ひりあま

 あたし、このたび、失恋いたしました。


 1年ちょっと前、高2の秋に好きになった人でした。ずーっと片想いでした。頑張ったつもりだけど、気付いてすらもらえませんでした。


 いや、別に全然、誰かを恨んだりなんて気分じゃなくて。失恋はしたけど、これからもその人と付き合いはあるし。あたしが勝手にあきらめればいいだけで。


 ただ、ちょーっとだけ時間がほしい。やさぐれる時間。大人だったら、やけ酒するのかな。この際、やってみたいけど。ま、「やけスイーツ」が身の丈に合ってるよね。


 そんなわけで、あたしは真新しいカフェのドアを押した。ドアベルが、カランと鳴った。


「いらっしゃい、ませ……」


 空気を震わしたのは、一言でいえば、イケメンボイス。もう一言付け加えるなら、クールで有能だけど口数が少なくて不器用なせいで怖く見えて誤解されがちな雰囲気をかもし出す感じの、イケメンボイス。ああ、やたら長い一言になっちゃった。


 土曜日の午前11時。お客さんはゼロ。山小屋風の店内は、ナチュラルな木の香りがする。内装もインテリアも、ほとんど彼の手作りらしい。


 彼、というのは例のイケメンボイスの持ち主で、カウンターの内側で驚いたように目を見張っている人。


「お店、オープンしてる時間ですよね?」

「あ、はい……どうぞ、お好きな席に」


 こぢんまりした店内を、ぐるっと見回して、あたしはカウンター席に腰掛けた。


 お冷とメニューが、あたしの前に置かれた。彼は軽く目を伏せている。そのまつげが長くて、うらやましくなった。


「話に聞いてたとおりのイケメンさんですねー」


 からかってみたら、彼は、不思議そうに小首をかしげた。色が白い。目鼻立ちのバランスがキレイ。パッと目を引く派手さはないけど、端正な顔をしてる。


「話に、聞いてた?」


 何より、声がすごく心地よい。顔立ちと同様、静かで端正。でも、張りがあって、つやがあって。


「あたし、プロアマ混在の演劇チームに入ってるんです。そこの役者仲間さんから、このカフェのこと、教えてもらいました」


 カイトさん、という名前を出した。ああ、と彼がうなずいた。


 カウンターの彼も役者だ。特に、声の演技を中心に活動してる。要するに、声優ってこと。


 プロの役者や声優には、よほどの運がないとなれない。だから、彼はちょっと前までカフェに勤めていた。つい先月、独立して、このお店を開くに至ったらしい。


「ハジメさんって、おっしゃるんでしょ?」

「ああ……はい」

「人見知りだから、話しかけてやってほしいって」

「カイトさんに言われたんですか?」

「お節介でスミマセン」

「いえ……ありがとうございます」


 あたしは全然、人見知りしない。といって、こんなにぐいぐい踏み込むタイプでもない。単なる、やけっぱちモード。だって、イケメンとしゃべってたら楽しいじゃん。


 ハジメさんは、うつむきがちだ。こざっぱりと短い黒髪、白いシャツ。肘のところまで腕まくりしてるのがセクシーで、お客さんがほかにいないから見放題で。


「一応、あたしダイエット中だったんですけど、今日は解禁しちゃおうかなーって。ケーキと紅茶のセット、お願いします」

「かしこまりました」


 そのセリフ、ハジメさんの声にすごい合ってる。執事役っぽくていい感じ。


 ハジメさんが作業する間、あたしは店内を観察した。出入り口は段差がない。床全体もフラットだ。テーブル席は、椅子と椅子の間が少し狭い。けど、椅子は移動可能だし、問題ないか。


「よし、これならいける」


 店内観察を終えて、カウンターに向き直った。ちょうどハジメさんが紅茶を出してくれたところだった。


「どうかしましたか?」

「ん、今度、友達と一緒にここに来る予定で」

「ありがとうございます」

「友達のうちの1人が車椅子なんですよ」

「え?」


 車椅子は、ちょっとした段差にも弱い。入れるスペースが意外と限定される。テーブルの高さとの相性が問題になることもある。


「だけど、このお店なら大丈夫そうだなって」


 ハジメさんがホッとしたのがわかった。初めて、口元の笑みが本物になった。


「ご来店いただけるなら、よかったです」


 ケーキはハジメさんの手作りだった。甘く煮たナッツと林檎のタルトに、バニラアイスとメープルシロップが添えてある。


「うわー、全力でダイエットの敵。めっちゃおいしそう。いただきまーす♪」


 最初っから「おいしい」ってリアクションするのは決めてた。それ以外、ないし。

 甘くて香ばしい。ちょっとすっぱい。手作りなのがわかる味。


「おいしいです!」


 本気で言えた。失恋したら味もわかんなくなるって、たまにそういうラヴソング聴くけど、失恋しても図太いあたしの舌は、普通に働いてる。


 あの、と、ハジメさんが話を振ってきた。


「何ですか?」

「今、カイトさんと同じ演劇チームに?」


 カイトさん。その名前を出されると、まだズキッと来る。年が離れてるけど、好きだった。声も演技も、優しい人柄と笑顔も。


 あたしは、癖になってる薄っぺらいスマイルで答えた。


「そうなんですよ! 話、聞いてたりします? 病院での慰問のための朗読劇。カイトさん、主演なんですよね。あたしはチョイ役で。だって高3なんです、今。進学先は決まってるんですけど、何だかんだで、けっこう課題が多いから忙しくて」


 口を開けば、意味もなくハイテンション。へらへらしてるのは、いつものこと。


 ほんとはヒロインを演じたかった。劇の中だけでいいから、カイトさんと結ばれてみたかった。


 でも、あたしじゃ実力不足。ヒロインを演じるのは、カイトさんの好きな人。そして、彼女もカイトさんを好きになりそうで。


 じゃあさ、もう、そこくっついちゃってよ。


 身を引くなんていうキレイな言葉じゃなくて、あたしは逃げ出しただけ。勝手に惚れて勝手に失恋しましたーって、お気楽な嘆き節。あたしにはピエロ役が似合うから。


「ハジメさんは、最近の演劇活動は?」


 あたしは話題を変えた。ハジメさんは少し、はにかんだ。


「舞台は何かと準備がいるから、最近はあんまり。声の仕事は、たびたびあるんですが」

「声って、アニメですか?」

「ああ、まあ……端役です」

「端役でもいいじゃないですか!」

「あ、でも、もうすぐ配信されるゲームでは、大役を」

「ええぇぇっ、何それ、先に言ってくださいよ!」


 ハジメさんはうつむいて、頭を掻いた。苦笑いした口元と、そっぽを向いた大きな目。


 イケメンだなー。なのにドキドキしないなー。失恋のひりひりだけで許容量オーバーだなー。ドキドキなんてしてる余裕ないなー。


「ゲームの件は、大役すぎて、その……配信されるまで、自分でも信じられなくて」


 謙虚なのか、自信がないのか。そんな顔しないでよ。あたしも余裕ないのに、はげまさなきゃって思うじゃん。


「あたし、けっこうゲーマーなんですよ。配信されたら教えてくださいね。絶対、プレイするんで! というか、どんな役なんですか?」


 ハジメさんはパタパタ手を振った。


「な、内緒です」

「じゃあ、勝手に想像しますけど、クールな役でしょ?」

「え……どうして、そう思う?」

「声質がクールですもん」

「わかるんだ……」


 明るいか暗いかで言えば、暗い。どちらかというと、硬い。やや太めだから、実際より低く聞こえる。少し、沈み込むような癖がある。


「クールで無口なキャラに似合いそうな声だなって」


 正解、と言いながら、ハジメさんは口元を手で隠した。筋張った手の甲の形がキレイ。


 それにしても静かだ。BGMは、ちょい古めの邦楽ロック。タイトル、何だったっけ? もうすぐランチタイムだし、お客さんが入ってもいいころだけど。


「毎日、こんなもんです。口コミが広がってくれなくて」


 表通りを窓から見ていたら、ハジメさんが言った。お客さん少ないなって思ったの、バレたらしい。


「ハジメさんが表で呼び込んだらどうですか? 姿も声もイケメンなんだから、女性のお客さんが殺到しますよ」


 ハジメさんが、ぶんぶんと首を左右に振った。


「柄じゃないです」

「んなこと言ってちゃダメでしょー!」


 この人、もしかして、けっこうどうしようもないんじゃないだろうか。


 と、ナイスタイミングで、ドアの表に人が立った。多趣味そうなマダムの3人連れ。


「お客さんですよ」

「う、うん」


 うなずきながらも、ハジメさんはカウンターから出ない。というか、出られないんでしょーか? むしろ、じりじり後ずさってるんですけど。


 人見知りする人だとは聞いてた。実際、すごい照れ屋だ。でも、お客さんを逃すのはマズいって。


 あたしは、一瞬だけ考えた。こんなことやっていいんだろうか、って。

 でも、一瞬考えて、結論を出した。やっちゃったもん勝ちでしょ!


 あたしはカウンター席から飛び下りて、ドアに突進した。満面スマイルでドアを開ける。


「いらっしゃいませー♪ 店内にどうぞ」


 マダムたちを、窓際のお席までエスコートする。ついでに、窓越しに目が合ったお客さん候補に、ニコッとしておく。


「3名さまでーす!」


 カウンターのハジメさんを振り返ったら、目を点にしてた。こら、あいさつしなさいってば。ほんとにしょうがない人だな。


 カラン、と、ドアベルが鳴った。ついさっき目が合った、お客さん候補だった人。


「1人なんですけど、いいですか?」

「かまいませんよー。お好きなお席にどうぞ♪」


 答えたのは、もちろんあたし。いや、もちろんってのも変だけど。



***



 なんかね、ときどき思うんだ。あたしって、すっごく損な性格してる。


 本当なら、ほっといてもよかった。ほかにお客さんのいないお店でぐだぐだして、別のケーキないですかとか言って、お昼ごはんの代わりにスイーツ食べまくったりして。


 できないんだよね。無駄に世話焼き。必要以上にお節介。


「3名さま、お会計です。ハジメさん、お願いしまーす!」

「あ、はい。少々お待ちください」


 カフェスタッフなんて初体験。でも案外、働けてる。働くことには慣れてるほうだ。学校は看護科で、実習が多いし。


 だからってさ、何であたし、ここまでしてるんだろう?


 ランチのお客さんの波が、どーっと押し寄せて、あたふたしてるのを笑顔でごまかしつつ働いて、注文を繰り返すうちにメニューも覚えて。


 ついこの間の舞台で、店員役やったんだよね。居酒屋だけど。おかげで、接客のシミュレーションができてたというか。


「意外と、どうにかなるもんですねー」


 お客さんの波が引いてから、ハジメさんに笑ってみせた。すでに時刻は14時過ぎ。カウンター席に座り込んだら、おなかが鳴った。


「助かった、本当に。ありがとう。おれひとりじゃどうしようもなかった」


 それ、異議あり。あたしは背筋を伸ばした。


「あのですね、ハジメさん」

「はい?」

「お客さんを前にして、逃げ腰じゃダメでしょう!?」

「……はい」


「長らくカフェで働いてたんじゃないですっけ?」

「おれは、キッチン担当ばっかりで……」

「言い訳しない!」

「……はい……」


 ハジメさんって、10歳くらい上のはずだ。カフェの店主で、声優でもある。美声のイケメン、料理の腕もいい。


 という、こんなステキなはずの人を相手に、あたしは何でお説教してるわけ?


「ああぁぁ、もぉぉっ」

「ご、ごめん。バイト代、出させてください。あと、何か食事つくらせてください」


 ああ、はい、そのへんはありがたくいただきますけどー。


「あたし、ほんとは今、元気ないんですよ。フツーに見える部分、全部、から元気。たまには甘やかされてみたいなーって。だから、甘いもの食べられるお店に来たのに」


 働いて頼られて気分がよくなって、大波が去ったら、どーっと疲れがやって来た。


「あの、本当に、ありがとう。ごめんなさい。おれ、頼りなくて」

「ごめんって思うなら、愚痴、聞いてくださいよ。あたしがダイエット無視してケーキ食べた理由」


 知ってる人には愚痴れない。親しい人の友達で、あたし自身は初めまして。そんな距離のあなただから、ちょうどよくて。


「愚痴、ですか?」


 ハジメさんは小首をかしげた。静かな手つきで飲み物を作りながら。


「愚痴です。あたしって、かなりバカなんですよ。他人のために全力で苦労しに行くんです。今回、見ててわかったでしょ? だってね、そうするほうが、ハッピーになる人が多いから。自分がハッピーじゃないとしても」


 いい子ぶるつもりはない。臆病なだけ。自分だけハッピーになっちゃったら怖い。まわりに何て思われるか、わからなくて。


 他人を押しのけて得たハッピーって、たぶん、ゲットした瞬間はすさまじく嬉しい。でも、きっと長続きしない。急上昇したぶん、急降下する。


「だから、あたし、いつも譲るんです。お菓子でもヒロイン役でも、何でも。手に入れなければ、失うことはないから。あたしよりほしがってる人、必ずいるし」


 恋もそうだった。カイトさんのこと、好きで好きで、今でも胸がひりひりするほど好きで。

 だから、すぐに気付いたんだ。カイトさんのヒロイン役はあたしじゃないんだって。


「ハジメさん、失恋したことありますか?」

「え?」

「失恋って、痛いんですねー」


 あたしのへらへら笑う癖は健在だ。痛いって言いながら、あたしはハジメさんに笑ってみせている。


 ハジメさんは、温かい飲み物をカップに注いだ。赤みがかったはく色がキレイだ。


「おれはこのところ恋人なしの独り身にも慣れてしまって、でも、覚えてますよ。失恋したとき、すごく痛くて寒かった。だから、これ、どうぞ」


 差し出された飲み物は、どこか甘い香りのする紅茶。


「いただきます」


 琥珀色に息を吹きかけて、カップに唇をつける。温かくて甘い。スッと鼻に抜けた香りは、のどに落ちて、じわりと熱く染みる。


「ジンジャーシロップを落とした紅茶です。内側から温まるでしょう?」


 甘くて、ひりひりする。熱いけど、爽やかで。


「おいしいです」


 つぶやいた瞬間、ぷつんと、何かの糸が切れた。鼻の奥が、ツンと痛い。声をあげる隙もなく、ふくらんだ涙が、ぽろっとこぼれた。あ、やばい。これ、止まらない。


 あたしはカップを置いて、手で顔を覆った。カウンターの向こうから、慌てる気配が伝わってくる。


「お、おれ、余計なことを、その……っ」


 泣きながら、笑えてきた。


「おいしいだけですよ、ほんと。こういうの、ほしかっただけ」


 未練なら、飲み干してしまおう。後悔なら、溶けてなくなれ。あたしは、カイトさんを好きでいてよかったって思いたい。ステキな初恋だったと言えるようになりたい。


 だから、今は涙が止まらない。


 のどの奥に、甘いひりひりが残っている。優しい熱が、あたしを温めようとしてくれる。あたしの額に、柔らかいタオルが触れた。


「使ってください」


 カウンター越しにハジメさんが差し出してくれるタオルは、洗濯石鹸の匂いがする。あたしはタオルを受け取って、ぼふっと顔をうずめた。


 そうやってしばらく泣いた。ハジメさんの沈黙と懐かしいロックのBGMが、すごくちょうどよく優しかった。思う存分泣きまくったら、涙がバカバカしくなってきた。


「今さらなんですけど。あたしの名前」

「あ、はい」


 深呼吸をして、あたしは、腫れた目をタオルから上げる。困った顔のハジメさんに、笑ってみせる。


「笑う音と書いて、エミネです」


 ハジメさんが、おずおずと笑った。


「いい名前ですね、エミネさん」

「でしょ?」


 涙を吸ったタオルを置いて、カップを手に取る。少し冷めたジンジャーティー。あたしは、ひりひり甘い琥珀色を、ゆっくりと飲み干した。



【了】



BGM:BUMP OF CHICKEN「ラフ・メイカー」

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