間章 その2


 黄都こうと中枢議事堂内には、通常の政治決定が行われる場である本会議場とは別に、二十九官が“臨時議場”と呼ぶ、市民の知らぬ一室がある。

 壁の隅に一つの暖炉があって、長机を囲むように二十九の椅子が並べられた、ただそれだけの部屋だ。


「全員集まった? まあ、分かってるだろうけど、今日は王城試合の件ってことで、よろしくお願いします」


 会議の始まりを告げるのは通常の議会と同様、黄都こうと第一卿、基図きずのグラス。

 中肉中背、年の頃は初老にも差し掛かっているが、皺一つなく着こなした黒服と壮健な表情は、衰えとは未だ無縁だ。


「――先日、最後の候補者を受理したんで、試合については無事開催できる運びとなったわけだが。具体的な規定についてはまだ固まっていないことも多い。最初の議題は、既に決定している分について、前回不在だった第八卿、第十四将、第二十卿に事後報告させてもらう。まずはいいかな」

「ぼくは、改めて聞かなくても大丈夫ですよ。欠席委任もいたしましたし」

「俺はそもそも、出席してても役に立たないからなあ」

「あー……俺も大まかな話は聞いてるが、やっぱりそこは全員改めて確認した方がいいんじゃねえか? グラス、頼む」


 第二十卿、かすがいのヒドウはやや傲慢さも目立つ若い御曹司だが、知性の冴えに関しては誰もが認めるところだ。黄都こうと二十九官は建前上、年功や数字による上下関係はなく、武官と文官すらも同じ立場で席を共にしている。


「じゃ、予定通り行くか。当日の王城試合は、一対一の真業しんごう。そこに勝ち残った者同士が再び一対一。要は勝ち残り戦に決まった」

「前々から聞いてた通りだな。一度も負けていない奴を、一人だけ作れる。俺も文句はない。組み合わせはどうだ?」

「それは後日に保留という形になってましたね」

「……ってか、集まった候補者を見てからじゃないと決められないって話っしょ? もしもロスクレイが緒戦で負ける形になっちゃったら、まずいじゃん」


 第二将に話題を向けた男は、極めて長身の剣士である。第十六将、憂いの風のノーフェルト。勇者候補者として、既に不言ふごんのウハクを擁立している。


 一方で、第二将ロスクレイはすぐには発言せず、慎重に思考している。この試合、ただ一人運営者にして候補者であるロスクレイの圧倒的優位は、疑うべくもない。

 だが、彼の他の候補を擁立した者は、これまでと同じに、黄都こうとの偶像の勝利のみを助けるだろうか。それはあまりに楽観的な予測だ。残る二十八名の内で、勇者候補者を見つけた者。その誰かを調略する時間が必要になる。


「……組み合わせは、やはり慎重に考えるべきでしょう。無論、私も有利な条件で戦いたいところですが、開催まであと小四ヶ月。どのような不測の事態が起こり、候補者が入れ替わるとも限りません。そのたびに新たな組み合わせを考え直すわけにもいかないかと」

「それなら、組み合わせの件は引き続き保留だ。異議ある者は」


 挙手する者のいないことを確認して、第一卿は軽く頷く。

 あるいはロスクレイの他の者たちも、調略のための時間を欲しているか。内心を窺い知ることも、今はできない。


「……はい、では引き続き前回の決定。この一連の催事について、正式の名称を“六合上覧りくごうじょうらん”としました。天地と四方を、合わせて六合りくごう。今更面倒だろうが、市民の商売のためにも、名前は一つ決めた方がいいってことでね。以後このように呼んでください」

「第一卿。この件に報告を付け加えても?」

「どうぞ、第三卿」


 どこか鋭角的な印象を与える眼鏡の男は、第三卿、速き墨ジェルキ。

 常日頃の冷静さのままで、淡々と報告を告げる。


「この大三ヶ月で、三十八の商店より六合上覧りくごうじょうらんを用いた『商標』の使用申請がありました。主だったところを挙げれば、ハプール羽毛ギルド。アヴォック製菓店。インサ・モゼオ商会。エルプコーザ行商組合。もちろん最低限の審査は行いますが、現状以上に周知を進めるべく、積極的に許可していく方針です。特に活動範囲が黄都こうとより遠い、商人連合や大手行商。間諜隊を活用した広報と共に、勇者の決定を知らぬ者が残らぬよう計らいます」

「上手く働いているなら、この件についても問題なさそうですね」

「ずっと『例の試合』だか『王城試合』で通してたから、慣れなきゃあならんな」


 元より優秀な男だったが、第三卿ジェルキはこの試合の周知に、これまで以上に精力的だ。彼自身は勇者候補者を立てていないものの、何らしかの狙いがあるのだろう。第一卿は腹の底で考えている。


「報告を終えたところで、今日の本題に入ろうか。試合場について。今日で候補者はおおよそ固まったわけですが、まあ大方の予想通り、人間ミニアの数は多くはない。全て人間ミニア用の劇庭園でやらせるには、ちと問題がある」

「王城試合と告知して集めている以上は、城下で行うのが当然でしょう。民の集めやすさや交通の利便を考えても、劇庭園がもっとも適切かと」

「ちょっとちょっと。アタシは反対よ。巨人ギガントドラゴンだっているのよ? あれっぽちの敷地で戦わせて、市民や建物が犠牲になったらどうすんのって話よ」


 反論の声を上げた隻腕の男は、第二十五将、空雷のカヨン。

 両者の攻撃の射程次第では、対戦の開始距離が即座に勝敗に直結することもあり得る。彼の擁立候補が地平咆メレである以上、これは当然の主張といえた。


「しかし、今更新たな試合場を建造するというのは難しくはないか?」

「ある程度範囲を取り決めておけば、市街の外でも戦わせることはできるだろう」

「候補の誰かに尺度を合わせるなら、ロスクレイでしょ。やっぱり劇庭園が妥当だ」

「実際に公平かではなく、観戦した市民がどう受け取るかだ。人間ミニアの10mと、巨人ギガントの10mとでは……」

「そもそも真業しんごうを競うのなら、戦う場を作る能力も含めてしかるべきなのでは?」

「……一つ」


 二十九官が口々に意見を述べ立てる中、第一卿グラスは低く呟いて、混迷の兆しを収めた。

 黄都こうと二十九官に、表向きの上下関係はない。それでも、第一の席に座す者には、それだけの理由がある。


「――重要な事柄がある。この六合上覧りくごうじょうらん。こちらでどれだけ厳密な規定を定めたところで、候補にそれを遵守させる手立てがあるか……っと。こういったところだな。だから具体的な試合規定の話は、これまでしてこなかった。意味がない」

「規定を破れば失格。勇者の資格を失い、報奨金を没収。それでは足りませんか?」

「こちらが口で言うのは簡単でも、実効力があるかどうかという話になってくる。たとえばあの星馳せアルスに処罰を下すとして、誰か奴の財宝を没収できるか。第十七卿、できる?」

「……いいえ。非現実的な提案かと」

「つまりグラスが言いてえのはこういうことだろ? 試合条件に不満がある奴は、時間も場所も関係なしに、勝手に始める。それが最悪のパターンだ」


 第二十卿ヒドウは、背もたれに首を預けながら言った。相変わらず素行は悪い。

 無論、ある程度の損害は織り込んだ上での計画ではある。コントロール可能な範囲であれば、建造物や人命の損失も許容はできる。勇者という存在を獲得する価値を、この二十九人は共有している。

 その上で、規格外の強者達の及ぼす影響を、如何に定めた範囲の内へと収めるか。


「勝手にやらせるしかねえな」

「……それは運営の放棄じゃないですか」

「違う違う。本当に勝手をやらせるわけじゃない。重要なのは、連中に勝手にやっていると思わせることだ……そうだろ? グラス」

「よっし。じゃあ、詳しく意見を聞こうか。第二十卿」

「……試合場や期間を含めた条件は、試合毎に両者の合意で決めさせる。市民の移動だとか、観戦地点の確保を俺達がやればいい。戦場作りも含めて真業しんごうだって、誰かが言ったな? 建前としてはそれで通るだろ」

「……異議は?」

「はーい。第二十二将ミジアル。根本的な解決になってないんじゃないのー? 合意を無視して街中で暴れて、市民が犠牲になったらどうするんですかー?」

「いやミジアル。そこんとこだけど、この場合、こっちが不当な規定を押し付けてるわけじゃないだろ? なのに暴れる。市民を殺す。……ってことはそいつは、もう勇者じゃないよな。魔王自称者だ。要は正当性の確保だな」

「あー。他の候補者に殺らせるってこと?」

「魔王を殺さなきゃ勇者じゃねえだろ。悪質な規定違反の時は、全員で一人を討伐だ。他に異議は?」


 おずおずと手を挙げた女は、無尽無流むじんむりゅうのサイアノプを擁する第十将、蝋花のクウェルである。長い前髪の奥に覗く大きな目が、忙しなく瞬く。


「あ……あの。戦場の合意があったとして、その時から市民を動かすには……ど、どうしても、時間かかっちゃいますよね。一日くらいかな。それ、大丈夫でしょうか」

「あァ。何が」

「罠。とか……不意を打ったりとか、できますよね。その時間で。はじめから試合場が決まってるなら、そういう抜け道は、ないかなと思って」

「いーやクウェルちゃん、鈍いな! それでいいんだよ。抜け道がないとこっちが困る。……そうだろ? 俺らとしては、絶対なるロスクレイに勝ってもらわなきゃいけないんだからさ」

「…………」


 第二将は沈黙を保ったままだ。彼の真実の戦い方を、黄都こうと二十九官の誰もが知悉している。そして表向きの立場として、彼らは絶対なるロスクレイを支援し勝利させる方針を取ってもいる。


「あっ、ロスクレイさん……そう、ですね。じゃ、私は以上で……」

「他に異議は? いないか」


 グラスが室内を眺め渡し、他に挙手がないことを確認する。

 試合条件と罰則に関する策は、第二十卿の提案が大筋で通ったと見てよかった。


(だがな。こいつは、ちと厄介だぞ)


 左右非対称の笑みを浮かべつつも、基図きずのグラスは自らの顎を撫でる。

 合意による条件の設定。すなわち、そこにおいても力量が試されることになる。

 勇者候補者の――ではない。


 彼ら各々を擁立する、黄都こうと二十九官の力量がだ。


(どのようにして、自らの候補に有利な戦場と条件を呑ませるか。戦闘勝利のための策をどれだけ張り巡らせ、配置できるか。さァて、どいつもこいつも、何を企んでいるかね……)


 これは、ただ戦闘の技術と異才のみで勝ち進める類の戦いではない。

 陣営の力の全てを尽くした、まさに真業しんごう。一握りの栄光のために他者を蹴落とす戦争になる。


 既に二十九官の幾人かが、そのことを悟ってもいるだろう。

 新たなる時代に向けた、三王国の民の協調。平和。そのような美麗字句など、所詮まやかしに過ぎない。

 人の自然の成り行きとして、国は乱れるものだ。

 旧王国主義者をどれだけ駆逐しようが。信仰の象徴となる“教団”を破壊しようが。勇者の存在で何かが変わろうが。人の根本の歪みは決して消えぬ。


(――俺は、それでまったく構わんがね)


 第一卿は、口の片側が吊り上がるのを感じている。彼は会議の意見を取りまとめることはしても、決して自身の内心を表に出す事はない。

 基図きずのグラスの本質は、美しさや気高さのみならず、醜くままならぬ面までも含めた、人の業の全てを愉しむものだ。故に彼は、ここまでの道のりの何一つとして苦に感ずることなく、この位置にいる。


 ましてや、今回こそは格別だ。

 この場にいる者も、少なからずそう考えていることだろう。


 ――最強と最強の激突。心躍らぬ者はこの世におるまい。


「……ところで、候補者は全員目処が立ったみたいですけど。そこも確認しておきたいです。何名集まったんですか?」

「そうそう。伝えておくのを忘れていたな」


 長机に両手を組んで、グラスは笑った。

 これから起こる物事が楽しみで仕方ない子供がそうするような、左右非対称の、しかし、人懐こい笑みである。


 六合上覧りくごうじょうらん。この地平の誰も見たことのない、凄まじき戦いになる。


「十六名」

 

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