第636話史とブラームス(5)

ウツラウツラしながら史は、身体の中の変化に気がついた。


「あれ?足が温かい」

「何故だろう、ポカポカしてきた」

「でも、これ、気持ちがいい」

「菅沼先生の言う通りに、呼吸しただけなのに」


その史に、菅沼から声がかかった。

「史君、どうかな?」


史は、自然に目を開けた。

そして、自然に声が出た。

「ありがとうございます、何か、ホッとしました」

「楽になった感じです」

史にとっての実感は、それ以上でも、それ以下でもない。


菅沼は、また、頷いた。

「それでいい、それだけを感じて欲しかった」


史は、また自然に声が出た。

「こういう経験は初めてです、すごく不思議なんです」


菅沼は、少し笑う。

「史君が気に入ったら、時々、さっきの呼吸をすればいいかな」

「出来る時でいいよ、そう思った時で」


史は、菅沼に頭を下げた。

「先生、ありがとうございました」

「モヤモヤしていて・・・不安が、今はありません」


菅沼は、また頷き、少し笑う。

「いや、私には礼は言わなくてもいい」


史が菅沼の顔を見ると、菅沼はまた笑う。

「元々が、道元禅師の言葉なんだ」


史は、道元の名前で背筋が伸びた。

史とて、かの有名な道元の名前は、耳にしたことがある。


菅沼は、また笑う。

「まあ、それを道元さんに聞いたところで、彼は釈迦の教えって言うだろうしさ」

「釈迦に聞いたところで、御仏の教えって、言うんだろうね」


史も、笑ってしまった。

そして、菅沼にまた頭を下げた。

「先生、また悩んだら、教えてください」


菅沼は、また笑う。

「ああ、全く心配いらない、いつでもお聴きします」


史は、ますますの笑顔。

立ち上がって、珍しく大きな声。

「ありがとうございました、また来ます」


そして、菅沼の微笑む顔に、再び頭を下げ、談話室を後にした。



さて、教室に戻ると、里奈が史の顔をじっと見る。

里奈

「ねえ、史君、何があったの?」

「さっきと全然、顔が違う」


史は、少し笑う。

「えっと、呼吸しただけ」


里奈は首を傾げる。

「それじゃ、わからないって!史君」

「呼吸は今でもしているって!」


史は、また笑う。

そして、里奈にも「道元禅師がね」と、説明をはじめている。



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