間章 その2
壁の隅に一つの暖炉があって、長机を囲むように二十九の椅子が並べられた、ただそれだけの部屋だ。
「全員集まった? まあ、分かってるだろうけど、今日は王城試合の件ってことで、よろしくお願いします」
会議の始まりを告げるのは通常の議会と同様、
中肉中背、年の頃は初老にも差し掛かっているが、皺一つなく着こなした黒服と壮健な表情は、衰えとは未だ無縁だ。
「――先日、最後の候補者を受理したんで、試合については無事開催できる運びとなったわけだが。具体的な規定についてはまだ固まっていないことも多い。最初の議題は、既に決定している分について、前回不在だった第八卿、第十四将、第二十卿に事後報告させてもらう。まずはいいかな」
「ぼくは、改めて聞かなくても大丈夫ですよ。欠席委任もいたしましたし」
「俺はそもそも、出席してても役に立たないからなあ」
「あー……俺も大まかな話は聞いてるが、やっぱりそこは全員改めて確認した方がいいんじゃねえか? グラス、頼む」
第二十卿、
「じゃ、予定通り行くか。当日の王城試合は、一対一の
「前々から聞いてた通りだな。一度も負けていない奴を、一人だけ作れる。俺も文句はない。組み合わせはどうだ?」
「それは後日に保留という形になってましたね」
「……ってか、集まった候補者を見てからじゃないと決められないって話っしょ? もしもロスクレイが緒戦で負ける形になっちゃったら、まずいじゃん」
第二将に話題を向けた男は、極めて長身の剣士である。第十六将、憂いの風のノーフェルト。勇者候補者として、既に
一方で、第二将ロスクレイはすぐには発言せず、慎重に思考している。この試合、ただ一人運営者にして候補者であるロスクレイの圧倒的優位は、疑うべくもない。
だが、彼の他の候補を擁立した者は、これまでと同じに、
「……組み合わせは、やはり慎重に考えるべきでしょう。無論、私も有利な条件で戦いたいところですが、開催まであと小四ヶ月。どのような不測の事態が起こり、候補者が入れ替わるとも限りません。そのたびに新たな組み合わせを考え直すわけにもいかないかと」
「それなら、組み合わせの件は引き続き保留だ。異議ある者は」
挙手する者のいないことを確認して、第一卿は軽く頷く。
あるいはロスクレイの他の者たちも、調略のための時間を欲しているか。内心を窺い知ることも、今はできない。
「……はい、では引き続き前回の決定。この一連の催事について、正式の名称を“
「第一卿。この件に報告を付け加えても?」
「どうぞ、第三卿」
どこか鋭角的な印象を与える眼鏡の男は、第三卿、速き墨ジェルキ。
常日頃の冷静さのままで、淡々と報告を告げる。
「この大三ヶ月で、三十八の商店より
「上手く働いているなら、この件についても問題なさそうですね」
「ずっと『例の試合』だか『王城試合』で通してたから、慣れなきゃあならんな」
元より優秀な男だったが、第三卿ジェルキはこの試合の周知に、これまで以上に精力的だ。彼自身は勇者候補者を立てていないものの、何らしかの狙いがあるのだろう。第一卿は腹の底で考えている。
「報告を終えたところで、今日の本題に入ろうか。試合場について。今日で候補者はおおよそ固まったわけですが、まあ大方の予想通り、
「王城試合と告知して集めている以上は、城下で行うのが当然でしょう。民の集めやすさや交通の利便を考えても、劇庭園がもっとも適切かと」
「ちょっとちょっと。アタシは反対よ。
反論の声を上げた隻腕の男は、第二十五将、空雷のカヨン。
両者の攻撃の射程次第では、対戦の開始距離が即座に勝敗に直結することもあり得る。彼の擁立候補が地平咆メレである以上、これは当然の主張といえた。
「しかし、今更新たな試合場を建造するというのは難しくはないか?」
「ある程度範囲を取り決めておけば、市街の外でも戦わせることはできるだろう」
「候補の誰かに尺度を合わせるなら、ロスクレイでしょ。やっぱり劇庭園が妥当だ」
「実際に公平かではなく、観戦した市民がどう受け取るかだ。
「そもそも
「……一つ」
二十九官が口々に意見を述べ立てる中、第一卿グラスは低く呟いて、混迷の兆しを収めた。
「――重要な事柄がある。この
「規定を破れば失格。勇者の資格を失い、報奨金を没収。それでは足りませんか?」
「こちらが口で言うのは簡単でも、実効力があるかどうかという話になってくる。たとえばあの星馳せアルスに処罰を下すとして、誰か奴の財宝を没収できるか。第十七卿、できる?」
「……いいえ。非現実的な提案かと」
「つまりグラスが言いてえのはこういうことだろ? 試合条件に不満がある奴は、時間も場所も関係なしに、勝手に始める。それが最悪のパターンだ」
第二十卿ヒドウは、背もたれに首を預けながら言った。相変わらず素行は悪い。
無論、ある程度の損害は織り込んだ上での計画ではある。コントロール可能な範囲であれば、建造物や人命の損失も許容はできる。勇者という存在を獲得する価値を、この二十九人は共有している。
その上で、規格外の強者達の及ぼす影響を、如何に定めた範囲の内へと収めるか。
「勝手にやらせるしかねえな」
「……それは運営の放棄じゃないですか」
「違う違う。本当に勝手をやらせるわけじゃない。重要なのは、連中に勝手にやっていると思わせることだ……そうだろ? グラス」
「よっし。じゃあ、詳しく意見を聞こうか。第二十卿」
「……試合場や期間を含めた条件は、試合毎に両者の合意で決めさせる。市民の移動だとか、観戦地点の確保を俺達がやればいい。戦場作りも含めて
「……異議は?」
「はーい。第二十二将ミジアル。根本的な解決になってないんじゃないのー? 合意を無視して街中で暴れて、市民が犠牲になったらどうするんですかー?」
「いやミジアル。そこんとこだけど、この場合、こっちが不当な規定を押し付けてるわけじゃないだろ? なのに暴れる。市民を殺す。……ってことはそいつは、もう勇者じゃないよな。魔王自称者だ。要は正当性の確保だな」
「あー。他の候補者に殺らせるってこと?」
「魔王を殺さなきゃ勇者じゃねえだろ。悪質な規定違反の時は、全員で一人を討伐だ。他に異議は?」
おずおずと手を挙げた女は、
「あ……あの。戦場の合意があったとして、その時から市民を動かすには……ど、どうしても、時間かかっちゃいますよね。一日くらいかな。それ、大丈夫でしょうか」
「あァ。何が」
「罠。とか……不意を打ったりとか、できますよね。その時間で。はじめから試合場が決まってるなら、そういう抜け道は、ないかなと思って」
「いーやクウェルちゃん、鈍いな! それでいいんだよ。抜け道がないとこっちが困る。……そうだろ? 俺らとしては、絶対なるロスクレイに勝ってもらわなきゃいけないんだからさ」
「…………」
第二将は沈黙を保ったままだ。彼の真実の戦い方を、
「あっ、ロスクレイさん……そう、ですね。じゃ、私は以上で……」
「他に異議は? いないか」
グラスが室内を眺め渡し、他に挙手がないことを確認する。
試合条件と罰則に関する策は、第二十卿の提案が大筋で通ったと見てよかった。
(だがな。こいつは、ちと厄介だぞ)
左右非対称の笑みを浮かべつつも、
合意による条件の設定。すなわち、そこにおいても力量が試されることになる。
勇者候補者の――ではない。
彼ら各々を擁立する、
(どのようにして、自らの候補に有利な戦場と条件を呑ませるか。戦闘勝利のための策をどれだけ張り巡らせ、配置できるか。さァて、どいつもこいつも、何を企んでいるかね……)
これは、ただ戦闘の技術と異才のみで勝ち進める類の戦いではない。
陣営の力の全てを尽くした、まさに
既に二十九官の幾人かが、そのことを悟ってもいるだろう。
新たなる時代に向けた、三王国の民の協調。平和。そのような美麗字句など、所詮まやかしに過ぎない。
人の自然の成り行きとして、国は乱れるものだ。
旧王国主義者をどれだけ駆逐しようが。信仰の象徴となる“教団”を破壊しようが。勇者の存在で何かが変わろうが。人の根本の歪みは決して消えぬ。
(――俺は、それでまったく構わんがね)
第一卿は、口の片側が吊り上がるのを感じている。彼は会議の意見を取りまとめることはしても、決して自身の内心を表に出す事はない。
ましてや、今回こそは格別だ。
この場にいる者も、少なからずそう考えていることだろう。
――最強と最強の激突。心躍らぬ者はこの世におるまい。
「……ところで、候補者は全員目処が立ったみたいですけど。そこも確認しておきたいです。何名集まったんですか?」
「そうそう。伝えておくのを忘れていたな」
長机に両手を組んで、グラスは笑った。
これから起こる物事が楽しみで仕方ない子供がそうするような、左右非対称の、しかし、人懐こい笑みである。
「十六名」
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