第一試合 その4

 試合場を見下ろす、旧市街の時計塔の一つである。

 かすがいのヒドウは塔の石段に座って、屋根の上の存在へと言葉を投げる。


「お前でも、他の奴らの戦いに興味があんのか」

「……」


 それは、やや面倒そうに首を曲げた。無言でその試合を見下ろしている。

 星馳せアルスという名の鳥竜ワイバーンであった。


「……あっちは、誰だろう……。知らないな……」

粘獣ウーズのほうなら、無尽無流むじんむりゅうのサイアノプだよ。砂の迷宮から来たって話だ」

「……そっちは知ってるよ……会ったことあるし……」

「あ?」


 六合上覧りくごうじょうらんの書類に目を落としていたヒドウは、思わず彼を見た。

 サイアノプが戦っている相手は、おぞましきトロアだ。かつて直接刃を交えたアルスが、知らぬはずがない。


「……」


 ……そして気付く。ヒドウは、そもそも知っていたことだ。

 アルスからは、トロアを斬った、と聞いていた。ならば死んでいるのだ。

 死人が蘇るはずがない。勇者を騙る者がいるなら、トロアを騙る者もいる。


 ならば――あの場に、おぞましきトロアとして立っている何者かは?


「俺も、まだまだ間抜けだな……」

「……何が?」

「いや……先入観の話だよ。『あの』おぞましきトロアなら、不死身でもおかしくないって思っちまってたのさ。そんなわけないのにな。考えが子供のまんまだ」


 しかし、仮にそうだとしてもだ。

 ヒドウは改めて、試合場を囲む観客を見渡す。


 観衆の誰一人、あのおぞましきトロアが偽者だと想像すらしていないだろう。

 彼の振るっている魔剣は、誰の目にも明らかな本物だ。そしてこの世界において、これだけの数の魔剣を収集できた存在は、おぞましきトロア以外にはあり得ぬ。今の今まで、経緯を知っているヒドウすら疑えなかった。


 魔剣にしか不可能な技を。空を飛んでも、方向も関係ない。魔剣がまるで生き物のように――何一つ、アルスの語った強さと違わない。

 ヒドウは、掌を口元に当てる。思わずその疑問を漏らす。


「あれは何だ」

「…………? 知らない」


――――――――――――――――――――――――――――――


 サイアノプは、拳の間合いの外にいる。

 トロアにとって、それは剣の間合いだ。


 サイアノプの拳は、その姿形以上に無形だ。そこには無限の選択肢が存在する。

 その上でなお、攻めの手を見出だせぬ状況がある。それが今だった。


(……強い。単純な技量に優れるだけの使い手ではない。戦いにおける既知と未知の駆使を、知っている敵だ)


 打撃による速攻は不可能。トロアには鎖の剣による自動迎撃を間に合わせる技があり、強引な突破を試みれば肉体が寸断される。

 関節技による一撃必殺は不可能。自らの肉体を切り離す技を隠していた。機械部品じみたあの魔剣を封じた上でなければ、仕留めることはできない。


 それらの魔剣への対処を講ずることは、サイアノプであれば無論可能だ。

 だが、選択肢を限定する既知の情報を乗り越えた先には、未知が立ちはだかる。三本もの、未だ明らかならざる魔剣。

 その内の一つは、これらの防御手段を潜り抜ける狭い道筋を狙い、サイアノプを殺し得る能力であるかもしれない。


「魔剣の作用は二種しかない。剣の機能など、所詮はその程度だ」


 トロアの動きを制約するために、サイアノプは告げる。

 かつて、自身の肉体に可能な全てを用いて強くなると決めた。言葉による誘導と揺さぶりも、その一つだ。


「――うまく当てる機能か、当てて殺す機能。二つに一つだ」

「その身で試すといい」


 トロアが動く。それはまるで生命持つ武器庫だ。紐。鎖。蝶番の仕掛け。ありとあらゆる仕込みで、全身に備えた魔剣のいずれかが来る。恐るべき技巧だ。直前まで判別がつかぬ。


 見える軌道が四条に分かれる。幻影による刺突撹乱。瞬雨の針――


「“烏合”」

「ふ……!」


 ただ一つ存在する真の刺突は捌かれ、内への踏み込みを許す。

 しかし鎖の魔剣の迎撃を直前にして、サイアノプもまた打突を停止する。


 先のような奇襲であればともかく、この剣の距離からの多重幻影による撹乱では、サイアノプの防御技術を上回ることはない。風を切る音と質量の気配。サイアノプにはそれで事足りる。

 ……一方で、トロアは両の手で、攻撃と防御の二種の魔剣を同時に用いることができる。故に千日手となる。

 そのように思われた。試合を見る強者ですら、そのように思った。


 だが、トロアはさらに続けて踏み込んだ。


「――“烏合”!」

「無駄だ!」


 幻影の突きを回避する。次は踏み込むことはない。それは誘いだと分かっている。

 トロアの右腕は鎖に添えられている。自動迎撃の技巧たる“羽搏はばた”の備えである。

 さらに刺突の五月雨を繰り出す。


「僕の消耗を狙っているのなら――」


 後退しながらも、サイアノプは整然と思考を続けている。


「それは貴様が焦っているためだろう。おぞましきトロア」

「……よく喋る粘獣ウーズだ……!」


 先程にサイアノプが仕掛けた“肩固め”は、一瞬にして脱出された。

 しかしそれはサイアノプが用いる限り、一撃必殺の技でもある。あと一呼吸でもその状態が続いていたのならば、頭部血流を遮断し、同時にトロアの両肩を完膚なきまでに破壊することもできた。


 たとえ一瞬で抜け出たとて、その一瞬で開いた綻びは、決して塞がることはない。

 右腕。いずれ右腕に限界が訪れる。故に焦り、短期決戦を望んでいる。

 そして、トロアは。


(サイアノプ。お前は強い。お前に読み勝てる者は今のこの世にいないのだろう)


 刺突を繰り返す。サイアノプは後退する。内に踏み込めば迎撃される。待ち続ければいずれ、突きを繰り出す右腕に限界が訪れる。サイアノプの認識において、それはもっとも確実な最善手だ。

 サイアノプの読みは正しい。トロアは確かに、試合の決着を焦っている。


(だが)


 “烏合”。捌かれる。躱される。切っ先を掴まれる寸前で引く。

 常人では決して見切れぬこの幻影の剣が、サイアノプには尽く当たらぬ。

 星馳せアルスと戦うために来た。だが、ここまで強い者がいた。


 遠くに馬車が見えた。その中から試合を見守る者を知っている。

 ミジアルが、おぞましきトロアの戦いを見ている。かつての自分自身が、トロアの戦いを見ていたように。今は彼が見ている。


(――読んでみろ。世界の全剣。史上の全技。俺一人ではない。かつて生きた、魔剣士の全てを! 読んでみろ!)


 右腕で刺突を繰り返す。そうして踏み込み続ければ、姿勢は半身になる。迎撃を構える左半身が隠れた。

 そのように視線を切った影、ファイマの護槍の刃で、自身の左の掌を斬っている。


 そして、瞬雨の針を繰り出し――その勢いのまま、投げ落とした。

 魔剣に伴う幻像は、突然に変化した軌道に乱れて、視界を暴れた。


「!」


 サイアノプすらも、異常極まる軌道変化を前に一時怯んだ。同様の技の繰り返しの中でこそ意表を突く技。“鳥没”。

 ――そして。


 そしておぞましきトロアは、紐。鎖。蝶番の仕掛け。

 ありとあらゆる仕込みで、全身に備えた魔剣を繰り出すことができた。


「“落……巣”!」


 指の紐を引く。右腕の突きは、虹色の光沢を放つ合金の魔剣へと切り替わる。

 バージギールの毒と霜の魔剣。それは無論、瞬時に回避したサイアノプに届くことはない。

 それでも、左掌で浴びせた血液は違った。


 突き出した刀身を通過した、トロアの血の一滴を、サイアノプは浴びた。

 “鳥没”でこじ開けた意識の間隙がなければ、それすら命中することは叶わなかったはずだ。それだけの技量が、サイアノプにはあった。


「これ、は……! うぐっ……!」


 ぞばり、と原形質が膨れ上がった。

 サイアノプの肉体が、透明な針の如き微細な結晶体へと変異していく。

 それは刀身に接触した生体に感染し、際限なく侵食する、一撃必殺の魔剣。

 血の一滴すら媒介となる。


 一撃必殺の魔剣を狙っていたことも、消耗を厭っていたことも、サイアノプの読み通りに、真実であった。

 故に、おぞましきトロアの未知が上回った――


「終わりだッ! “無尽無流むじんむりゅう”!」

「まだ……だ!」


 動作を許される最期の時間で、サイアノプは駆けた。

 自滅を覚悟で距離を詰めるその選択も、正しい。トロアが自ら傷つけた左腕は、繊細を要するファイマの護槍の“羽搏はばた”を放つことができぬ。

 だが。


 おぞましきトロアは、ありとあらゆる仕込みで、全身に備えた魔剣を繰り出すことができる。

 それは例えば、左腕の紐から手繰り寄せたインレーテの安息の鎌。


「“啼声ていせい”!」

「“角手つので”!」


 無尽無流むじんむりゅうのサイアノプは、それで縦の二つに両断された。

 父の得意とした“啼声ていせい”は、長柄鎌の刃の根本を握り、極近接の攻撃に対処するのみの、あまりにも単純な技であった。

 だが――見える幻影を信じぬことを意識に刻み込まれた者に限っては、風も切らず音も立てぬインレーテの安息の鎌は、対処不可能の、真実の脅威となる。


 トロアは両膝を折った。捨て身のサイアノプが通り抜けるその時に、鋭い貫手によって両膝を打ち抜かれていた。

 全ての魔剣を駆使して、この戦いに勝った。立つことは……


「――立つことはできない」


 背後で、声が告げた。トロアは折れる膝をこらえて耐えた。

 深刻な危機を告げる汗が、背に噴き出した。


「手首の返しで、武器を瞬時に切り替えることができる。腕のその動作と合わせる必要上、貴様の用いる魔剣の技は、僕が破壊した両腕ではなく、起点となる足捌きこそが真髄だ。この見立てで正しいか」


 振り返ろうとする。視界の左、切断されたサイアノプの半身が溶けている。

 毒と霜の魔剣に冒された側の半身が。


(……あの一瞬で)


 あの一瞬で、その判断を下したのか?

 致死の毒に蝕まれた半身を切り離して、中心となる細胞核のみが、両断する剣の軌道を避けたというのか。

 無尽無流むじんむりゅうのサイアノプには、それができたというのか。


 否。できたはずがない。予測できるはずがない。

 如何に単純な構造の粘獣ウーズであっても、体積の半分を失い、生きていられるはずがない。


「【サイアノプの鼓動へ p o p o p e r o p a 停止する波紋 p a r p e p y 連なり結べ p e c p p o r p p e 満ちる大月 p o r p u p e o n 巡れ p e r p i p e o r 】」


 生きていられるはずがない。尋常の粘獣ウーズならば。

 極め技という真の必殺を、これまで誰にも見せていなかったように……

 サイアノプという戦士が用いる全ての手段を知っている者は、誰もいなかった。


「俺は。俺は、おぞましきトロアだ」

「……試合の最初に肝臓を打ち抜いている。その痛みを自覚していないだろう。貴様は知らぬ内、呼吸の詰まった状態で戦い続けている。そのように動かした。振り返り、踏み込み、それで終わりだ」

「そうか」


 それは、おぞましきトロアも同様であった。

 トロアもまた、魔剣の異能の全てを見せておらず――


 上半身のバネを用いるその技は、僅かに半歩の踏み込みで終わる。

 不可視の延長斬撃を一点に絞ることで超遠隔を穿つ、その技の名を。


「……“啄、み”!」

「僕の見立ては」


 踏み込んだ足が地を滑った。

 そして崩れた。僅か半歩で、おぞましきトロアの視界は地面に沈んだ。

 必殺の技を放つはずであった神剣ケテルクは、手から滑り落ちた。


 地に伏した彼には、戦場を去るサイアノプの姿だけが見えた。

 まるで両脚を切断されたかのように、起き上がることができなかった。

 

「絶対だ」


――――――――――――――――――――――――――――――


「……勝ちましたね」


 勝者には似つかわしくない、人垣から隠れるような影で、蝋花のクウェルは常のように目を伏せつつ迎えた。

 サイアノプとしても、民や他の出場者の目から隠れているほうが都合が良かった。


「その見立てだと言っただろう」

「えへ……そ、そうでしたね……でも、あの……最後の、あの生術せいじゅつ……」

「僕を誰だと思っている。あの彼岸のネフトの技を学んできている。半身を千切られようが、僕は不死身だ」


 事実――ごく単純な原形質で構成される粘獣ウーズ以上に、細胞再生の生術せいじゅつへの適合性が高い生命体は存在しない。体内核さえ残っているのならば、残る肉体をほぼ完全な機能で再生できる。彼は彼岸のネフトほどに生術せいじゅつを極めてはいないが、相対的な再生の効力に限れば、ネフトとほぼ同様の不死である。

 そして無尽無流むじんむりゅうのサイアノプの以前にそれを試みた粘獣ウーズも、存在していない。


「……やっぱり。勝てます……! あ、あのおぞましきトロアにも勝てたんですから……! サイアノプさんなら、きっと一番強く……!」

「五年を使うと言われている」

「……え」

「今回も予め、この体に再生の生術せいじゅつを施して臨んだ。残りの全試合でそうするつもりだ。一度の全再生で、僕は五年の細胞寿命を失う」


 全てに、その価値がある戦いだと信じている。

 彼岸のネフトとの戦いも、彼にとっては例外なくそうであった。


「あの、で、でも、粘獣ウーズの寿命……って」

「ふ」


 サイアノプは笑った。

 砂の迷宮で、二十一年の年月を費やした。決勝までには四つの試合があり、そしてネフトとの戦闘では一度の全再生を用いている。

 粘獣ウーズの命は、長いものでも五十年であるとされている。


「……奴は、本当に強かったな。最後が……一撃必殺の剣だったならば。殺さぬままの決着を許しているのも、貴様ら黄都こうとの都合だろうが……」


 最後のインレーテの安息の鎌は、うまく当てる機能の魔剣だった。


 当てて殺す機能の、毒と霜の魔剣を繰り出した直後であったからこそ、残している二本に同種の一撃必殺はないと読んだ――否。そのように願うしかなかった。どちらにせよあの状況では、死線を越える強攻を選ばされた。

 そうせざるを得ない状況に持ち込む力が、おぞましきトロアにはあった。


 それは勝者の驕りであるかもしれぬ。

 しかし、戦士としての全霊の決着を望んだ者として、心からそう思う。


「奴を殺さずにいられて良かった」


 第一試合。勝者は、無尽無流むじんむりゅうのサイアノプ。

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