自壊する肉塊
旭
起(1/5) 5,228字
吸入麻酔薬の投与、痛みは脳の誤作動で、除去すべきノイズなのだから。
四肢の切断、自律歩行は必要無い。君の終末はここで、抱き締めるのは僕の役割だ。
聴覚の除去、君に悲鳴を聞かせるわけにはゆかない。
鼻は焼き潰しておく。呼吸は僕が代わろう。
口から始まり咽頭、胃、小腸を経由し肛門へ至る、全消化器官の切除。空腹とは慢性的な病である。根治が必須だ。
他にも様々な前処理が必要だが、特に注意すべき点は以上である。
重要なのは、視覚以外の全てを排除すること。また、排除の過程で一切の感情を与えぬこと。
そうして、もはや眼球と脳、心臓と肺だけになった君に、文字を与える。ただ、只管に、文字の奔流を見せつける。瞬きは許さない。叶うなら、文字の色やフォントといった情報も余計だから、消し去りたいくらいだ。
果たして君は、概念を、文法を、言葉を得るだろうか。
僕はそれを、魂と呼んでも良いのだろうか。
彼女の魂を証明する。僕の願いは傲慢だろうか。
魂とは、観測の配列だ。魂は、主観的、物理的な電気信号やその発生源に依存しない。
魂とは究極的に還元すれば自意識である、と人は言う。そんなものは嘘っぱちだ。魂の有無はいつだって、他人が決める。自分に魂があるのかなんて、独り善がりに決められるものじゃない。人は、魂は、誰かに観測されて初めて、実在する。真空管の中で自壊する肉塊を、僕は魂と呼ばない。
魂は、疫病のように伝染する。魂は僕を蚊に見立てて、指数関数的に拡散し、遍在する。僕の知らない人が、僕を知っているのはそういうわけだ。
デジタルな空間にさえ、魂は感染を拡大させようとする。肉体が鮮度を保持できる期間に比べれば、0と1で構成された空間の寿命は遥かに長いから。もちろん、粘土板や紙には敵わないけれど。
魂は客観的観測によって存在するんだから、主観たる僕の意思とはまるで無関係に、否応なく他人に観測され、存在を与えられる。魂の生存本能的絶叫が、僕の肉体を駆動する原因ならば、そこに僕の意思は必要だろうか。魂は僕にお構いなく僕を踏み台にして、より良い空間へ食指を伸ばし、生存領域を確保しようとする。だから、人はモノを書かずには居られない。肉体の所有権を明け渡して、魂の絶叫を表明する。0と1を越えた先にある
結局のところ僕は、観測の時間的連なりに現れる特定のパターンを以って、魂を証明しようとしている。
人工知能とはAI――アーティフィシャル・インテリジェンス――の日本語訳である。マコーダックはその起源について「神を人の手で作り上げたいという古代人の希望」と記した。
計算機が発明される以前、古代人は魂の在り処を求めて、精神外科と将来名付けられる技術を産み出した。神の名の下に、正常な人間の脳を生きたまま解剖する。なんて傲慢な行為だろう。罪は、人格は、信ずる神は、治療可能だと言って憚らず、西洋医学の万能を省みない人間は今でも多い。犯した罪は赦されず、人格は死以外で朽ち果てず、信ずる神など初めから居はしないというのに。「治療」の過程で、脳の特定の部位を切り取り、感覚器に刺激を与え反応を観測した。果たして人類は、魂の観測に成功した。
精神外科とは、差別と傲慢の歴史であり、人類が至上へゆくための不可避の
魂の実在を確信した人類は、動物性脂肪が煌々と燃え盛る松明の代わりに、計算機と哲学で隧道を照らした。果たして僕達は、隧道の先に、純粋な魂の形を見た。0と1が極限で融解した、純粋な魂を。
それはさておき、尻の話をしよう。御清覧頂きたい。
尻が、住みにくい人の世と意地っ張りな私達の間に割って入ってどうにか折り合いをつけて今生に居座るための器官だとするならば、この人類史的叡智の結晶がある一定の柔軟さを備えているのも納得がゆく。
物質的な話をすると、この部位の柔軟性を担保しているのは不摂生な人間の腹に溜まるあれと同質のものである。腹に溜まれば用途は限定的である一方、尻に溜まった時の可能性は広大だ。撫でて良し、揉んで良し、私に良し。
女性の尻というものは男性のそれと比べてずいぶんと柔らかい。多岐に渡れど主たる用途は揉むことである。
手は人類にとって万能の感覚器であり、特に掌は人体のうち神経の最も集中する器官の一つである。加えた圧力に応じて掌は満たされ、私達は全身が心地よい圧迫に晒されているものだと錯覚する。遠い幼少期に抱かれた母の胸を想起させる包容力が揉むことの本質の一端であることは否定できまい。
揉むという行為が何故これほどまでに人を惹き付けて離さないのか、浅学たる筆者は斯様に推察するに留まるのみである。
また、臀部の筋量は下半身の運動能力を支配的に結論する。故に古代にあって狩猟を主な生業としていた男性の尻には女性に比べ遺伝的に筋肉が付きやすい。
生物学的見地から男性のような固い尻は揉むに値しないはずであった。しかし人類誕生より五百万年と二十世紀の後、遂に私達の満願は成就したのである。
尻という概念の哲学的発見により物質的な柔らかさを超えた人類の欲望は留まる所を知らず、今日もまたその刃を他者へ突き付けている。
尻を差し出すべきか差し出さざるべきか、それが問題だ。読者諸氏の意見を伺いたい。
朝、
男性並の身長とハッキリくびれた腰のライン、そこからスラっと伸びた脚は尻の小振りなことを除けば有象無象のアイドルを相手にしない。
化粧っけのない小顔に、髪は短く、露出したうなじに残した僅かな女性が後頭部で性別を主張している。人並みをやや下回る胸と尻は女性にしては厚みに欠け、尻に関して言えば男の尻と呼んでも差し支えない肉付き。
服には金を掛けず一年を通して量販店のロングTシャツとジーンズを愛用している。ただでさえ固い尻の上に尚固く色気の感じられないジーンズを履いているにも関わらず、彼女の尻は頻繁に狙われる。
誘蛾灯に群がる羽虫の如く変態共が彼女の尻に引き寄せられるのは、彼女の臀部から変態御用達の誘引剤が放たれているからに違いない。
しかし、敬春はこの痴漢を黙認していた。悲鳴によって守られるなけなしの女子力と書きかけの論文を天秤に掛けたとき、教授の顔と締め切りがちらついたからに他ならない。か弱き可憐なる乙女は目的地までの間、車内の支柱に身を寄せて耐えていた。
「次は杉本町、杉本町」
車内アナウンスとともに電車が駅を出た。この時間、敬春を含め乗客のほとんどは次の杉本町駅で降りる大学生だ。
敬春がどうにか身を捩って後ろに目を遣ると、視界の端にスーツ姿の黒い影が映った。顔こそ確認できなかったがその男と敬春の尻の間に置かれた鞄の形状から学生ではないことが分かる。ジーンズ相手に痴漢も無いだろうに、と敬春はそれ以上の興味を払わず車窓へと視線を戻した。
何時の世も痴漢に手を染める輩は脂ぎった中年と相場は決まっている。敬春は痴漢の正体が学生でなかったことに、ふぅ、と息を吐きとりあえずの溜飲を下げた。大学生のうちから痴漢に目覚めるなど業が深すぎる。
窓の外は都会を離れ、乗客は喧騒から切り離されていく。
世の多くの人間と同じく、敬春もまた痴漢を歓迎する趣味はない。しかし、いくら彼女がタフであろうと、限界というものは誰の下にも訪れる。
背後で尻を揉み続ける悪漢を亡き者に出来ればどれほど痛快だろうか。しかし、犯罪者を締め上げ問答無用で首を刎ねることを、日本政府は許さない。
現行犯を逮捕する以上の権利を、この国の一般市民は与えられていないのだ。首を刎ねるのは裁判所の仕事である。と言っても現代日本の場合は、中世フランスで愛された古き良きギロチン台でなく絞首台なので、首は繋がったままだが。
敬春の経験から言えば、痴漢を捕まえ駅のホームへ引き摺り出した時にはおおよそ三つの手順で事が進行する。まず通勤ラッシュで真っ直ぐ進むのも難しいホームを掻き分けて駅員がやってくる。次に顔面を蒼白にした犯人がホームで土下座をする。最後にその光景を面白がって黒山の人だかりが出来上がる。
警察が来るのはどう見積もってもそれから十五分は掛かる。朝の十五分がどれほど貴重であるかを彼らは理解していない。
この世界は相対的だと、かのアインシュタイン博士も言っていた――熱いストーブの上に一分間手を載せてみてください。まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。ところがかわいい女の子と一緒に一時間座っていても、一分間ぐらいにしか感じられない。それが相対性というものです――。
敬春の記憶によると結末はいつも遅刻であった。そうして教授室なる略式法廷で彼女が裁かれ銃殺されること必定である。法廷で尻の弁護をしても仕方がない。
それどころか遂にこの暑さに頭をやられたのかと勘繰られるに違いない。毎日嫌でも顔を突き合わせる研究室の同胞から向けられる憐憫の眼差しを一身に受け止めることができるだろうか。それに比べればここは甘んじて痴漢に尻を差し出すべきではないだろうか。読者諸氏の意見を伺いたい。
敬春は「あと一駅だし」と自分に言い聞かせて、すし詰めの車内で広告を見上げた。吊り広告には様々な週刊誌が原色を多用した目に毒々しい色使いで一面記事の見出しを載せている。
市井の耳目を集める手法は古来から変わらない。内容を問わず興味を引くための手段として、論理は迂遠なのだ。興味を引けさえすれば後はどうなろうと構わない、という昨今の風潮は敬春の最も嫌いとするところの一つである。
だが悲しいかな、敬春もまたヒトであった。敬春は僅かに脳裏を過ぎった敗北感に蓋をして、吊り広告に書かれた週刊誌の見出しに目を遣った。
「
仮想世界は計算機科学的実験や娯楽的フィクションとして構築されることが多いが、哲学者や理論物理学者の思考実験が行われる空間もまたそう呼ぶことに差し支えはない。
シュレディンガーの猫やラプラスの悪魔が住む箱の中は紛れも無く、仮想世界なのだ。
一方、これと良く混同される概念として
多様なデバイスを装着することで視覚や聴覚だけでなく皮膚の触覚を刺激することも可能で、仮想現実への没入感の高さには眼を見張るものがある。
航空機の操縦訓練などに利用されている技術だが、近年はオンラインゲームなどのエンタテイメントへの応用も活発になってきた。この種の技術体系を総称して仮想現実と呼ぶ。
仮想現実が任意の法則を持った世界を人工的に作り出す“技術”そのものを指すのに対し、仮想世界は技術ではなくそれによって構築された“世界”そのものであることに注意されたい。
翻って、仮想世界というアイディアは理学哲学に留まらず古くから創作活動や興業に積極的に利用されている。シュレディンガーの猫という思考実験の理学的功績だけでなく、マトリックスなる映画の興行的成功は誰もが知るところであろう。
シムシティや、ときめきメモリアルのような一般にはシミュレーションというジャンルでまとめられるゲームなどは仮想世界として私達の身近にあって久しい。
しかし仮想世界が私達にとって身近な存在になるにつれ、負の側面が問題視されてきた。敬春の視線の先にある見出し曰く「仮想世界に生きる人々」である。
週刊誌の見出しから想像できるのは、ゲームに没頭する人達を指して現実から逃げた卑怯者だとか、そういった根も葉もないヒステリックなつまらない論調なのだろうな、と敬春は窓の外へ視線を戻した。繁華街から離れたせいか殺風景な商店街が目立つ。もう間もなく駅へ到着する頃だ。
「杉本町、杉本町、お降りの際は足下にご注意ください」
車内アナウンスが敬春の降車する駅に到着したことを告げ、昇降口の扉が開かれた。か弱き乙女は痴漢の魔の手から開放されたのだ。
敬春は降り際、ふぅっと一息付いてから長い睫毛を揺らし射殺す様な視線で後ろを睨みつける。一人の男と目が合った。男ははっとして敬春から顔を背け、取り繕うように手元の新聞に目を遣った。おそらく奴が痴漢を働いていたのだろう。敬春が思っていたよりは若い男だったが奴も脂ぎった中年に違いない。ふふんと鼻を鳴らし敬春はホームを後にした。
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