風の音が聞えてくるように思えた。しかし、彼女は気に留める様子もなくかすかに鳴り響く風の音に誘い込まれるように闇の中へと歩き始めた。私はそんな彼女の後を追うことを躊躇したが、身体は勝手に引き込まれるように追いかけていくのだった。

どのくらい歩いたのか、どこを歩いたのか記憶はなかった。相変わらず空には星が見えない。気付くと大きな建物の前に立っていた。辺りを見渡してみたが、この建物の他には何も見当たらない。よく見るとこの建物は白い壁塗りの古びた館だった。白い館が暗黒の世界でより一層浮き立っているように見えた。

彼女は建物の扉を開き入って行った。私も後を追うように入っていみると薄暗い照明が店内をかすかに照らしていた。あたりに数人の人影が見えるのだが、ぼんやりとしてはっきりしない。いつの間にか運ばれてきたコーヒーを彼女は口にしながら「目覚めにいかがかしら」と私にすすめる。何気なくカップを手に取ってみたが感覚がないのと、口に入り込でからの味覚も感じなかった。

「少しは落ち着いたかしら。もう一度だけ伺いますが、あなたは本当に私を知らないとおっしゃるのですね」

「知らないものは知らない」私は強い口調で答えた。

「それじゃあ仕方がありません、あなたとのお話をしていきましょう」

と彼女は言いかけて、先ほど差し出してきた私の腕時計をテーブルの上に置いた。

どうぞと彼女は押し付けるようにテーブルの上を滑らして私の前に持ってきた。私は少し戸惑いながら手にした。その瞬間私の目に時計の針が12時を指しているのがかすかな記憶となって働いた。こんな時間に自分は何故あんな場所にいたのだろう、そして彼女は一体。しかし過去の記憶は一向に呼び戻すことが出来ない。首をひねったり、頭を叩いている私に不可解な目付きで彼女が問いかけてきた。

「どうかなさって、こんなこと口にすると怒られるかもしれませんが、あなたは記憶喪失にでもなられたのでしょうか」「そんな馬鹿な」と私は大声で叫んだ。

「それじゃあ一つ二つ質問させていただいてもよろしいでしょうか」

「どうぞ」と私は強い口調で言いのけた。私は一瞬不安を覚えたが、彼女への反発心が湧きあがった。

「簡単なことからですが、あなたの名前と年齢をお聞かせください」彼女はまるで罪人に対して尋問を行う裁判官のような口調で問いかけてきた。

「坂下恒平、25才」言い終えて、少し口元が緩んだ。「どうですか、何か間違っていますか」と自信に満ちた口調で投げつけた。

彼女は少し押され気味になった立場に困惑の表情を見せたが、なおも一層強い口調で問いかけてきた。

「それでは今あなたが手にしている時計を何故私が持っていたか、お解りになりますか。私が先日呼び出した時に忘れて行ったということを。あなたは私と逢っていたことを否定なされますが、その品物が事実を証明する一つでもあります」

彼女は少しうなだれるように静かに目を閉じた。私はそんな彼女に、一種の哀れみを覚えたが、それ以上に彼女との関係をはっっきりと知りたいという焦燥心に駆られた。

「私は、今過去の記憶というものがはっきりと掴めません。ですからこの腕時計が、どこで忘れたのか思い出せないのです。あなたの言ってることが嘘だとは言いません、あなたが事実をおっしゃっているという事を信じないわけでもありません。それでもう少し、具体的に私とあなたの関係をお話願えませんか」

彼女は閉じていた瞼をゆっくりと開け、少し間をおいて喋り始めた。

「あなたは私のことを記憶にないとおっしゃられるわけですから、私がどういう人間かご存じないでしょう」私はうなずいた。「それでは、私のことからお話しましょう。私の名前は山本百合子、23才で化粧品会社の企画部で働いています。新潟から出てきて5年が経ちます。もちろん独身で一人暮らしです。ざっとした素姓はこんなところですが、あなたとの関係をお話しないといけませんね」

「あなたと出逢ったのは3年前、私が短大を卒業して今の会社に就職をしてすぐのことです。新宿のカラオケクラブで、私達新入社員の歓迎会の二次会であなたと出逢ったのです。偶然の出逢いなのでしょうが、私には糸で操られた運命のように思いました。たまたま私達の先輩とあなたが知り合いであったことが。そして先輩を介して私達は付き合い始めて3年が経とうとしています」まるで彼女は失恋話を打ち明けるような哀しげな表情で語った。「まだあなたはおとぼけになるつもりですか?」

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