6-14「当たり前じゃないですか!」

「起きて、お兄ちゃん!」


 週末の朝。舞奈海に体を揺らされて目を覚ます。ったく、休日くらいゆっくりさせてくれ。それと勝手に俺の部屋に入ってくるな。


「なんだよ一体……」

「桜お姉ちゃんが来てるの。お兄ちゃんに用があるんだって!」


 桜ちゃんが俺を訪ねにやって来るのは珍しいな。堂庭なら迷ったが、桜ちゃんなら仕方ない。会おう。

 だけど用件は多分……堂庭についてだろう。誰かと入れ替わって「君の名は!」と思わず叫んでしまうくらい態度が豹変した彼女に妹である桜ちゃんが気付かないはずが無い。


「了解。じゃあ支度するから少し待ってもらうように言ってくれるか?」

「らじゃー!」


 舞奈海はびしっと敬礼ポーズをした後、玄関へ駆けて行った。朝からご苦労な奴だ。

 俺は大きな欠伸をこしらえ、壁掛け時計を見る。

 午前九時。うん、あと一時間は寝たかったな。でも桜ちゃんがお呼びなら仕方あるまい。




「おはようございます、お兄さん!」


 玄関に向かうと待っていた桜ちゃんがぺこりとお辞儀をした。しかし本当に育ちの良い子だな。誰かさんと違って。


「話が……あるんだよな?」

「はい! 流石お兄さん、察してますねぇ?」


 いたずらっぽく笑う桜ちゃん。可愛い。

 見た目は年相応だが彼女の笑顔はどこかあどけないんだよな。やはり姉妹というだけあって堂庭と似ている部分があるのだろう。


「えっと……これからどこへ……?」


 桜ちゃんの装いを見てどこかの店などに行くのは分かった。

 白地のトップスに丈の長いスカートのようなズボンのような……多分ガウチョパンツってやつを穿いている。つまりお洒落をしているのだ。お金持ちのお嬢様感が彼女から滲み出ている。


「行きつけのカフェがあるのでそこに行きましょう! あ、それよりお兄さん、今日は大丈夫ですか? 予定とかあったらまた今度にするので……」

「え? 今日は普通に暇だけど」

「本当ですか! なら良かったです! でも急なお誘いになって申し訳ないです……」

「いやいや、俺は全然構わないから」


 四六時中『暇』で構成されている俺にさえ気遣ってくれる桜ちゃんは正に天使。

 もしこれが堂庭だったら「どうせ暇でしょ。早く来なさい」とでも言うのだろう。正に悪魔。


「お兄さんは優しいですね。私の我儘にも付き合ってくれて……」


 あなたの方が何千倍も優しいでしょうが!


 柔らかな笑顔を浮かべる桜ちゃんを見ながら俺は心の中でツッコミを入れるのであった。



 ◆



 鎌倉市内の住宅街を二人で歩く。

 道幅は狭く、急勾配の坂も珍しくない。鎌倉の道は険しいのだ。ちょっとしたお出掛けも登山になりかねない。

 だが地元民である上、最も体力があるであろう高校生の俺達からすれば上り坂も楽勝。息も切らさず、軽快な足取りで進んでいく。


 十数分後。一歩先を歩く桜ちゃんが立ち止まった。どうやら目的の場所に着いたらしい。


「ここです! 女の子に人気のカフェなので私もよく一人で来るんですよ」


 指で示しながら答える桜ちゃん。そこは閑静な住宅地に佇む古民家風のカフェだった。お洒落だけど穏やかな雰囲気が漂っている。

 店の入口まで近ずき、中の様子を伺ってみた。

 見たところ、客、店員共に女性しかいなかった。男性恐怖症である桜ちゃんが好むのは納得できるが男は入りずらい店だな……。


「うーん、俺なんかが入っても大丈夫かな。凄いお洒落だし……」

「全然大丈夫です。男女で来る人も結構いるんですよ」

「でもそれってほとんどカップルでしょ?」

「えーと、まぁ、そうですけど……」


 桜ちゃんは急に目を逸らして顔を赤く染め上げてしまった。

 傍から見ると俺達もカップルに見えるんだろうな。意識してしまうと恥ずかしくなってしまう。


「べ、別に私はお兄さんの恋人役でも良いっていうか、寧ろその方が……。あ、ごめんなさい、何でもないです! えっと、早く中に入りましょう!」


 あたふたと慌てながらドアに手を掛けて素早く店内に入る桜ちゃん。小声で聞き取れない部分もあったが、彼女が動揺していた理由が俺には分からなかった。



 ◆



「なんじゃこりゃ……」


 店に入り、注文をしようとメニューを見た時、俺は絶句した。

 カタカナ表記はもちろんだが、書いてある意味がほとんど分からなかったのだ。これ日本語なの?

 一方桜ちゃんはメニューをちらりと見るだけで特に驚く素振りは無かった。如何にも常連客って感じ。ヤバい。


「すみません、アーモンドバニラのスコーンとキャラメルマキアートのトールをください」

「かしこまりました。お隣のお客様は……」

「あ、えっと……このブレンドってやつを一つ」


 一番上に書かれていたブレンドコーヒーを注文した。多分無難な選択であろう。値段も一番安かったし。

 というかコーヒーだけでメニューの大半を占めてるってどういうことだよ。種類多すぎだろ。店員さんも実はどれがどれだか分かってないんじゃないのか?


 心の中で毒つき、空いているテーブル席に座る。

 アンティークでビンテージな椅子なのだろうか、座った時ギシッと音が鳴った。


 俺の後に続いた桜ちゃんが小さく深呼吸をして口を開く。


「早速ですがお兄さん、私に色々聞かせてください」


 ゴクリと生唾を飲む。内容はもちろん……分かっている。


「お姉ちゃんへの嫌がらせですが、結局愛川さんは犯人だったんですか?」

「それは間違いない。でも反省はして無かったな……」


 それどころかロリコンはキモい、だから私は悪くないみたいな言い草だったし。


「なるほどですね……。それで、お姉ちゃんの様子がおかしいのは何故なんですか?」

「えっと、それはだな……」


 真剣な目で見つめてくる桜ちゃん。俺は何故か悪事を問いただされるような気分になり言葉が詰まってしまった。

 そのまま視線をテーブルに落とし、こめかみを指で掻きながら続ける。


「七夕の時、あいつがはぐれたのって愛川さんの妹が原因だっただろ? それで、妹さんとしばらく遊んでたらしいんだけど、妹さんが嫌がったみたいで……。ロリコンをやめないと裁判で訴えるって言われちゃったんだよ」

「そう、だったんですか……」


 堂庭は周りに迷惑をかけられないからと愛川さんの指示に従った。

 こちらにも非があったわけだし、彼女に反抗しろとは言えない。でも何か間違っている気がする……。


「お姉ちゃんが昨日私に言ったんです。「幼女もののフィギュアやゲームはいらないから全部晴流に渡しておいて」って。でも泣きそうな顔をしていました。凄く辛そうでした。おかしいですよね、こんなの。お姉ちゃんが全部悪いわけじゃないのに……」


 好きなことや夢中なことを無理矢理やめるのはとても苦しいだろう。自分の趣味を手放すのは自分を削るのと同義。例え他人から非難されても決断には相当な勇気が要るはずなのだ。


「あいつがロリコンをやめれば俺も楽だし桜ちゃんも楽。そう思ってたけどやっぱりこのままじゃ駄目だよな……」

「当たり前じゃないですか! あんな苦しいお姉ちゃんの姿、もう見たくないですよ……」


 桜ちゃんの目に薄らと涙が浮かんでいた。

 幼女パワーで暴走する堂庭の相手は辛い。でも一切の笑顔を失った堂庭の相手はもっと辛い。それは俺だけではなく桜ちゃんも同じ考えなのだ。


「でもロリコンを直さないと愛川さんに訴えられる。ったく、どうしたらいいんだよ……」

「お兄さん、こういう時は助っ人に頼みましょう」


 桜ちゃんはスマホを取り出して俺に見せてきた。


「修善寺先輩に電話します。頭の回転が早い方ですから良い作戦を編み出してくれるかもしれません!」

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