6-13「ロリコンから卒業するわ」

 静まり返る教室に取り残された俺と堂庭。

 太陽は既に地平線の向こうに隠れており、グラウンドから聞こえていた掛け声や野球ボールを打つ音もすっかり途絶えていた。


 愛川さんの悪質な行為を止める為。堂庭を守る為に話し合いで決着をつけようとしたのに。

 たった一時間前、俺達は問題ないだろうと楽観視していた。でもその結果がこれだ。愛川さんに謝らせるどころか、こちらが謝らなくてはいけない状況となってしまった。

 もっと早く気付いていれば良かった。こちら側に非があるかどうか精査していれば良かった。

 堂庭の事実を全て愛川さんに伝えるとか言ったくせに、俺は彼女の全てを把握できていなかったんだ……。


 数分の沈黙の後。

 前髪で顔を隠していた堂庭は鞄を肩にかけて立ち上がる。

 その時一瞬だけ彼女の髪の隙間から表情を伺うことができた。

 一切の無表情であったが目元が腫れているように見えた。涙を堪えているのか、既に泣いていたのか……。


 それから堂庭は俺に背中を向けて消え入りそうな声で一言。


「あたし、ロリコンから卒業するわ」


 俺の返事を待たぬまま、彼女は教室を後にした。



 ◆



 翌日の朝。

 俺は普段より一時間早く目を覚ました。

 二度寝をしようとしたが体が許さなかった。


 堂庭がロリコンをやめる。


 彼女の衝撃の発言に俺は気が気でならなかったのだ。

 結果的にみれば愛川さんも黙ってくれるだろうし、堂庭の気持ち悪さややかましさが無くなることで俺と桜ちゃんで約束していた「堂庭の性癖を直す」も同時に達成できる。

 良いことずくめのように思えるが、俺は全く気分が高揚しなかった。寧ろ不安で仕方無い。


 ――堂庭を守れていないのではないか?


 昨日、去り際に見せた堂庭の冷たい表情がフラッシュバックして蘇る。

 あんな顔はあいつには似合わない。

 無邪気に笑って、怒って、子供みたいにはしゃいでる姿がいいんだ。

 昨日の俺はそれを守れなかったんだ。



 ◆



 いつもの時間に家を出て、いつもの電車に乗り込み、いつも通り登校する。

 教室に入り、平沼と適当に喋りながら朝を過ごす。

 そしてホームルーム開始のチャイムが鳴る数分前に堂庭がやって来る。

 今日も至って平凡だ。何の変哲もないいつも通りの日常が始まろうとしていた。



 …………が、今日は少しだけ違っていた。


 幼女に興味を無くし、出しゃばるのもやめる。

 愛川さんが指示したこの言葉を堂庭は着実に遂行していたのだ。


 休憩時間になると彼女は一人で大人しく読書をしていた。遠目で見ていたので本のタイトル等は分からなかったが、漫画やラノベではなく小難しい文庫本のようだった。文学少女かよ。

 昼休みも一人で弁当を広げていた。寂しそうに見えるのでつい声を掛けたくなるが、きっと大人しいキャラを作るための行動なので放っておいた。因みに先程の本を片手で読みながら弁当を頬張っていた。だから文学少女かよ。

 放課後。堂庭は教室のガラス窓を開け、風でなびく髪を片手で押さえながらどこか遠くを見つめていた。しかし似合わない格好だな。

 俺は自席で頬杖をつきながら、すました顔をする彼女を眺める。

 生徒達は次々と教室を後にするが堂庭は動かない。


 やがて俺達二人だけになった頃。


「でも少し……この風……泣いています」

「いやだから文学少女かよ」


 虚空を見つめる堂庭に思わずツッコミを入れる。

 しかしなんだよこの変なキャラは。背が低くて童顔な堂庭には似合わな過ぎるぞ。


「あら晴流…………いたのね」

「今気付いたんかい」


 ゆっくりと落ち着いた声で堂庭が答える。色気を付けたかったのか、普段より低いトーンで話すものの、大人の女性らしさは残念ながら皆無だ。おままごとで母親役を演じる小学生の方がしっくりくる。


「帰りましょ」

「…………だな」


 うっすらとした笑顔を浮かべながら堂庭が一言。

 そんな姿……やっぱりこいつには似合わない。



 ◆



 オレンジ色の夕日に染まる道を二人肩を並べて歩く。

 学校から帰る時は堂庭と一緒であることがほとんどだ。今日も今日とていつもと同じ。くだらない話で道のりを繋いでいく。


「明日朝礼あるんだっけー?」

「ええそうよ。八時までに登校しないと間に合わないわね」

「そっか…………」


 しばらく沈黙。


「あ、そういえば来期に幼女がメインの日常アニメが放送されるらしいぞ!」

「……ふぅーん。まぁ、あたしには関係無いわね」

「おぅ…………」


 再び沈黙。



 駄目だ。会話が全然続かねぇ。

 普段なら堂庭が意気揚々とロリについて語ってくるので俺は相槌を打っているだけで良かった。

 でも今日は違う。ロリコンを手放した堂庭には話す種が何一つ存在しないのだ。

 彼女はおしとやかな作り笑顔をしたまま淡々と俺の隣を歩くだけ。会話が盛り上がらないのも当然である。

 それでも気まずい空気になるのは避けようと俺は必死に話題を思い浮かべていた。

 すると前方で母親とその子供とみられる幼い女の子が手を繋いで歩いている姿が目に入った。

 親子は段々とこちらに近づいてきている。

 マズい! どこか曲がり角は無いか……。


 幼女を避ける事が体に染み付いてしまった俺はつい焦ってしまったが今の堂庭ならきっと大丈夫だよな。

 隣を見ると堂庭は「ぐへへぇ」といった心底気持ち悪いロリコンボイスは発していなかったものの幼女に目を奪われていた。

 すれ違う際も彼女の頭は幼女に合わせて動いていく。


「おい、ロリコンはやめたんじゃなかったのかよ」

「ぎくっ!」


 一瞬だけ肩が跳ね上がる堂庭。余りにも分かりやすい反応だな。


「今のは……そう。あの子の髪飾りが可愛かったのよ! そう、それに違いないわ!」

「誰に向けて説得してるんだよ」


 明らかに動揺している。やはり堂庭はそう簡単に幼女から興味を逸らすのはできないだろう。もはやロリコンは彼女の一部と呼んでも過言では無いのだから。


「なぁ、お前本当にこれでいいのか?」

「…………ええ、別に構わないわよ。幼女好きをやめてもあたしは困らないし」


 そっぽを向いたままの堂庭が一言。

 でも今のは彼女の本心なんかじゃない。根拠は無いけど幼馴染みとしての直感がそう確信していた。

 でも俺はどうしたらいいんだろう。

 愛川さんとの和平を保ちつつ堂庭の笑顔を取り戻す方法はないのだろうか。


 一人で考えても答えは見つからなかった。

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