2-8「ひぃ、ふぅ、みぃ、ポンッ!」
駅の改札口を出てから中華街に到着するまでの間、俺たちに会話は無かった。
しかし修善寺さんはその事実を気にしていないようで、辺りの街並みに目を光らせていた。
一方俺はとてつもない緊張感に囚われており、会話をする余裕なんて微塵もなかった。
だってこんな可愛い女の子と
何故修善寺さんは快諾してくれたのだろうか。しかも楽しそうに隣を歩いているし。
周囲からすると俺たちは仲睦まじいカップルに見えているのだろうか。それとも、どこかぎこちない初々しいカップルなのか……。いやそれとも誰もが羨む理想のカップル……?
あぁヤバい。妄想を膨らませていたら余計に緊張してきた。手汗が凄い事になってるな。
程なくして中華街の入口に辿り着き、最初に口を開いたのは修善寺さんだった。
「写真撮っていいかの?」
目の前にそびえ立つ『街華中』と書かれた門を指差しながら俺に問いかける。
「あ、どうぞどうぞ」
緊張の余り素っ気ない返答をしてしまったが、修善寺さんは笑顔で頷きブレザーのポケットからスマホを取り出した。そして鼻歌混じりに操作を始める。
俺は傍でその様子を眺めていたが少しでも緊張感を紛らわそうと、ここで俺の知る数少ない豆知識を披露することにした。
「しゅ、修善寺さん、この中華街には十基の門があるって知ってた?」
「十……? このバカでかい門がそんなにあるのじゃ?」
興味深そうにこちらを見てくる修善寺さん。俺はそのまま話を続ける。
「そうそう。因みにこの門の名前は
「なるほど。……宮ヶ谷殿は物知りなんじゃな。見かけによらず大したものじゃ」
感心する修善寺さんに苦笑いで返す俺。最後の一言は余計だが、素直に話を聞いてくれて良かった。
「じゃあ写真を撮るぞ。お主もこっちに来るのじゃ」
「え、俺も?」
スマホを片手にいいから来いと手招きする修善寺さん。もしかして……二人で撮るの!?
「一回自撮りというものを体験してみたくてのう。……ほら、早く来るのじゃ」
「い、いや俺は写らなくていいから」
「ふふ、何を躊躇っているのじゃ。別に恋人同士の仲でもなかろうに」
「いやだから……」
付き合っていないからこそ恥ずかしいのではないだろうか。大体修善寺さんは何とも思っていないのか?
「宮ヶ谷殿。恥じらいは人生の
口調を強めた修善寺さんが語りかける。人生の無駄、か。割り切った考えだな。俺には到底思い浮かばない案だ。
そのような事まで言われ、諦めた俺は彼女のすぐ隣へ移動する。
「こ、こんな感じか?」
「それじゃあ写らんぞ。ほら、もっとこっちに」
修善寺さんはもっと近くにと俺の二の腕を掴んで引っ張った。
「っぐ!」
「……なに変な声を出しているのじゃ。そんなに童と居るのがドキドキするのかえ?」
いや当たり前でしょうが!
真横で修善寺さんが見つめてくる。近い、距離が近い! 少しでも顔を傾けたらキスできそうな位だ。それに彼女のふわふわした髪が当たってこそばゆいし……。
って余計な事考えていたらまた手汗が凄い状態に!
「じゃあ撮るぞ。ひぃ、ふぅ、みぃ、ポンッ!」
修善寺さんは動揺する俺などお構いなしにシャッターを切る。独特な掛け声だったが最後のポンッの言い方が可愛かったな。
彼女はスマホを再度操作し撮った写真の確認をする。修善寺さんは満面の笑顔で写っていたが、俺は口を引きつらせたような微妙な笑顔になってしまった。緊張しすぎてるな、俺。
「よし、じゃあ早速食事にするかの! 店までの案内は頼むのじゃ」
修善寺さんは依然として楽しそうな表情を浮かべていた。
俺はこんなにもドキドキしているのに、彼女は緊張の欠片も感じられない。
やはり俺の事なんて何とも思っていないのだろうか。まあ、ほぼ初対面みたいなものだし当然なんだけど。
俺はそんな事を考えながら中華街の通りを進んでいった。
堂庭絶賛のお店『賀松樓』は全国的にも有名な中華料理店とのことだったが、時間が早いせいか並ばずに入る事ができた。
もしかしたらこの謎行程は適当に立てたものではなくて、予定通りに回れるように考えた堂庭なりの配慮なのかもしれない。乗り気になると頭のキレが良くなるからな、アイツ。
「どれにしようかのう」
修善寺さんを奥のソファーに座らせ、俺は向かい合うように座る。
「宮ヶ谷殿は食べたいもの決まってるのかえ?」
「あぁ。俺はこれにしようと思ってる」
言いながらメニューの麻婆豆腐定食と書かれた文字を指差す。
「そ、そうか。麻婆豆腐もいいのう。……童も早く決めないとな」
「いや全然気にしなくて良いよ。俺が決めるのが早いだけだからさ」
そう言ってわたわたと慌てる修善寺さんを落ち着かせる。
因みに俺は初めて入る店で最初に食べるものは大抵決まっている。
中華料理なら麻婆豆腐。和食なら豚カツといった具合だ。
敢えて同じメニューに揃える事でその店の特色が分かる気がするのだ。
「うむ……。お金が足りるかのう……」
修善寺さんはメニューと睨めっこしながら、ブツブツと呟いていた。
金額を気にしているようだが、意外にもお嬢様のお小遣い事情は厳しいのだろうか。
「ここは俺が出しておくから好きなの注文していいよ」
「なな! でも奢ってもらうのは悪い気がするのじゃ……」
「いやいや気にしなくていいからさ」
「そ、そうか……? じゃあお言葉に甘えさせて頂くとするかのう」
そして修善寺さんはメニューにある北京ダックの写真を指差した。
二人分の食事代となり予想外の出費となったが、修善寺さんの楽しそうな笑顔を見ているとそんな事どうでもよく思えてくる。
何しろ可愛い女の子とデートという超レアイベントなのだ。
ここは男としてケチになってはいけないだろう。
「すみませーん! オーダー良いですか?」
「はい、少々お待ち下さい」
近くにいた店員に声を掛け注文する。
修善寺さんはその様子を目を丸くして見ていた。
「手取り足取りすまないのう。こういうお店に入った事がほとんど無くて……」
「全然気にしなくて良いよ。だって修善寺さんはお嬢様なんだし」
「いやそういう意味じゃなくて、その……」
言いかけた修善寺さんだったが、そこで口を止めてしまい俯いてしまった。
「ごめん。何か気に障るような事言ったかな?」
「ち、違うのじゃ! こちらこそすまない。さあ楽しもうではないか!」
「あ、あぁ……」
その時の修善寺さんは何故か動揺しているように見えた。
だが俺は特に気に留めはせず、今を楽しむことにした。
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