音斬りシャルク その2
平原を見下ろす高い外壁。それを越えた先にも壁。その中にも壁。壁と壁の隙間の道は迷路のように迂回して市街を形成し、そして曲がりくねる道の立ち止まる地点は、尽く中央の砦が見下ろす狙撃地点でもある。
さらには、一人一人の装備や練度までもが完璧に保障された傭兵無数。オカフ自由都市の攻略に当たり、
黒い音色のカヅキは、
互いに益のある話だ。カヅキは
それが傭兵集団であろうと、突出した英雄であろうと、今の平穏を脅かす武力は、後の時代には無用だ。
老巧の“
「目的は情報ですか? 盛夫さんは、各地に派遣した傭兵からの情報を統合できる立場にいる――」
「その通りよ。あなたの得になる話じゃないわ。私は個人的に納得したいだけ」
「……何か、納得できないことがあると?」
「移り
「……?」
「……ふ。いい顔ね。ここ最近で現れた“
かつては、そうではなかったはずだ。種族の命名法則や文化様式からしても、彼女らの住む“彼方”よりも、遠い西側の国家の者達が多く訪れていたはずである。
そこに大きな変動があったと、カヅキは確信している。世界のこの現状へと至る、大多数の者がまだ知らぬ謎だ。
「……ええ。そこは確かに、気にかけた事はありませんでした。その理由を知って、どうするつもりなんですか?」
「別に? 個人的な納得だって言ったでしょう。英雄として……この世界への責任を、果たすだけよ」
カヅキは、長い髪を大きく払い――沈む夕陽の最後の輝きに目を細める。
夜の帳が落ちた。彼女の時間が来る。
時を同じくして、一台の小馬車が街道の砂を巻き上げ、滑り込むように到着する。
「……ああ。もう時間のようですね。名残惜しいですが、お元気で」
「次はいつ会えるのかしら?」
「もしかしたら、また十年――いいえ、じきに会うことになるでしょう。水村香月さん。あなたが変わっていなくて、よかった」
「ええ。あなたも相変わらず、胡散臭かったわ」
カヅキは少し微笑む。ひらりと身を運んで、馬車へと飛び乗る。
少年の配下らしい御者は、異様に背丈が小さく、全身をマントで覆い隠したままだ。それでも“彼ら”は、並の
十三年ぶりに出会った少年の姿も、遠く小さくなっていく。馬は地を蹴り、走る。
――馬。この世界にも馬がいる。彼女の故郷と確かに連続していて、けれど、決定的に異なる世界。
「たたーん、たーん、たーん。たたーん……」
車内、多数のマスケット銃を弄びながら、カヅキは懐かしい歌を口ずさんでいる。
夜は彼女の時間になる。砦から狙う射手は、闇の中では狙うべき的へと当てることができないからだ。黒い音色のカヅキの他は。
街の門が迫る。走り続ける。襲撃者であると気付く。誰かの指令で、弓と銃の照準が一斉に向く。
御者は怯えることなく速度を増す。物量に任せた、闇雲の弾幕を浴びる。馬が肉の断片と千切れて散る。幌に隠れた板金装甲が、その雨を一度だけ防ぐ。既に加速はついている。止まらない。放り出された彼女は、宙で二丁の銃を構える。門へと到達する――。
空中、門を守る盾使いの
それは正しい判断だ――仮に門へと踏み込み、遮蔽と機動力を活かせる戦いになれば、彼らに勝ち目はない。最初の三日、彼女は傭兵達をそのように殺戮している。
「……たーん、たたたっ、焼っけ付いたー。情っ景、にー」
両腕の交差と同時、火薬の爆轟が二度連続する。
この世界で量産されたマスケット銃は、“彼方”の史上と比べ、著しい精度改良が加えられているが――。
その弾は、カヅキにしか見えぬ速度で曲がる。
左右両翼より、盾を回り込む軌道。それは
「……!」
ギギ、と乾いた音が響いた。右を守れば左が穿つ、
だが、現に盾使いは、投げ出されたカヅキが地に降り立った今、その場に立ち続けている。ならば何者が。
今の音は、射出された弾が壮絶な速度で二つ、止められた音に相違なかった。
「いい声だ。歌手になるのもいい」
「……。とっどーかない指をー。かっさねてー……たん、たん」
大柄な
その弾丸は、斬られたわけでも、弾かれたわけでもない。
槍の穂先の腹で地面に押さえつけられている。
(――どういう速さなの、それ)
カヅキは、僅かに不機嫌になる。
その横合いから、飛来物が。当然のように体を翻し、躱す。
細い薬瓶は地面に落ちて、刺激性の黒煙を爆発させた。
「黒い音色のカヅキさん。狩ってばかりも飽きたでしょう。本日は逆ですよ」
機械でそれを射出した
正しい判断だ――門に踏み込む前であれば、カヅキを囲み、このように有利な状況を作ることもあるいは可能であろう。
カヅキがその状況に備えていなかったのならば。
「【
彼女は回避の勢いのまま地面すれすれを旋回し、地面に散らばるマスケット銃の二つを指へとかける。
馬車に満載されていた銃は、その布石だ。この場は既に彼女のフィールドである。
回転。照準。撃つのは正面の
「【――
右方。煙幕の中を突き抜けて斬りかかっていた、
頭ではないのは、下段に鉄杖を振り抜く動作が急所を守っていたためだ。さすがに練度は高い。
「チィーッ!」
「……リフォーギドがやられた!」
「なんて反応してやがる、くそっ……!」
一方、
ここ数日で見た、黒い
同時、煙幕に隠れて、死角より
「たん、たたーん。たーん、たーん。I don't believe anymore……自分ーすっらー、溶けていっきそうでー」
確かに状況は彼らに有利だ。研鑽も積んでいる。
それでも、彼らがカヅキの才に及ぶことはない。決して。
「……。あなたはそこに隠れているだけ?」
「俺の仕事は足止めだ。聞きたいこともある。弾が尽きるまでは付き合うさ」
「……そう。ご自由に」
この槍使いの力だけが未知数だ。
盾の
それより優先すべきは――
ガチ、という音が響いたのは、カヅキが片手のマスケット銃を投擲した後だ。
続けてカヅキは、足元に散らばっていたマスケット銃の一つを蹴る。銃は地面を回転し、滑るように黒煙の中へと飛び込んでいく。
「【
現実離れした敏捷性で走り出している。
勢いのまま、残る一丁のマスケット銃を煙の中へと突き込む。胸板を貫く感触。
黒い
彼女の銃は同時に、銃剣を備えた槍でもあった。
「……っ」
「必然がっ、すーべてー。引き裂くまーえにー」
銃を回転させ、背後に。円を描いて血液が散る。
後方から射出音。
木の銃床が、射出された四本の鉄鋲を打ち払う。
「シッアァ――ッ!」
至近に踏み込まれた
ガン、という轟音がその口を貫いて遮る。
カヅキは抜き放ったフリントロック銃を捨てる。
足元の銃を、爪先で跳ね上げて取る。先程の蹴りで、この位置へ送っていた。
――その時、背後には刺突剣使いの
ここまでの攻防で完璧に気配を消していた。銀の軌道が、心臓を。
「――ああ、惜しいわ」
脇を潜らせた銃剣の迎撃は、刺突剣よりも長く届いた。
腹部を貫き、そのまま引き金を引いた。
内臓が爆裂する。麻の雫のミリュウは、その衝撃に吹き飛ばされる。
「あなたが一番いい線行ってたのに」
まるで舞踏のような動きでくるりと回って、斃れた者達へと微笑みかける。
四人。彼女の戦いは、全てを一瞬で終える。
「あ、れ……」
致死の銃殺を受けた
「こ、こん、なに……。全然だな、僕っ……て……」
カヅキは、新たに二つの銃を取る。ここまで無傷。
平原で迎え撃つ選択肢こそ正しかったが、カヅキは常に、射角から隠れるように街の外壁を利用している。砦からの援護射撃が届くこともない。戦闘でも、戦術でも、傭兵達が英雄に及ぶことはない。
「さあ、弾が尽きるまで付き合ったわ? 勿論、あなた達の弾だけれど」
「……そいつは、俺の案内をしてくれるって言ったっけな。見殺しにしちまった。高く付くぞ」
「ええ? 案内しやすいように、先に送ってあげたのよ」
死神じみた黒い襤褸。何かしらの技術で、純白に処理された全身骨格。
「シャルク。退くぞ。わかっただろう。奴に挑めば死ぬ」
「おいおい、あんた喋れたのか? ありがたいね。……だけどとっくに死んでる身だ。損はしないさ」
「たたーん、たーん、たーんたーん……」
再びリズムを刻み始めたカヅキを、虚無の眼窩が見やる。
もはや身を守る盾もなく、彼は白槍を構えた。
「黒い音色のカヅキ。あんたは、勇者か?」
「……違うわ。そう勘違いされることもあるけれど、私は違う」
「そうか。それなら一つ。俺が勝ったなら、
「へえ……」
カヅキは、僅かに感嘆の息を漏らした。
「構わないわ? どうぞ、ご自由に」
それよりも重要な事がこの世にはある。これからモリオに問い質すべきはそれだ。
「二つ目だ。こいつは今、答えてもらいたい」
「……あなた、見た目より随分厚かましいのね」
シャルクの重心を、カヅキは見ている。直進。最長の突きで仕留めるつもりか。
この男には、弾丸を叩き落とした速さと精度がある。
「すぐに終わる。勇者を見たことはあるか? もし死んでいたなら、勇者の骨は? そいつを見たことがあるなら――」
身を沈めて躱すか、あるいは槍の持ち手の逆側、右に踏み込んで躱す。
その二箇所、頭骨の位置へと弾丸を置くイメージだ。槍の間合いよりも五歩早くカヅキの弾丸は届き、潜り抜けたとて、反動で振るわれる銃剣がその骨を断ち切る。
「――そいつは。こんな骨をしていなかったか?」
「悪いけど」
風が、カヅキの長い髪を揺らした。
自分が何者であるかを知らぬまま、産み落とされた
きっと、逸脱故に異世界へ追放された“
「あなたのことなんて、知らないわ」
「そうか」
砂埃が舞った。彼女は引き金を引
「――え」
槍の穂先が、喉笛から引き抜かれた後だった。
カヅキは白い
見立ての通りに、槍の間合いより五歩遠い。
組み替えられて異形に延長した左腕が、刹那の内に元に戻った瞬間だけが、弾丸の軌道すら目視する“
ましてや――その、刺突の神速は。
(……嘘……? あれ……?)
片足から力が抜け、体がねじれるように倒れた。
歌うことができない。
彼女は英雄だった。この先に、求めるものがあったはずなのに。
その様子を、音斬りシャルクはただ見下ろしている。
「ああ、こいつも……違った」
虚ろな
彼が何者なのか。何処から来たのか。何故これほどまでに強いのか。
それを彼自身すら理解できていない。
「……俺は、誰だ」
それは刺突も射撃も無為と帰す、死せる理外の肉体を持つ。
それは自身の由来を知らぬままに、英雄すら凌駕する槍術を知る。
それは瞬時の分離と接合で、認識し得る間合いの概念を無意味と化す。
この世界に忽然と生まれた怪異。地上最速の非生命体である。
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