第2話

 念のためと自分に言い聞かせつつ、諦め悪くまたも新聞の内容を確認する。朝からこの作業を既に十回以上も行っていた。


『リンハラ南洋開発会社解散へ』


 一面に見間違えようのないゴチックスタイルの大きな見出しが浮かんでいる。


「かねてより脱税や不当廉売等の様々な問題が噂されていた南洋開発会社の倒産が確実となった。先日、会社に調査のメスが入ったことで、これらの問題以外にも、経理の不正操作等が発覚。ついに昨日、政府はリンハラ南洋開発会社に与えられている各種の許可を取り消す決定を下した。なおアズーラル産業相はこの問題を重視し、今後も捜査を続けていくとの考えを表明した」


 記事ではこの後もリンハラ南洋開発会社について、今後の憶測から醜聞までを長々と綴ってはいるが、もう記事自体はこれ以上は読む気にはならなかった。

 ひとまず椅子に腰かけると、気持ちを落ち着けるように、意味もなく新聞を丁寧にたたむ。そして机の引き出しから、一枚の上質紙を取り出した。

 リンハラ南洋開発会社の株券だ。

 この二年、年間で平均で一千ティワント前後という驚異的な配当を生み出した株である。ボクにとってはまさに金貨と銀貨を産んでくれたガチョウだった。

 もっともこれは近日中に単なる紙切れとなる。

 ガチョウならまだ肉が残るかもしれない。だが南洋開発会社がこれから整理されたとして、会社の残り資産の分配が、ボクのところまで回ってくるとは思えなかった。

 ボクは二年前、まだこのような植民地の開発会社の株がブームになる前に、五百ティワントという今から考えると破格の安値で、一株だけ購入したのだ。

 しかし、株式市場への投資――いや投機ブームが起こったことで、多額の借金をしてまで、数百、数千株も購入した人々は少なくない。ここユーリントのありふれた紳士や地方の大地主だけでなく、議員や政府の高官、果ては王族まで、あらゆる人々が先を争うようにして買い求めたのだ。

 それを考えれば、一株しか所有していない自分の元にどれだけの残り資産の分配があるかは、言葉にするまでもない。

 それよりも、なぜもっと早くにこの株を売却しておかなかったのか。こんな事態になってみれば悔やまれてしかがたない。

 他の口先だけの植民地の開発会社とは違い、リンハラ南洋開発会社は、経営は真っ当であり、ちゃんと実体のある会社だった。業績も良く、それはこの二年の配当が証明している。

 問題はモラルである。会社の不正行為についての話は前々から耳にしていた。新聞にも出ていたように、不正経理や不当廉売の噂が絶えず、また商売上、便宜を図ってもらうため、政府の関係者や議員への贈賄も激しかったという。

 それはもう噂の域を超えて、三王国の国民にとっては半ば既成事実として受け止められていた。

 本当はその時点でもう少し注意を払わなければならなかった。だが、ついつい問題はないと思い込んでしまっていたのだ。

 もしボクがこの株式を保有しておらず顧客から安全性に関して質問を受けたのならば、会社の体質が抱えるリスクを考慮するようアドバイスしただろう。なのに、それが自分のこととなると甘くなった。

 欲望は判断を鈍らせる。新聞を買うときに、顔なじみのストリートの新聞少年に「兄さんも南洋開発会社の株を買った口ですかい」と代金を受け取りながら笑われたことは、重く受け止めなければならなかった。

 ただ、ボクは借金までして購入してはいないので、収入が減少する程度の打撃で済んだのが幸いだ。自分のリスク管理について見直すいい薬ではある。

 問題は今後のボクの家計である。

 まず年間の配当金一千ティワントが消える。さらに噂が流れてからずいぶんと下落していたとはいえ、昨日の段階でまだ八万ティワント以上の価値があった南洋開発会社の株式が紙くず同然と化したことへの、金銭的そして精神的なダメージが大きい。いざ生活に困ることがあれば、この株を売ればいいと考えていたのだ。

 所詮、余白のような残りの人生とはいえ、仮に六十過ぎまで生きるとして、あと四十年はある。もちろん仕事での収入を柱にするとはいえ、なにかしら生計の足しになる金融商品を見つけておかなければならないだろう。


 既に時刻は正午をとっくに過ぎていた。朝から何も食べていなかったが、どうにも食欲がわかなかった。

 それでも明日の仕事の準備をしなければならず、とりあえず気分転換にティーでも飲もうと、株券を引き出しに戻して席を立った。

 ここはボクの事務所として借用しているが、それまでは小さなコーヒーハウスだった場所である。コーヒーハウスが繁盛して別の場所にあるもっと大きな建物に移転したために、空き屋となり、そこを借りることになったのだ。そのため普通の事務所には不釣り合いなほど立派な調理設備が残されていた。おかげでコーヒーやティーを嗜むにはとても便利だった。

 広い部屋だから真ん中に仕切りを立てて、道路に面した出入り口側の半分を事務所の応接室に、今、ボクが居るもう半分をキッチン兼住居として使用している。

 ケトルにたっぷりお湯を沸かしながら、なんとなくまた新聞を手に取った。さすがに南洋開発会社の記事はもう読む気がせず、意識的にそこを避けて別の記事を眺めた。

 ユーリントで起きている連続殺人事件や、ノルグット侯爵のスキャンダル、植民地からの輸入品への関税問題、そして東の大国ハステリア二重帝国のお家騒動など、ここしばらく世間を騒がせている記事に目を通していく。仕事とは直接関係がないが、こうした日々の情報収集は大切だった。

 そんな記事のなか、西方の海に面した港街ライバループで、極秘裏に新たなクリッパー船が建造されており、植民地リンハラとを結ぶ直行便が運行されるのではないかという記事が眼に止まった。すでにライバループからリンハラへと到着しており、今まさに三王国の首都ユーリントに向かっているという。帆船であるからあくまでも風向きにもよるが、従来のリンハラからの直行便と比べて、三日から五日は期間が短縮できるのではないかと書かれていた。

 ただし、このクリッパー船の所有者が誰なのかは不明であり、また極秘に建造されていた理由もわからないなど謎の多い話であると、記事は締められている。

 小さく感嘆のため息を漏らす。この三王国とリンハラ間の航路が三日から五日の短縮とは、大したスピードだ。

 最近では蒸気機関を動力とする船舶も、軍艦から民間船へと普及を始めそうな状況で、数年すれば、さらに日数は短縮されるのだろう。それこそボクの予想以上に世間の技術革新は早まっているのかもしれない。

 リンハラまで一年近くを要して旅をした時代はもう遠い昔のことだった。日増しに世界は狭くなっているようだ。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、ピィィィー! とケトルがけたたましい叫び声をあげた。

 新聞から手を放し、急いでキッチンストーブからケトルを取り上げたところで、茶葉どころかティーセットすら用意していないことに、ようやく気がついた。いくら株式のショックが残っているとはいえ、なんという呆けた気分なのだろうか。

 今更、ケトルをホットプレートに戻して、また叫び声をあげさせるわけにもいかず、ひとまずキッチンストーブの空いている場所に置く。そして戸棚の中から、丸い銀のポットと、ヤーパネから輸入された磁器のポットとカップを取り出した。再度ケトルを手に取ると、ティーセットにお湯を注ぎ、しばらくして暖まったところでなかのお湯を捨てる。

 本当は今のように気持ちがしっかりしていないときには、刺激の強いコーヒーの方がよいのだろうが、生憎とティー党であるボクは普段は茶葉しか常備していない。コーヒーは特別に気に入った豆が手に入ったときだけ購入するだけだ。だから、取りあえず、手持ちの茶葉では一番スモーキーなティーを淹れることにした。

 たっぷり四人分は入る銀のポットで蒸らす。普段ならこの待ち時間は楽しい一時のはずだが、気持ちの鬱屈した今日は、ただ消費する時間でしかなかった。

 ストレーナーで漉して、磁器のポットに一度移す。ティーの香りが辺りに漂う。

 ようやく少しだけではあるが気力が戻ってきた。

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