閑話「ぼくは、おにいちゃんがだいすき」

 大天使は幼子を愛おしく抱きかかえている。

 亜神であれば形にこだわるのであろうが、神に一番近い所に居る大天使は形などにはこだわらない。では大天使はこの幼子の何に惹かれたというのか?

 本人に問うたところで、本人自体が理解していない。

 故に結論の出ない話である。

 眠る幼子は先ほどまでの、強い意志を宿した瞳で案山子を操り『地上の者達に負けるはずがない』と奢っていた大天使たちを一蹴に伏した。

 しかし眠るその姿はその英雄と同一人物とは思えない程に、保護欲を湧き立たせる。

 大天使はぎゅっと抱きしめたくなる衝動を抑えながら、先ほどから自分を監視する2m程の小型になった白龍をみる。

 白龍は面倒くさそうに大天使を見ていた。

 下級神と同等とされる白龍である。その気になれば大天使は抵抗できないのだが、特に何かするでもないので大天使は白龍の事を気にしない事にした。

 そして大天使は視界を広げ捕らえられている同朋に目を剥ける。

 そこには白龍の主人が、精神魔法を同胞たちにかけて回っている姿が映った。

 人類にしては見事な術だが、そのような術で得られた情報はたかが知れている、大天使は『やはり人類は幼い』と嘆息をつく。


(我らの目的が漏れることは無いですね……我らが消えようとも……)

 大天使はしばらく眠る幼子を眺め続けた。

 ふっと大天使が目を離した隙に、目の前から【神々しい波動】が発生した。

 とっさに幼子を庇う大天使に、現れた神々しい者は軽く手で制し、しばらく大天使と幼子を眺めていた。

 大天使にはそう感じていた。

 神々しい者が精密かつ特殊な結界を展開している事に、大天使には気づかなかった。数分経つと神々しい者は口を開く。


「先輩、準備整ったっす」

 軽い調子だった。

 だが、その言葉に応じて幼子の中から大天使が【最も敬愛し、全てを掛けた神々しい気配】が発生、そして強まってくる。

 やがてそれは大天使の前で人型の光となった。


「神宮寺君、手際が良くなったね……」

 光は中年男性を模り、神々しい者を『成長したなぁ』と感慨深くうなずいている。


「……あ、やば」

 光る中年男性は手を空にかざす。


「神宮寺君、危ない。結界に隙があったよ」

「えー、まじっすか。すみません」

「やばいね。彼女に気付かれたかも……。神宮寺君、報告書に書き加えておいた方が良いかもね……」

 光る中年男性に神々しい者、レベル神神宮寺、は苦笑いを浮かべながら頭を下げている。

 光る中年男性はアドバイスを与えながらも、どこか嬉しそうだ。


「なんか、一緒の部署に居た時のことを思い出しますね」

「うんうん、君の尻拭いに奔走した日々だったね」

 光る中年男性は頷きながらチクリとさす。満面の笑みである。


「昔っす、若かりし頃の話です」

「ほんとか~」

 微笑ましい社会人トークなのだが、数万年を生きる彼らにとって一時期体験した人間の生など一瞬の出来事【だった】はずだ。



「人間でいることも、経験すると楽しかったなぁ」

「何言ってんすか。先輩は戻るんです」

 神宮寺は一転して真面目な表情で光る中年男性を見つめる。

 光る中年男性は苦笑いを浮かべる。


「……確かにね。勝はあの世界に帰らないとね。うん。君に言い含まれるとは年を取ったなぁ」

 楽しげであった。


「お互い1万歳超えてますけどね」

「それを言われるとな……」

 そこで光る中年男性は大天使に向き直る。 


「………………XXXXちゃん、今まで苦労を掛けたね。ちょっと野暮用で出かけてくるけど。マイルズのことお願いしてもいいかな?」

「………………はい……………………」

 大天使が涙をこらえながら頷くと、光る中年男性と神宮寺は次の瞬間、その場からかき消えた。

 大天使の目から見て何が起こったかわからなかった。

 しかしそれは大天使からすると、さほど気になることではなかった。

 超上の主のする事気にするだけ無駄なのだ。

 そう、昔も笑いながらそう思っていた。

 安心。そして緩む頬を感じながら彼女の涙腺は決壊した。

 我慢していた。

 目の前に求めてやまなかった人物が期せずして現れた。

 それはかつて自分たちが心から仕えた主。

 彼の下、世界の安定のため飛び回った記憶。

 陰に日向に苦労した日々は、大天使を含む【今は不在である、光の神】の眷属たちとって黄金の記憶。それが大天使の心の奥底から津波の様に押し寄せる。

 もう戻らないと諦めてしまった過去が戻るかもしれない、その事実が大天使である彼女の涙腺を刺激し続ける。

 主を見つけたことで心が柔らかくなる。

 心が緩み、ほおが緩み、涙腺が緩む。

 涙と一緒に想いも決壊する。

 それは【今回】この世界に【彼が居るかもしれない】信じ、事を起こした同じく光の神の眷属たちも同様だった。

 ある者は案山子の封印結界の中から首だけ向け、剛の者は封印自体を中から力技で方向を変えて。

 ありし日の黄金の記憶が、彼らの脳裏で鮮明に再生される。

 大天使が光の神から掛けられた『今まで苦労を掛けたね』の一言は、この場の眷属全員が我が事として理解していた。


「う……うーん」

 大天使の腕の中で幼子が覚醒を始める。


「……おとうさん…………おかあさん………………おじいちゃん…………おばあちゃん………………まさるにぃちゃん…………」

 寝ぼけて家族を求める幼児の最後の言葉。

 大天使はその一言に驚かされる。

 あの方が一時的に抜けたこの子に【まさかあの方の記憶】、その欠片が残っている証明だからだ。


「おねーちゃん、なんでないてるの?だいじょうぶ?」

「……うん、なんでもないよ。おねーちゃんうれしくてないてるんだよ」

 眠い目をこすりながら、うつらうつら揺れるマイルズが、大天使を気遣う。

 そして聖母の笑みともいえる大天使の微笑みを見ながら、マイルズは無造作に彼女へ、その小さな柔らかい手を伸ばす。

 届かない様子なので大天使は顔をマイルズに近付ける。

 だが、それでも届かない様子。

 大天使がもう少し頭を下げると、その小さな手は頭に乗り、そして……。


「いたいの、いたいの、とんでいけ~」

 にぱっと笑いマイルズは彼女の頭から手を離す。


「まさるにぃちゃんからおしえてもらったおまじない。おねーちゃん、げんきなった?」

「……うん。マイルズちゃんは優しい子だね」

 マイルズはえへへ、と嬉しそうに笑うと再び大天使の腕に抱かれ眠りに落ちた。

 大天使は幸福感に包まれていた。

 一時期存在を消してしまおうかと考えた。

 だが仲間たちに『可能性としてほぼゼロだが、せめて主の為に』と説得され、この暴挙に至った。

 大天使はこの幸せを味わいながら、この幸せが存在が消える前の夢ではないかと疑う、彼女の幸せな問答は彼らが戻るまで続くのだった。


カクヨム+α

「で、先輩はどちらへ?」

「闇の神の所へあいさつにね」

 神宮寺の眉が動く。


「彼女の所に向かってしまうと、彼らにばれてしまうからね」

「……隠密なら確かのあの方ですが…………お母様にはお会いにならないのですか…………」

 光る中年男性は困った弟を見る視線を神宮寺に向ける。


「会いに行きたいさ。でも、それで多くを敵に回し、また数千年の時を彼女を想いながら離れることになるのは……私の我が儘だがわかってほしい」

「しかたないっすね……」

 そこで神宮寺は大きくため息を吐くと虚空を眺める。

 光る中年男性はそこと別の空間を眺める。


「天界の方は誤魔化せてるかな?」

「広場で観戦していた9割強の方々は大丈夫でしょう。ですが、数値監視をしている方々にはばれているでしょうね」

「まぁ、その為の闇の神だな……」

「幼馴染みでしたっけ」

「同時に生れたから、兄妹みたいなもんさ」

「……はぁ、お母様に何と報告をすれば…………」

「あははは、さすがに妹に嫉妬などしないだろうさ」

「……あなたはそうやって日本でも振られ続けたじゃないっすか」

「おまっ、そっそうだったの?」

「女の子への気遣いって大事ですよ……お母様には…………俺の方で頑張っておきます」

「すまん。よろしく頼む」

 光る中年男性はそのまま別方角へ消える。

 神宮寺はげんなりしながらも、ほおが緩む感覚を抑えきれない。

 このまま天界へ向かえば何柱かの神と出会う。こんな表情ではだめだ。そう思っていても神宮寺は久しぶりの先輩との作業に高揚する自分を押さえられず、10分ほどその場で深呼吸を続けるのだった。


「お母様。貴方より生み出されし全てを代表してあなたに幸せをお持ちします。ですので、しばし、しばし御辛抱を………」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る