音斬りシャルク その2

 平原を見下ろす高い外壁。それを越えた先にも壁。その中にも壁。壁と壁の隙間の道は迷路のように迂回して市街を形成し、そして曲がりくねる道の立ち止まる地点は、尽く中央の砦が見下ろす狙撃地点でもある。

 さらには、一人一人の装備や練度までもが完璧に保障された傭兵無数。オカフ自由都市の攻略に当たり、黄都こうとが自らの軍で攻め込まぬことには、瞭然たる理由がある。


 黒い音色のカヅキは、黄都こうと議会とは『無関係』な一介の冒険者だ。近年頻発する教団施設襲撃事件。オカフの傭兵に虐殺された遺族からの報復依頼を受けて、ここにいる。――と、いう理由になっている。

 互いに益のある話だ。カヅキは黄都こうとに知られることなく、自身の目的を達する。黄都こうとはオカフとの戦争状態を回避し、“客人まろうど”同士の共倒れを望むこともできよう。


 それが傭兵集団であろうと、突出した英雄であろうと、今の平穏を脅かす武力は、後の時代には無用だ。

 老巧の“客人まろうど”――黒い音色のカヅキともなれば、その趨勢を利用できる。


「目的は情報ですか? 盛夫さんは、各地に派遣した傭兵からの情報を統合できる立場にいる――」

「その通りよ。あなたの得になる話じゃないわ。私は個人的に納得したいだけ」

「……何か、納得できないことがあると?」

「移り馘剣かくけんのユウゴ。黄昏潜りユキハル。みはりのモリオ。……黒い音色のカヅキ。逆理のヒロト」

「……?」

「……ふ。いい顔ね。ここ最近で現れた“客人まろうど”達の名前よ。疑問に思わなかったの? 皆、私達と同じ国から来ている」


 かつては、そうではなかったはずだ。種族の命名法則や文化様式からしても、彼女らの住む“彼方”よりも、遠い西側の国家の者達が多く訪れていたはずである。

 そこに大きな変動があったと、カヅキは確信している。世界のこの現状へと至る、大多数の者がまだ知らぬ謎だ。


「……ええ。そこは確かに、気にかけた事はありませんでした。その理由を知って、どうするつもりなんですか?」

「別に? 個人的な納得だって言ったでしょう。英雄として……この世界への責任を、果たすだけよ」


 カヅキは、長い髪を大きく払い――沈む夕陽の最後の輝きに目を細める。

 夜の帳が落ちた。彼女の時間が来る。

 時を同じくして、一台の小馬車が街道の砂を巻き上げ、滑り込むように到着する。


「……ああ。もう時間のようですね。名残惜しいですが、お元気で」

「次はいつ会えるのかしら?」

「もしかしたら、また十年――いいえ、じきに会うことになるでしょう。水村香月さん。あなたが変わっていなくて、よかった」

「ええ。あなたも相変わらず、胡散臭かったわ」


 カヅキは少し微笑む。ひらりと身を運んで、馬車へと飛び乗る。

 少年の配下らしい御者は、異様に背丈が小さく、全身をマントで覆い隠したままだ。それでも“彼ら”は、並の人間ミニアより余程忠実に任務を果たしてくれることを、カヅキもここ数日の戦闘で理解している。


 十三年ぶりに出会った少年の姿も、遠く小さくなっていく。馬は地を蹴り、走る。

 ――馬。この世界にも馬がいる。彼女の故郷と確かに連続していて、けれど、決定的に異なる世界。


「たたーん、たーん、たーん。たたーん……」


 車内、多数のマスケット銃を弄びながら、カヅキは懐かしい歌を口ずさんでいる。

 夜は彼女の時間になる。砦から狙う射手は、闇の中では狙うべき的へと当てることができないからだ。黒い音色のカヅキの他は。


 街の門が迫る。走り続ける。襲撃者であると気付く。誰かの指令で、弓と銃の照準が一斉に向く。

 御者は怯えることなく速度を増す。物量に任せた、闇雲の弾幕を浴びる。馬が肉の断片と千切れて散る。幌に隠れた板金装甲が、その雨を一度だけ防ぐ。既に加速はついている。止まらない。放り出された彼女は、宙で二丁の銃を構える。門へと到達する――。


 空中、門を守る盾使いの大鬼オーガを認識した。

 それは正しい判断だ――仮に門へと踏み込み、遮蔽と機動力を活かせる戦いになれば、彼らに勝ち目はない。最初の三日、彼女は傭兵達をそのように殺戮している。


「……たーん、たたたっ、焼っけ付いたー。情っ景、にー」


 両腕の交差と同時、火薬の爆轟が二度連続する。

 この世界で量産されたマスケット銃は、“彼方”の史上と比べ、著しい精度改良が加えられているが――。


 その弾は、カヅキにしか見えぬ速度で曲がる。

 左右両翼より、盾を回り込む軌道。それは力術りきじゅつではない。彼女の絶技は弾体の不規則回転をすら、自らの意志の支配下に置く。


「……!」


 ギギ、と乾いた音が響いた。右を守れば左が穿つ、大鬼オーガが今の同時曲射へと処することができぬのは明白。

 だが、現に盾使いは、投げ出されたカヅキが地に降り立った今、その場に立ち続けている。ならば何者が。

 今の音は、射出された弾が壮絶な速度で二つ、止められた音に相違なかった。


「いい声だ。歌手になるのもいい」

「……。とっどーかない指をー。かっさねてー……たん、たん」


 大柄な大鬼オーガの背後に隠れるほどの、異常な細身。骸魔スケルトンか。

 骸魔スケルトンは、速い。筋肉も内蔵も持たぬ彼らは、生命体にはあり得ざる極限の軽量体を持ち、それが生前の技術と膂力を備えている。それでもこれ程の存在はいない。種族の差異などとは、桁の違う速度だ。

 その弾丸は、斬られたわけでも、弾かれたわけでもない。


 槍の穂先の腹で地面に


(――どういう速さなの、それ)


 カヅキは、僅かに不機嫌になる。

 その横合いから、飛来物が。当然のように体を翻し、躱す。

 細い薬瓶は地面に落ちて、刺激性の黒煙を爆発させた。


「黒い音色のカヅキさん。狩ってばかりも飽きたでしょう。本日は逆ですよ」


 機械でそれを射出した砂人ズメウの蜥蜴じみた顔は、笑みすらしない。

 正しい判断だ――門に踏み込む前であれば、カヅキを囲み、このように有利な状況を作ることもあるいは可能であろう。

 カヅキがその状況に備えていなかったのならば。


「【ヒルカよりオカフの土へ h i l c a i o o c a f 霜の力 f o r m i a o r a 断崖の面 n e l c l o z a ――】」


 彼女は回避の勢いのまま地面すれすれを旋回し、地面に散らばるマスケット銃の二つを指へとかける。

 馬車に満載されていた銃は、その布石だ。この場は既に彼女のフィールドである。


 回転。照準。撃つのは正面の砂人ズメウではない。


「【――脈動を止めよ e n z e h a m n o r t ! 起これ n a z e l c t h u k !】」


 右方。煙幕の中を突き抜けて斬りかかっていた、森人エルフの足を撃ち抜いている。

 頭ではないのは、下段に鉄杖を振り抜く動作が急所を守っていたためだ。さすがに練度は高い。


「チィーッ!」

「……リフォーギドがやられた!」

「なんて反応してやがる、くそっ……!」 


 一方、砂人ズメウの方角は、突如聳えた土壁が射線を遮っている。

 ここ数日で見た、黒い人間ミニアの防御であろう。

 砂人ズメウの煙幕で注意を引き、反撃に合わせて詞術しじゅつの防御。

 同時、煙幕に隠れて、死角より森人エルフが仕留める。


「たん、たたーん。たーん、たーん。I don't believe anymore……自分ーすっらー、溶けていっきそうでー」


 確かに状況は彼らに有利だ。研鑽も積んでいる。

 それでも、彼らがカヅキの才に及ぶことはない。決して。


「……。あなたはそこに隠れているだけ?」

「俺の仕事は足止めだ。聞きたいこともある。弾が尽きるまでは付き合うさ」

「……そう。ご自由に」


 この槍使いの力だけが未知数だ。

 盾の大鬼オーガと共にいる以上、畳み掛けて殺すのも手間になる。

 それより優先すべきは――


 ガチ、という音が響いたのは、カヅキが片手のマスケット銃を投擲した後だ。

 砂人ズメウが射出機械から放った薬瓶の次弾は、カヅキの手を離れた銃床に遥か手前で迎撃され、煙幕は砂人ズメウ詞術しじゅつ使いの人間ミニアを包む。

 続けてカヅキは、足元に散らばっていたマスケット銃の一つを蹴る。銃は地面を回転し、滑るように黒煙の中へと飛び込んでいく。


「【ヒルカよりオカフの土へ h i l c a i o o c a f 】」


 現実離れした敏捷性で走り出している。

 勢いのまま、残る一丁のマスケット銃を煙の中へと突き込む。胸板を貫く感触。

 黒い人間ミニア詞術しじゅつは不発に終わる。無論、迎撃に突き出された、二本の両手剣の刺突も。

 彼女の銃は同時に、銃剣を備えた槍でもあった。


「……っ」

「必然がっ、すーべてー。引き裂くまーえにー」


 銃を回転させ、背後に。円を描いて血液が散る。

 後方から射出音。大鬼オーガの盾の仕掛けならば、既に理解している。

 木の銃床が、射出された四本の鉄鋲を打ち払う。


「シッアァ――ッ!」


 至近に踏み込まれた砂人ズメウは、自身の鉤爪でカヅキの喉を裂きにかかった。

 ガン、という轟音がその口を貫いて遮る。

 カヅキは抜き放ったフリントロック銃を捨てる。


 足元の銃を、爪先で跳ね上げて取る。先程の蹴りで、この位置へ送っていた。

 ――その時、背後には刺突剣使いの人間ミニアが。

 ここまでの攻防で完璧に気配を消していた。銀の軌道が、心臓を。


「――ああ、惜しいわ」


 脇を潜らせた銃剣の迎撃は、刺突剣よりも長く届いた。

 腹部を貫き、そのまま引き金を引いた。

 内臓が爆裂する。麻の雫のミリュウは、その衝撃に吹き飛ばされる。


「あなたが一番いい線行ってたのに」


 まるで舞踏のような動きでくるりと回って、斃れた者達へと微笑みかける。

 四人。彼女の戦いは、全てを一瞬で終える。


「あ、れ……」


 致死の銃殺を受けた人間ミニアは、細い目で困惑の笑いを浮かべた。


「こ、こん、なに……。全然だな、僕っ……て……」


 カヅキは、新たに二つの銃を取る。ここまで無傷。

 平原で迎え撃つ選択肢こそ正しかったが、カヅキは常に、射角から隠れるように街の外壁を利用している。砦からの援護射撃が届くこともない。戦闘でも、戦術でも、傭兵達が英雄に及ぶことはない。


「さあ、弾が尽きるまで付き合ったわ? 勿論、あなた達の弾だけれど」

「……そいつは、俺の案内をしてくれるって言ったっけな。見殺しにしちまった。高く付くぞ」

「ええ? 案内しやすいように、先に送ってあげたのよ」


 骸魔スケルトンは、一人、前に踏み出す。

 死神じみた黒い襤褸。何かしらの技術で、純白に処理された全身骨格。


「シャルク。退くぞ。わかっただろう。奴に挑めば死ぬ」

「おいおい、あんた喋れたのか? ありがたいね。……だけどとっくに死んでる身だ。損はしないさ」

「たたーん、たーん、たーんたーん……」


 再びリズムを刻み始めたカヅキを、虚無の眼窩が見やる。

 もはや身を守る盾もなく、彼は白槍を構えた。


「黒い音色のカヅキ。あんたは、勇者か?」

「……違うわ。そう勘違いされることもあるけれど、私は違う」

「そうか。それなら一つ。俺が勝ったなら、黄都こうとの王城試合の出場権を譲れ」

「へえ……」


 カヅキは、僅かに感嘆の息を漏らした。

 黄都こうとから打診されたその試合を、彼女自身はただの酔狂の催しとしか認識していなかったが、そのために決闘を挑む者までが、この世に存在するとは。


「構わないわ? どうぞ、ご自由に」


 それよりも重要な事がこの世にはある。これからモリオに問い質すべきはそれだ。


「二つ目だ。こいつは今、答えてもらいたい」

「……あなた、見た目より随分厚かましいのね」


 シャルクの重心を、カヅキは見ている。直進。最長の突きで仕留めるつもりか。

 この男には、弾丸を叩き落とした速さと精度がある。


「すぐに終わる。勇者を見たことはあるか? もし死んでいたなら、勇者の骨は? そいつを見たことがあるなら――」


 身を沈めて躱すか、あるいは槍の持ち手の逆側、右に踏み込んで躱す。

 その二箇所、頭骨の位置へと弾丸を置くイメージだ。槍の間合いよりも五歩早くカヅキの弾丸は届き、潜り抜けたとて、反動で振るわれる銃剣がその骨を断ち切る。


「――そいつは。こんな骨をしていなかったか?」

「悪いけど」


 風が、カヅキの長い髪を揺らした。

 自分が何者であるかを知らぬまま、産み落とされた骸魔スケルトン

 きっと、逸脱故に異世界へ追放された“客人まろうど”の孤独にも似ているのだろう。


「あなたのことなんて、知らないわ」

「そうか」


 砂埃が舞った。彼女は引き金を引


「――え」


 槍の穂先が、喉笛から引き抜かれた後だった。

 カヅキは白い骸魔スケルトンを見た。何も、見えなかった。黒い音色のカヅキが――何も。


 見立ての通りに、槍の間合いより五歩遠い。

 組み替えられて異形に延長した左腕が、刹那の内に元に戻った瞬間だけが、弾丸の軌道すら目視する“客人まろうど”の視力をして僅かに捉えられる、超絶の速度であった。


 ましてや――その、刺突の神速は。


(……嘘……? あれ……?)


 片足から力が抜け、体がねじれるように倒れた。

 歌うことができない。

 彼女は英雄だった。この先に、求めるものがあったはずなのに。


 その様子を、音斬りシャルクはただ見下ろしている。


「ああ、こいつも……違った」

 

 虚ろな骸魔スケルトンは、苦々しく吐き捨てて、荒野を立ち去っていく。

 彼が何者なのか。何処から来たのか。何故これほどまでに強いのか。

 それを彼自身すら理解できていない。


「……俺は、誰だ」



 それは刺突も射撃も無為と帰す、死せる理外の肉体を持つ。

 それは自身の由来を知らぬままに、英雄すら凌駕する槍術を知る。

 それは瞬時の分離と接合で、認識し得る間合いの概念を無意味と化す。

 この世界に忽然と生まれた怪異。地上最速の非生命体である。


 槍兵スピアヘッド骸魔スケルトン


 音斬おとぎりシャルク。

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