彼女は、獅子の傍らに立ち続ける
朝倉千冬
獅子王の娘
獅子王と名高いその人を、シオンは父に持つ。
シオンが生まれたときから父は王だった。
たしかに父はその
黒獅子、あるいは獅子王。
イスカの人間はシオンの父をそう呼ぶ。濡れ羽色の黒髪、夜の闇のように深い色をした双眸、シオンは父譲りの黒髪とおなじ色の眼を持っている。いや、シオンがというのは正しくないのかもしれない。イスカに生まれ落ちた子どもらはそろっておなじ色を宿しているし、黒という色を別格にしている。
そう、彼らにとって黒は誇りの色だ。
初代王イスカル。荒れ地に国を作ったその人もまた、美しい黒の色を持っていたという。夏の厳しい陽射しが彼を褐色の肌へと変える。イスカルの黒髪と黒目はもっと美しく見える。強く、たくましく、そしてうつくしいイスカル。子どもたちは彼に憧れたし、娘たちも彼の虜となった。
大嫌いな勉学の時間に側女からきかされたとき、それはきっと嘘だと思った。
シオンの父は美しいとはほど遠い
イスカの子どもらは強い者に憧れ、そして自らも強さを求める。シオンもその一人だ。
もうすぐ十歳を迎えるシオンだったが、他の娘たちに比べて身体に丸みや膨らみはまるで見えなかった。その美しい黒髪も戦うときに邪魔となるので、自分の手で
だが、どんなに容姿が男のように見えても性別までも変えられない。
歳の近い子どもたちをシオンは拳で打ち倒してきた。イスカの戦士に男も女も、子どもも大人も関係がない。勝利こそが強さの証である。
王宮に住まう子どもらではシオンの相手にまるでならなかったが、しかしシオンにはどうしても倒せない相手がいる。相手が三つ上だからではなく、自分が女だからだ。シオンはそう思い込んでいる。
イスカの民は生まれたときから戦士である。
夏の厳しい暑さに耐えた肌は褐色の色に変わり、
駆けるようにして回廊を進んでいくシオンに、特別な声など掛からない。
獅子王の娘――、イスカの姫君と言ってもシオンは蝶よ花よと育てられたわけではなかった。腹違いである他の兄妹もそうだ。獅子王を父に持つ子どもらは、己が一番だと強さを求める。もっとも、女の姿で生まれたのはシオンだけだった。
イスカの王城は迷宮のように広い。
途中で側女に見つかるとは思わなかったが、しかし早く彼を見つけなければならない。このまま勝ち逃げされるのは、シオンの
脇目も振らずにただ足を進めていたシオンの足が止まった。
その先に見えるのはイスカを象徴する黒旗だ。四葉と獅子の旗、シオンはその前で手を合わせる。左手は開いて右手には拳を作って、両の手を合わせる。それは戦士の祈りの動作だった。そうしてお辞儀をするまでが儀式、ところが終わるよりも前に邪魔をされた。
「じゃじゃ馬娘がこんなところで何してる?」
シオンは声の主を見あげる。シオンとおなじ黒髪と褐色の肌を持つ少年は、シオンより三つ年上だ。
「やっと見つけたぞ。シュロ、私と勝負しろ!」
シュロと呼ばれた少年がため息を吐いた。
「懲りない奴だな。また皆の前で倒されたいのか?」
「勝ち逃げは許さん。それに、次は勝つ」
鼻息を荒くするシオンにシュロは笑っている。
年上だからシオンよりも頭ひとつ分は背が高い。いつか追い越してやりたいと思っているのに、いつまで経ってもシュロには追いつけない。自分が女だからだ。シオンは呪い言葉を繰り返す。
「だいたい、お前は勉学の時間だったろう? カンナがまた泣くぞ」
「馬鹿みたいに大人しく座っているのは性に合わん」
「馬鹿だな。それも鍛錬のうちなんだよ、シオン」
「そんなものはいらん。私にはこの拳だけで十分だ」
「だから、お前は頭が固いんだ。それでは王にはなれんぞ」
反論しようとしてシオンは唇を閉じた。シオンは王にはなれない。その理由をシュロも知っているはずだ。
「おいおい、そんな眼をするなよ。頭の方も鍛えなければ、イスカを統べるのは無理だ」
「そうじゃない……っ!」
シオンの作った拳が震える。このまま殴りつけたところでシュロに拳は届かない。それも、悔しかった。
「大人たちは私の相手なんてしてくれない」
「それはお前がまだ子どもだからだ」
「でも、他の子らでは満足できない。おまえにも、勝てない」
「やれやれ、困った奴だな」
シュロはいつでもイスカの王城にいるわけではない。西の部族の息子であるシュロは父親とともにこの城に呼ばれている。シオンが戦いを挑めるのは年に三度だけ、今日を逃せば次は遠い。
「俺より強い奴はもっといる」
嘘だ。シオンは口のなかでつぶやいた。同世代でシュロよりも強い奴をシオンは知らない。もうすこし年上になればそれはもう大人とおなじで、大人はシオンの相手などしてくれない。
どれだけ待ったところで、シオンの望む答えは返ってきそうになかった。踵を返して、シオンはふたたび回廊を大股で行く。
「そのうちカンナの血管が切れるぞ」
「おまえが告げ口をしなければいいだけの話だ」
うしろからきこえた声に、振り返りもせずにシオンは言った。
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