エンジュ①
シオンがそこに踏み込んだとき、すでに弟の姿はなかった。
いきなり
「エンジュはどこだ?」
「知りません」
シオンは舌打ちする。女の声は震えていた。だから、エンジュは妻子を捨てたのだろう。あとから追いついてきたセルジュに目顔で合図する。エンジュの身柄を抑えるまで、妻子らは地下牢に繋がれる。
「わ、私たちは……」
女がシオンの
「私たちは、なにも知りません」
「わかっている」
だが、妻女らを捕らえなければならない。戦士たちが押し入ってきた。女はいよいよ諦めたのだろう。絶望した目でシオンを一瞥し、そうして出ていった。
うしろからため息がきこえた。セルジュだ。
「彼の居場所は割れています。皆まできいてほしかったのですが」
「それを早く言え」
話が終わるよりも先に飛び出して行ったのはシオンだ。セルジュはそういう目をする。
スオウへの報告はシュロが行ったはずだ。だから、シオンは待たない。セルジュを急かして
「悪かった」
いきなりなんだという風にセルジュが見つめる。
「あそこの管理は複数に任せていた。どいつが星だったのか」
「それなら答えは簡単です。全員でしたから」
シオンは苦笑する。前任者が高齢だったので若者ばかりを集めたのはシオンだ。彼らは良く働いたし不満も吐かなかった。その意味が、やっとわかった。
「こういう状況ですからね。獅子王も奥方殿も大変でしょう。大胆に動けばすぐ発覚する。彼らは実に巧妙だった」
「私だって、目に見えて減っているものくらいわかる」
今度はセルジュが苦笑いだ。
「武器に食料に、他にも金になりそうなものはなくなっていますね」
「売り付けた先から暴いたのか?」
「ええ。あなたの名を出したら、店主はすぐ吐きましたが」
シオンはときどき市井に紛れて散策する。通貨の勉強もした。真面目に商売をやっているところもあれば、闇に隠れて汚い商売をウリにしているところもある。見つけ次第潰す。その界隈ではシオンは有名だったのかもしれない。
それだけの危険を承知で動いていた理由は簡単だ。
彼らは金を必要とし、武具を集めていた。私欲のためじゃないことをシオンは知っている。イスカの王城は安全で豊かで、ここにいればまず餓えない。家族だって皆そこにいる。それなら、彼らを突き動かすものはひとつしかない。
シオンはずっと考えつづけていた。
弟エンジュは、シオンとスオウが戻って来なければ獅子王になれた。宰相だったケイトウは優秀で、傍らに置けばエンジュの時代は長くつづいたはずだ。それなのに、エンジュはケイトウを自ら排除した。
人の手の上で操られるのはごめんだ。そう、弟は言った。幼子の頃からああいう気性だったエンジュらしい言葉にきこえた。それならば、黙ってスオウに獅子王の座を譲らなくてもよかったはずだ。
「着きましたよ」
シオンは顔をあげる。セルジュが導いたのは酒場だ。イスカの王城からさほど遠くない街にて、エンジュはそのときが来るのを待っていたのだろうか。
わからない。いくら考えてもシオンにはたどり着かない。血を分けた姉弟とはいえ、相手のことをどれほど理解しているものなのだろうか。
ただひとつ判明しているのは、エンジュは獅子王の座を欲しているということ、それだけだ。
酒場のなかはがらんどうとしている。
知らなかったのは、私だけか。シオンは口のなかでつぶやく。
酒樽を押しのけて奥へと進む。貯蔵庫にはシオンの弟がいた。すでに床には血溜まりができていて、少年らの死体も転がっていた。
「なんだ。兄者よりも先に姉者が来たのか」
エンジュもまた血に濡れている。満身創痍なのか肩で息を吐きながらも、その目は戦意を失っていない。
「で? 誰が次に俺の相手をする? 姉者が来るのか? いいぜ、俺は」
「黙れ」
シオンは剣へと手を伸ばす。スオウを待つまでもない。身内の過ちは姉であるシオンが始末を付けるべきだ。
「取り押さえてください」
ところが、背後にいたセルジュの声の方が早かった。彼は戦士たちにそう命令し、一斉にエンジュへと飛び掛かる。シオンの剣は弟へと届かなかった。
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