3-2「別にいいじゃないですか」

「なんかお兄さんらしい部屋ですね」

「そ、そうかな」


 俺の部屋をぐるっと一回りした桜ちゃんが答えたが、今のは褒め言葉だったのだろうか。

 必要最低限の家具とノートパソコンが一台あるだけという生活感の無いこの部屋が俺らしいと。


 ……少なくとも褒められてはいないよな。


「じゃあその辺に座ってていいから。俺はお茶とお菓子を持ってくるよ」

「すみません、わざわざありがとうございます!」


 少し落ち込んだトーンで話す俺に、桜ちゃんは笑顔で頷いた。




 二人分のお茶とリビングにあったクッキーをトレーに乗せて二階の自室まで運ぶ。

 ゆっくりと階段を上り、お茶を零さないよう慎重にドアを開けると、本棚のある一点をじっと見つめる桜ちゃんの姿が目に入った。


「桜ちゃん、どうしたの?」

「あ、いえ。あそこに幼稚園の卒業アルバムがあるな、と思いまして」


 桜ちゃんが見つめていた先には確かに幼稚園の卒業アルバムがあった。因みにその隣は小学生、中学生の卒業アルバムが並んでいる。高校を卒業したらきっとその隣にもう一冊加わることになるだろう。


「それ、気になるの?」

「えっと、はい。……まあ私はお姉ちゃんの卒アルを見せてもらってましたから、内容は知っているんですけどね」


 そう言ってニコリと微笑む。

 幼稚園、か。あの頃は俺と堂庭、桜ちゃんの三人でよく遊んでいたよな。楽しい毎日だったけどそれから俺達は一旦バラバラになって、今は同じ高校の仲間として顔を会わせるようになった。

 どれも懐かしく、大切な俺の思い出である。


 俺は手に持っていたトレーをテーブルに置き、しばらく郷愁の念にかられていた。

 すると桜ちゃんが手をポンと叩き、何かを思い出したように話し始めた。


「そういえばお兄さん、あの時の約束覚えてますか?」

「約束……?」


 この流れで「あの時の」と言ったら幼稚園の時の話だよな。

 だがその頃の記憶はほとんど残っていないしな……。残念ながらさっぱり覚えていない。


「私が年少クラスの時に私とお兄さんで婚姻届を作る遊びをしていたじゃないですか」

「えーっと、そんな事もあったっけ」


 頭を掻いて思い出したようなフリをするが、実際にはこれっぽっちも覚えていない。

 ってか桜ちゃんと婚姻届って……。園児の遊びとしてはリアリティが有り過ぎるだろ。


「それでその時にお兄さんが「これを出せば結婚できるの?」と聞いてきたので私は大人にならないと駄目だと思う、と答えたんです」


 桜ちゃんはその記憶が脳内にしっかりと刻み込まれているのか、すらすらと話す。


「そしたらお兄さんは「じゃあ大人になったら本物の婚姻届を出そう」と言ったんです」

「ちょ、そんな事言ってたのか……俺」


 もう思い出したフリをするのを止め、素直に過去の自分の発言に衝撃を食らう。

 俺って桜ちゃんと婚約してたの……?


「ふふ、話はまだ続きますよ」


 桜ちゃんは俺から目線を逸らし、頬を赤らめながら答えた。

 まだ続くって……昔の俺はまだ爆弾発言をしていたというのか。


「……私はそれから、結婚するなら先に恋人にならなくちゃいけないよって言ったんです」

「うむ……」

「そしたらお兄さんが「じゃあ今から恋人って奴になろう」と言ってくれたんですよ」

「ぐわぁー。何言ってんだよ俺は……」


 じゃあ恋人になろうとかノリ軽すぎだろ俺。大体意味とか絶対分かってなかっただろうし。

 頭を抱え、過去の自分を反省する俺だったが、桜ちゃんは赤らめていた頬を更に真っ赤に染め上げ、今にも蒸気が出てきそうな程だった。

 申し訳ない。桜ちゃん、軽率だった俺の発言を許してください……。


 そして少しの間部屋は静まり返る。お互いに気まずい時間が流れたが、やがて桜ちゃんが口元を緩めて答えた。


「……言うなれば私とお兄さんは今でも結婚を前提に考えた恋人同士、ですけどね」

「ぶぐへぇ、ゴホッ、ゴホッ」


 盛大にむせた。

 くそ、照れながらそんな大胆な発言をするんじゃない!


「よ、幼稚園の頃の話だろ? あの時はきっと内容を理解していなかっただけで……」

「でも口約束をした以上、法的な効力もあるんですよ?」


 いたずらな笑顔を浮かべながら話す桜ちゃん。……この子はただ俺をからかっているだけなのか。それとも……。


「大体俺と恋人だなんて絶対嫌でしょ」

「えー! そんな事ないですってば!」


 桜ちゃんは拳を地に押し付け、異議を申し立てる。

 すると彼女は突然俺の目の前まで身体を引き寄せ、俺の顔を覗きこむように見つめてきた。


「ちょ、ち、近いんだけど」

「えへへ、別にいいじゃないですか」


 いや、良くねーよ! 何だよ急に……。

 後ろに仰け反る俺に桜ちゃんは頬を赤らめ、更にその顔を近づける。

 そして彼女はどこか寂しげな口調で小さく呟いた。


「……私じゃ、駄目なんですか?」

「え?」


 彼女の暖かい吐息が肌に触れる。……そして近い。近過ぎる。あと全身が焼けるように熱い。それに心臓も飛び出しそうなほど鼓動が速くなっていた。


「私が恋人だったら……嫌なんですか?」

「いや、お、俺は」

「……って冗談ですよ、冗談!」


 言いかけた俺に桜ちゃんは言葉を重ねて遮った。

 そしてようやく俺の目先から離れ、手を口元に当ててクスクスと笑い出した。


「対応に困るからあまりからかわないで欲しいな」

「えっと、違うんです。からかった訳ではないですよ!」


 はっとした表情に変わった桜ちゃんは申し訳なさそうに答える。


「そういう所も含めてのお兄さんなので。私はお兄さんの事、絶対に馬鹿にしたりなんかしないですから!」

「そ、そっか……。ならいいんだけど」

「えへへ。……でも私はお兄さんとなら考えてもいいなーって思ってますけどね」

「え? それって……」

「あ! 今のは気にしないで下さい!」


 桜ちゃんは手を横に大きく振って気にするなと言うが、今のは易々と水に流せない発言だっただろ……。

 彼女の顔は依然として真っ赤なままだし、俺と目を合わせようともしない。


 ――先程も含め、桜ちゃんの言った事は本当に冗談だったのだろうか。


 って何考えてんだよ俺は。流石に冗談に決まっているだろう。桜ちゃんが俺の事をそんな風に思っているなんて有り得ないっての。彼女は堂庭と同じ単なる幼馴染みな訳だし。


 俺は一つため息をつき、俯く桜ちゃんに声を掛ける。


「……そろそろ今日の本題、入ろっか」

「あ、ちょっとその前に」


 そう言って片手を挙げた桜ちゃんだったが、やはり目は合わせてくれない。


「その……お手洗いに……行きたいです……」

「あ、そっか! ごめんごめん」


 なるほど、トイレを我慢していたのか。顔が赤くなっていた理由はきっとこれだな。

 俺は桜ちゃんに場所を説明すると、彼女は立ち上がってそそくさと部屋から出て行った。


 そして再び静寂が訪れた空間。

 俺は頬杖をつき、たった今起きた事態について考える。



「俺となら考えても良い、か」


 さっき桜ちゃんが言った言葉。

 文字通り捉えると俺となら付き合っても良いということだが……。


 ……いや、ないない!


「俺となら」と言うのは俺が桜ちゃんにとって唯一気兼ねなく話せる男子だからだろう。

 要は男子が苦手な桜ちゃんが恋愛対象として考えられるのが俺だけ、ということだ。


 とはいえ桜ちゃんはただの幼馴染みの関係である。


 今の彼女にそれ以上の意識があるなんて……有り得ないはずだ。

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