第8話贅沢な一品
午後6時になった。
カフェ・ルミエールは、午前9時からの盛況を極める喫茶部とは異なり、いつものしっとりとした大人のバーに変わっている。
「お疲れさま、少し飲んで帰るかい?」
ようやく喫茶部の仕事を終えた洋子にマスターが声をかけた。
洋子もうれしそうな顔を見せる。
「あら・・・マスターのお酒が飲めるの?」
涼子も洋子に声をかける。
「マスターが作ってみたい・・・料理とは言えない程のものがあるみたいなの」
涼子は、少し含み笑いをしている。
「へえ・・・横浜ニューグランドホテル仕込みのマスターが?」
洋子には、かつての名シェフが「料理とは言えない程」のものを作るなど、全く想像もつかない。
「ねえ・・・私も昨日聞いて、まさかと思ったんだけど」
涼子は水割りを洋子の前に置いた。
そこまで言われ、お酒をおかれると、洋子としては断る理由もない。
「じゃあ、遠慮なく・・・」
「オールドパー・・・美味しい」
洋子の身体に絶妙なオールドパーが沁み込んでいく。
「それじゃあ、それを飲んでいてくれ、すぐ作るよ」
マスターも含み笑い、キッチンに消えた。
「うーん・・・ますます、わからないなあ・・・」
「オールドパーは美味しいけれど」
洋子は、最初は首を傾げていた。
しかし、すぐに顔色が変わった。
「え?何?この香ばしさ!」
「うわーーー店中に・・・」
「お客さんたち・・・目の色が変わっているし!」
洋子が感じた通り、店内全体に漂う香ばしさは半端じゃない。
そしてマスターは言葉通り、「すぐに」「料理とは言えない程」のものを持ってきた。
「え?バターピーナッツでしょ?」
「これ、今、手作りしたんだ」
「それでかあ・・・まあ、取りあえず食味」
マスターが持ってきたのは、確かに単純極まるバターピーナッツだった。
それなら、マスターが「料理とは言えない程」と言うのも、納得できるのだが・・・
しかし、一粒を口に入れた洋子の目がパッと開いた。
そして、興奮している。
「上手過ぎ!この加減!そして落花生と・・・」
「・・・え?もしかして?」
洋子は、少し気がついたことがあるらしい。
マスターの顔を見た。
「うん、落花生は地元産」
「バターは、洋子さんの思った通りさ」
「史君が作ったフレッシュバターを使ってみた」
マスターはここでやっと種明かし。
「うわーーー!地元産の落花生使って、フレッシュバターでバターピーナッツなんて贅沢過ぎ・・・いやーーーこれは幸せだ」
「それに、もう止まらなくなってきちゃった」
洋子は、確かに食べ続けている。
「そうかい、それじゃあ、新メニューにするかな」
マスターは涼子の顔を見た。
涼子は何も言わず、ニッコリ。
「少し余分に作ったの」
涼子は、全員のお客に「新メニュー:フレッシュバターのバターピーナッツ」を配っている。
「肩書とか経歴が美味しいわけじゃない、食べてみて、飲んでみてなのさ」
マスターは、ポツンとつぶやいた。
「その通り・・・この店に来てよかった」
「誘ってくれてありがとう・・・」
洋子は、少し涙顔。
涼子が戻って来た。
そして洋子を見て、マスターに一言。
「私以外の女を泣かせないでください」
「・・・もう一品作るかな・・・」
マスターは、いたたまれなくなったようだ。
肩をすくませながら、キッチンに消えた。
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