第10話 王立魔法学院入学式とその後10

 風呂をあがって脱衣所を出た後、一義は下着のままで私室へと入り、シャツとジーパンとジャケットを着て、玄関へと赴くのだった。


 靴の紐を結んでいるところに、


「ご主人様……」


 と姫々が声をかけてきた。


「なに?」


 と靴紐から目を離さずに一義は返す。


「ご主人様……また夜の散歩ですか……?」


「うん。まぁね」


「その前に……お茶の一つでも飲んでいかれませんか……? わたくし……精一杯準備いたしますから……」


「気持ちは嬉しいよ。それならアイスティーを作っておいて。帰ってきたら飲むから」


「ではお帰りをお待ちしております」


 慇懃に一礼する姫々だった。


「先に寝てていいよ」


「いえ、ご主人様より早く寝る侍女などおりません」


「まぁ僕がそう設定したんだしね。それはいいや。なら帰るのを待ってて」


「はい。道中お気をつけて」


 もう一度慇懃に一礼する姫々に見送られて、一義は玄関から外に出た。


 ヒュルリと春特有の冷たい夜風が吹く。


 その風をジャケットで遮断して一義は夜のシダラを歩く。


 一義はこの時間……夜の散歩がたまらなく好きだった。


 強迫観念と言ってもいい。


 夜空に光る月に見下ろされながら……そして自身は月を見上げながら……一義は夜の街を歩く。


「月の子どもで……月子……か……。君は今も僕のことを見てるかい?」


 そんなことを呟きながら昼間はやいのやいのとうるさかった市場の名残を歩く一義。


 夜のシダラは静寂に包まれていた。


 無論、騒ぎ立てている場所もある。


 酒場や賭博場がその一例だ。


 夜なのに王立魔法学院でいうところの基礎である光属性の魔術たるライティングで室内を煌々と照らして騒ぎ立てる。


 そんな喧騒を嫌って一義は市場の列なす大通りを避けて小路へと入るのだった。


 一義やかしまし娘の故郷である和の国では建築は木材である。


 ひるがえって霧の国ではレンガが建材として使われている。


「木材もいいけどレンガ造りも風流だね。闇と星と月に良く合う……」


 そんなことを呟きながら一義は月の見下ろす夜の散歩を小路から小路へと繰り返す。


 喧騒を嫌ってより深い夜の闇の中へと足を向ける。


 どれだけ歩いたろう。


 一義の鋭敏な感覚は闇の中を走る人間の苦悶の声を聞いた。


「声質と足音からかんがみるに少女……なのかな?」


 なにかしらの面倒事かと少女の声のする方へと歩む一義が、小路の角を曲がったところで、


「おっ……と」


「きゃん……!」


 少女とぶつかった。


 少女の全力疾走の体当たりを微動だにしない一義と、そんな一義にぶつかって尻もちをつく少女。


「あ……悪い……」


 そう言って一義は尻もちをついている少女を見やる。


 《ある理由》によって闇夜に目の慣れている一義は少女を見て愕然とした。


 少女は美少女だった。


 金髪のロングヘアーに金色の瞳。


 大陸西方の人間なのだろう。


 肌は透き通るほどに白かった。


 少女はボロ布を身に纏い、その上から魔術師が好むような漆黒のマントを更に纏っていた。


 おそらく魔術師なのだろうとあたりをつける一義。


 金髪金眼の美少女は、


「あいててて……すみません……前方不注意で……」


 とそこまで言ってから、


「あ……あう……」


 と一義を見て青ざめた。


 どうやら夜の闇に目が慣れているのは一義だけではないらしい。


「と……東夷……! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 食べないでください! お金はそんなにありませんけどお支払いしますから!」


 一義が東夷……エルフだと知って恐れだす金色の美少女に、


「食べませんよ。安心してください」


「本当に……? 食べないんですか……? ……は! 魂を穢すんですね!? そうなんですね!?」


「それもしませんよ。それより何やら急いでいたようですけどこんなところで座り込んでいて大丈夫なんですか?」


「はぅあ!」


 今更気づいたとばかりに金色の美少女は立ち上がろうとして、


「追い詰めましたよアイリーン……」


 冷たい声が闇の中に響き、ビクリと身をすくませる金色の美少女ことアイリーンだった。


「…………」


 座り込んだままギギギと錆びたカラクリの関節のように首だけを後方にまわしてソレを見るアイリーン。


 そんなアイリーンの視線を追うように一義もまた夜の闇の中を見た。


 そこには一人の人間がいた。


「…………」


「…………」


 そいつは……夜に溶ける黒衣のローブを身に纏っており……月光に輝く金色のショートヘアを持ち……顔には仮面をつけていた……。


 仮面の隙間から覗くのは金色の瞳である。


「まるで暗殺者だね……」


 そんな感想を述べる一義に向かって、


「是」


 と黒衣仮面は端的に答える。


 それからローブの中に隠し持っていたのだろう短刀を取り出す黒衣仮面。


 ことここにいたっても一義は平然とする。


「本当に暗殺者?」


「是」


 やはり黒衣仮面は端的に答える。


「やっぱりこの子を……」


 と金髪美少女アイリーンを指差すと、


「狙って放たれた刺客?」


 一義は問うた。


「是」


 どこまで黒衣仮面は端的に答える。

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