第631話大旦那の明日香村の話(3)

大旦那は背筋をまっすぐに、話しはじめた。

「明日香村の橘寺というところは、実はかの聖徳太子誕生の地」

「お誕生になった当時は、橘の宮という欽明天皇の別宮があった」

「太子は欽明天皇の第四皇子の橘豊日命つまり、その後の用明天皇と穴穂部皇女を父母とされて、この地にお生まれになった」

「厩戸皇子とか、十七条憲法とか遣隋使とか仏法交流とか、その後の人生は、かくも有名、とりわけて詳しく説明する必要はないと思うけれど」

大旦那がここで間を置くと、集まっていた客全員が頷く。


マスターが少し補足する。

「聖徳太子というと、斑鳩の法隆寺のイメージが強いと思うけれど、実は明日香村が原点、当時はこの周囲が都だった」


大旦那は、マスターに頷き、また話しはじめる。

「まあ、そういう話もあるけれどね」

「境内には飛鳥時代の石造物の二面石、人の心の善悪二相を石の両側に刻んだものとか、五重塔跡がある、金堂や講堂など六十六棟を有するおそらくかなり大きな寺院だったのだろう」

「ただ、それ以上に関心を持ったのは」

ここでまた、大旦那が一呼吸、いよいよ本題が始まるらしい。


「現在は基本的に天台宗の寺院、もともとは興福寺や薬師寺と同じ、法相宗だったらしい」

「それがね、お寺の中に、弘法大師の像があったり、法然の像があったり、日蓮の画像があったり、ああ、庭には親鸞の像もあった」

「これは、なかなか見られないこと」

「私は、これですごくうれしくなってしまったのさ」

「ああ、いいお寺に来たなあとね」


清が驚いた顔。

「ほぼ、各宗派の開祖が全員ですね」

「中には対立している宗派もあるのに」


大旦那はにっこり。

「まあ、聖徳太子様の御威光の前では、誰も対立できないのでは」

「誰も対立できない、それが仏法の原点とも言えるかな」


美幸も一言。

「本当に行ってみたくなりました」

「そういうお寺って、本当に別格なのだと思うんです」


大旦那は、また話し出す。

「お菓子の神様という田道間守もここに立ち寄ったらしい」

「つまり、垂仁天皇の時代に、勅命を受けた田道間守が十年の長い間苦労して不老長寿の秘薬を探し求めた」

「その田道間守がようやく秘薬を持ち帰ったところ、垂仁天皇はすでにお隠れになっておられた」

「この時に、田道間守が持ち帰った実を、この地にまいたらやがて芽を出したのが橘だった、だからこの地を橘と呼ぶようになったとか」

「また田道間守は黒砂糖も持ち帰って、橘と共に薬として使った」

「その後は、蜜柑、薬、菓子の祖神となった」


大旦那による明日香村の話は、長く続いた。

集まった客と美幸の目は、ますます輝く。


ただ、マスターと清は苦笑。

マスター

「本当に話し好きだ」

「それで話が上手です、途切れない」

マスター

「お酒の会は内緒にしよう」

「大演説会になりそうです、そうしましょう」


マスターと清は、大旦那に対しては「お酒の会」は禁句とする旨、申し合わせている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る