指名③
「シュロはあなたを心配しているのですよ」
また小言がはじまった。シオンは針仕事を投げ出したくなった。
「彼はもう立派な大人です。そしてスオウも。シオン様、あなたも早く落ち着かなければ」
「うるさいな」
年を取ったせいかカンナの説教は日に日に長くなったように思う。膝が悪くなったのは二年前だ。それから思うように動けなくなった側女の話し相手をしてやりたいが、こうも毎日だとうんざりする。
「幼なじみではありませんか。シュロはいつもシオン様を心配なさっていましたよ」
「あいつは面白がってるだけだろう」
ため息を吐きながらシオンはまた針へと視線を戻す。ずっとつづけてきた針仕事だが、カンナのようには上手くいかない。
「一緒に行くべきです。西の部族はあなたを歓迎してくれますよ」
「どうだか」
側女がため息を落とす。シュロは西を統べる部族の族長である。その妻女ともなれば子をたくさん産むのが仕事だ。
「ああ、大丈夫。シオン様は丈夫ですから」
言って、カンナはシオンの腰をたたく。思いの外強い力にシオンは苦笑した。なんだ、まだまだカンナは元気じゃないか。
「こうして一日中針仕事に専念するなんてごめんだ」
「そんな心配は要りませんよ。子どもたちは元気いっぱいですから、あっというまに一日が終わります」
「それじゃあ鍛錬もできないじゃないか」
「シュロがあなたを守ってくれます」
守られたいわけじゃない。そう、シオンは口のなかで零す。
「むかし、初代王イスカルの話をしましたね。覚えていますか?」
シオンはうなずく。いきなりなんだというのだろうか。
「イスカルの妻女は荒れ地の民の娘でした。イスカという国ができる前の話です。そこら一帯を統べる部族の娘ですから、並の男では相手にできないほど強かったとか」
「へえ」
「でもね、その娘だって妻となり母となれば変わります。少女の時分では男たちをやっつけるくらいに強かった娘も、馬を乗り回していた娘も大人しくなったのです」
作り話だな。シオンは失笑しそうになった。
「私が西に行けば、お前の話し相手がいなくなる」
「そんな心配は無用ですよ。スオウもいますからね」
シオンは肩をすくめる。縁談ならスオウの方が先に決まるだろう。そうすればスオウだってカンナのところには来なくなる。
「……カンナ、いるか?」
ちょうどそのときだった。断りを入れて入ってきたものの、三人はそれぞれ驚いた。
「と、悪い。シオンも一緒だったか」
「いや……」
謝るのはこちらの方だ。話題に出していた本人がいきなり来るとは思わなかった。
「さあ、二人とも出て行ってくださいな。わたくしはもう寝ますからね」
けっきょく、この日も針仕事は終わらずにシオンはカンナに追い出された。
「何の用事だったんだ?」
自室に戻る前にシオンはスオウに問うた。すぐに視線は外された。なるほど、言いたくないというわけだ。スオウはカンナを母のように慕っている。シオンやシュロには言いにくいことだって、母親には相談できる。
「シュロは、帰ったのか?」
「ん? ああ。それがどうした?」
スオウは答えようとして、途中で声を止める。訝しむシオンの目を見ない。
「いや……。ちょっと話したかったんだ」
「あいつなら、そのうちに来るだろう?」
「おれ、また北に行くんだ」
シオンはまじろぐ。イスカの大地は気まぐれだ。豊作となる年もあれば
「あそこは落ち着いたんじゃなかったのか? お前とシュロが、」
「宰相の命令だ」
それなら迷う必要がない。カンナのところに来たのは助言がほしかったのかもしれないし、シュロには背中を押してほしかったのかもしれない。スオウはいま、そんな顔をしている。
「出立はいつだ?」
「明朝だ」
シオンは問いをつづけようとして、しかし声を途中で止めた。きっと次に会うときにはスオウは獅子王になっている。
スオウと別れてから
こういうときは何も考えずに身体を動かすに限る。シオンに基本の型を最初に教えたのは母だった。母がエンジュを身籠もってからはカンナが代わりを務めてくれた。そのあとはどうだっただろうか。兄たちはシオンの相手などしなかったし、他に師と仰ぐ人を覚えていない。
無心で身体を動かしているうちに汗だくになった。このまま臥所に戻ってもいいが、身体を冷やせば寝付きも悪くなる。仕方なくシオンは風呂場に行った。大台所で働いている女たちの姿もなく、貸し切りだ。
ちいさい頃は女たちにぎゅうぎゅうにされながら風呂に浸かったのを思い出した。イスカの女たちはたくましい。肉体こそ男に劣っているが、炊事や畑仕事をする女たちの体付きはしっかりしている。豊満な胸に押しつぶされながらも、シオンはその時間が嫌いではなかった。
シオンは露わになった乳房を両の手で揉む。年頃の娘にしては小ぶりの、しかしそこにはたしかに女の証があった。いずれ、我が子のために使うのだろうと、シオンは自嘲する。どれだけ想像を働かせても、己がそうしているところなど思い浮かばなかった。
シュロのことは嫌いではなかったし、別段好きな相手がいるわけでもなかった。シオンはそうしたものに一度たりとも心を預けたことはなかったのだ。ならば、なぜ、友の声に応じなかったのか。
たぶん、こわかったのだ。ただの女になることが。母になってしまうことが。戦士でなくなってしまうことが。否、それは歴然の戦士たちに失礼だろう。母となったとしても、戦となれば女たちもまた剣を持って戦う戦士である。
シオンは頭まで湯に浸かり、そこから十を数えた。それは、もう一人の友がこの王城にきてからとおなじ数であった。
だとしても、やはりここがシオンの居場所なのだ。飽くなき心で強さを求めつづける。それの何が悪いのだと、シオンは自問自答ばかりしている。
ああ、そうか。迷っているのは私も一緒だ。
シオンはスオウを引き留めなかった。宰相の命令だ。従わないという選択肢はなくとも、スオウはその言葉を待っていたのかもしれない。彼は自分が王の椅子に座ることを躊躇っている。自分が孤児であるから、そこに相応しくないと思い込んでいるせいだ。
馬鹿だな、あいつは。シオンは一人笑った。女は王にはなれない。イスカの人間だったら誰でも知っているようなことだ。シオンがそこにこだわりつづけているから、スオウはいつまでも
シュロの代わりに背中を押してやればよかった。
その夜、なかなか寝付けずにシオンは寝返りを繰り返した。
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