第一章 不可解な紹介状

第3話

 そんなボクの気持ちの回復をまるで見計らったかのように、ドアベルが来訪者を告げた。

 強く扉が開けられたのだろう。いつも以上にジャリンジャリンと激しい金属音が鳴った。

「ちょっとお待ちください」

 慌てたせいで声が裏返る。

 淹れかけているティーをそのままに、ボクは急いで鏡に向かってジャケットの襟や髪の乱れがないか、確認する。

 今日は来客の予定はなかったはずだが、いったいだれだろうか。何人かいる顧客や、仕事仲間の顔を脳裏に浮かべてみたが、特に思い当たる節はない。賃貸料の払い忘れもないし、まさか強盗の類ではないだろうが、おかげで精神は完全に引き締まり、普段通りに戻った。

「お待たせしました」

 仕切りの間から応接室に出て来客を確認したボクは、思わず声をのんだ。

 淡い水色のドレスに長い金色の髪をした少女が部屋の入り口に立っていた。

 つい首をかしげた。見たところ少女はボクより若い。十代後半ではないだろうか。平均年齢が五十前途というボクの顧客層とは似つかわしくない年齢だ。

 少女はボクを見つけるや否や、急ぎ足で駆け寄ってきた。

「ユリス・リルケットさんですか?」

「そうですが――貴女は?」

「私はブラングリュード商会のアルフィア・ブラングリュードと申します。リルケットさんに仕事の依頼をお願いしにやってまいりました」

 早口で自己紹介をすると、こちらが問いかける間もなく、少女は強い口調で畳みかけた。

「リルケットさんにうちの商会を救って欲しいのです」

「商会?」

「そうです。ぜひお願いいたします」

 いったい彼女が何を望んでいるのか要領が掴めない。それにせっぱ詰まったような強い眼光にボクは押されっぱなしで、巧く内容を聞き出すことが難しそうだった。

「立ったままでは何でしょうから、ひとまずソファーにおかけください。今、ティーをお持ちしますから、お話を伺うのはその後で」

 急いでそう言うと、ボクはひとまず逃げるようにその場からキッチンへと戻った。

 商会を助けるなどとはまた大仰な依頼である。畑違いのボクに、なぜそんな依頼を持ちかけてくるのだろうか。おそらくアルフィアという少女はボクの仕事のことをわかっていないか、勘違いしているのだろう。そう考えればすっきりするが、どこで事務所のことを訊いてきたのかも気になった。

 ティーを注いだカップをふたり分、トレイに乗せ再び応接室に戻ると少女はソファにかけて行儀よく座っていた。入ってきたときより落ち着いてはいるようだが、それでもまだ唇をキリリと結び、両手は固く握りしめられ膝の上に置かれている。

 小さなテーブルにカップを置くと、ボクは対面のソファーに腰をおろした。

「お待たせしました」

「申し訳ありません。ご連絡も差し上げず、押しかけてしまって」

「いえ、いいんです。今日はボクも予定がありませんでしたし、どうぞ気にしないでください」

 座ったままぎこちなくお辞儀をする少女に、ボクは何でもないという感じで右手を振った。本当は明日の仕事の準備など、しなければならないことはたくさんあるのだが、たとえ勘違いであっても客として来た彼女をむげに追い返すわけにはいかない。

 そもそもやはりボクとしても、老齢の紳士やむさ苦しい同業者より、若い女の子と話ができる方が嬉しかった。

「ですが、たとえばミス・ブラングリュード――」

「アルフィアで結構です」

「ではアルフィアさん。まずその前にひとつだけ確認しておきたいことがあります」

「なんでしょうか」

「うちの事務所の名前がリルケット個人財形相談事務所というのはわかりますか?」

「存じております」

「では当方の業務内容はいかがでしょう?」

「いえ、それは――」

 やはりそうだ。そうでなければ商会を救って欲しいなどという依頼をしようとは思わないだろう。

「個人財形相談というのは、お客さまの財産形成に対して、どのようにお金の使っていくべきかを総合的に考えて計画を立て、アドバイスするのが仕事なんです」

 いつものことながら、ボクの仕事を一口に説明するのは難しい。

「たとえば貴女が私の顧客だとします。するとまず私はアルフィアさんの個人情報――そうですね年齢や家族構成、資産、収入、それから貴女が今後どのような生活をしたいか、将来、多額の金銭が必要になる大きな目的があるのかを伺います。そうしましたら伺った情報を元に、アルフィアさんが今入っている保険を見直したり、どのような金融商品にどの程度まで投資するべきかということを、アドバイスするのです」

「なんとなくですが、わかります」

 アルフィアは軽く肯いた。

 これだけの説明で、本当にボクの業務の内容を理解してもらえたのかどうかは不安だが、それでも依頼内容とはずれた業務であることはわかってもらえたのではないだろうか。

「ですので私は個人の資産運用の提案が専門なのです。アルフィアさんは商会を助けて欲しいとおっしゃいましたが、それは商会の経営に関することですよね。仕事柄、金融や経済全般を勉強しているとはいえ、商会を救うということでしたら、私よりも商売に詳しい人を訊ねられた方がよいのではないでしょうか。もしそちらに当てがなければ私の知り合いで経営に詳しい方を何人かをご紹介できますが」

 だがアルフィアは首を横に振った。

「リルケットさんのお話はわかりました。ですが、こちらの事務所をご紹介くださったのは、商品取引所の理事長でこのユーリント市の商工組合の会長でもあるメゾナ・バーモンダルさんなのです」

「バーモンダルさんが?」

 カップに手を伸ばしたボクは、思わずその手を止めてしまった。

 なにしろバーモンダル氏はボクの大恩人である。

 バーモンダル氏は死んだ父の友人であり、ボクも幼い頃から面識のある人物だ。

 ボクの父は家族と共にリンハラへ軍の主計官として赴任していたのだが、そこで内乱に巻き込まれて死んだ。幸いにもボクはそのとき軍の指南役として雇われていたシリカ人の武術家に助けられ、シリカを経由してこのユーリントに戻ることができたのである。

 もっとも戻ったとしても住むところもなく仕事もないボクは、船を下船してから港で途方に暮れていたのだが、そこへ偶然再会したのがこのバーモンダル氏である。バーモンダル氏は父とのよしみで、ボクを取引所の事務員として雇い入れてくれたのだ。

 しかも、この個人財形相談という仕事を奨めてくれたのも、この事務所の物件を紹介してくれたのも、バーモンダル氏である。ボクが今、こうしてユーリントで暮らしていられるのはバーモンダル氏のおかげと言っても過言ではない。

 そんなバーモンダル氏であるからボクの業務の内容はわかっているし、商会の経営に関する依頼が専門外なのもよく知っているだろう。なのにボクを紹介するとはどういうことなのだろうか。

「バーモンダルさんが書いてくださった紹介状です」

 不審に思われていると感じたのだろう。アルフィアは胸元から一通の手紙を取り出した。

 受け取って表書きを見ると、見覚えのある筆跡でボクの名前が書いてある。封蝋に押されている刻印も間違いなく商工組合の会長としてのバーモンダル氏のものだ。

 封を破り中の便箋を取り出す。

 それは確かにボクに当てた手紙だった。

 アルフィアの父が三ヶ月前に亡くなったことと、一人娘の彼女が跡を継いでブラングリュード商会の経営を担っているが、商会に危機が迫っていること、そしてブラングリュード商会が穀物商人として国内でも十指に入るような大規模な商いをしていることなどが、手紙には書かれている。

 ただし、詳細はアルフィアから直接説明するということで、具体的なことはまったく書かれていなかった。後は念のためにか、ボクの業務とは関係がないが、今回は黙って自分の顔を立てて相談に乗ってやって欲しいと、そして、もし商会が倒産してブラングリュード商会側が料金を支払うことができない場合には、バーモンダル氏が代わってボクに謝礼を払うということが付け加えられていた。

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