忘れないよ

ハルスカ

忘れないよ

 僕が君と出会ったのは、いつの頃だったろうか。まだ草花たちも芽吹く前じゃなかったけ?そうそう、あの日は確か雨が降っていたんだ。何の抵抗もなく雨宿りすらせずに濡れそぼった君の体を見て僕は本当にびっくりしたよ。でも、すがるような君の瞳を見て、心の、そうだな芯を突かれちゃったんだろうね。


 君を急いで連れ帰ってお風呂に入れたのはいいものの、大変だったのはそれからだよ。なにせ僕は小学校の頃、近所のお祭りで不細工なデメキンをすくい取ったとき以外、生き物を育てたことなんてなかったんだ。ましてやドラゴンなんて、見るのも初めてさ。

 僕の両手にすっぽり収まるほどの大きさしかなかった君は、気づけばどこかの隙間に挟まっていたね。左の羽に怪我をしていたからか、飛べない君は隠れるように家中を駆け回ったいた。本棚やゴミ箱なんかはまだいい方で、便器の中から鳴き声がした時はさすがに笑ったよ。君あれ、実は出られなくなって困っていたんだろ。便器の中からドラゴンを引き上げる僕の気持ちも考えてくれよな。

 ドラゴンが口から火を噴くなんてのはただの神話や伝承で、実際はピーピー鳴いてばかりの甘えん坊さんだった。最初の頃は食べるものにも苦労してたさ。スーパーで骨つき肉を買ってきたり公園で虫を捕まえて来てみたりしたが、買い物袋の中から鶏ささみとアロエヨーグルトをこっそり盗み食いしていたのを発見した時は思わず「OLかよ!」とツッコミを入れてしまった。好きな食べ物は鶏ささみとオレンジ。嫌いな食べ物はトマトとゆで卵。僕は君とどれくらい正確にコミュニケーションをとれていたかはわからないけど、ゆで卵のプニプニした食感がダメらしい。

 僕の仕事は在宅でできるものだったから一日のほとんどを君と家で過ごした。最近は僕のベッドに勝手に潜り込んでくるけど、君の方が布団を占領してないか?どこへ行くにもついて来てカチャカチャと爪を鳴らすものだから、フローリングに傷がついてるんじゃないかな。あとで大家さんに怒られるのは僕なんだぞ。

 君をここへ連れて来て数ヶ月が経つというのに、僕はまだ君が飛ぶ姿を一度も見たことがなかった。

「もう怪我は治ったはずだよ。僕に飛ぶ姿を見せてくれよ。」

 君は小首を傾げるばかりで一向に飛んでくれる気配がない。まさかその羽は飾りか?空を飛ぶってのもただの伝説なわけじゃないだろうな?


 君と出会ったのは少し都心から外れた普通の住宅街だった。そんなところをドラゴンが誰にも見つからずに歩けるはずがない。やっぱり空を飛んでいる時に怪我をして偶然に僕の帰り道に降り立ったんだろう。

「なあ、君には帰る場所があるはずだよ。」

 いつもはくっついてくるくせに今日は僕のことを無視してばかりだ。僕が何の話を切り出そうとしているのか、気づいているのかもしれない。買い物袋を漁るふりをしている君に、何とか話しかける。

「君の分の鶏ささみはないよ。」

 体も随分大きくなったね、僕は寝るとき肩身が狭い思いをしてるの知ってるかい?

「君はいつか然るべきところに帰らなくちゃいけない。君だって分かってるんだろ。」

 だからいつまでも飛べないふりをしているんだろ。袋を漁るのをやめてようやくこっちに来た。

「きっといつか君は僕の手に負えなくなってしまう。」

 君はぶんぶん首を振った。

「ずっとここには居られないんだ、情が移る前に出て行ってくれないか。」

 ピーピー泣いて首を振り続ける。泣き虫だな、そんなんじゃ外の世界でやっていけないぞ。

「ほら、飛べるんだろ。僕に飛ぶ姿を見せてくれよ。」

 君ばかり泣いてずるいじゃないか。何ヶ月も毎日一緒に過ごして情が移らないわけないじゃないか。

「ほら!」

 僕が声を強くすると君は泣きながら窓に向かった。今日は晴れだ。窓は開けてある。君が安心して飛んで行けるように。

 勢いよく窓枠を蹴って羽を広げた。雄大に風を切りながら炎をひと吹きする。

「なんだ、口から火だせるんじゃないか。」

 ゆっくりと空を旋回しながなら小さくなる姿を見えなくなるまで眺めた。

 

 元気でな。



 

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

忘れないよ ハルスカ @afm41x

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る