第6話 理解 りかい


「ふー」


 私は、ため息混じりに机の端に置いた『紙の束』をチラッと見た。


 だが、あの『骨董店』を訪れてこの場所に置いて以降……この『紙の束』を使った事はない……いや、触れてすらいない。


「…………」


 ただ、触れるくらいなら……と思われるかも知れないが、私はこの『触れた』その瞬間に、自分の中の何かが変わってしまう様な……そんあ気持ちになってしまうのだ。


 自分で買っておきながら……とそんな自分が笑えてしまう。


 このただの『紙の束』には、決して安くない値段が付けられていたが、私はそれを承知で購入したのだ。


「それなのに……」


 このただの『紙束』が持っている効力が、私に使わせることを拒ませている。もちろん、それも承知の上で購入したはずなのに……だ。


 そして、その『紙束』の横には大量の着物のデザインをした紙が置いてあった。


 こんなモノ。他人から見れば「こんな事をして何になるのよ」とバカにされそうだが、そんな人の声を気にはならない。


 ただ着物が好きで、「いつか……自分が作ったモノを着て欲しい」そんな淡い願望を抱き、そんな気持ちを持っていた時からずっとやってきた事なのだから他人は関係ない。


「この『紙の束』を使えば……」


 多分、この淡い願望も叶うだろう。


 でも、それをしようにもこの願いに釣り合う程の『願い』が、今の私には思い浮かばない。


「はぁ……」


 ため息を零し、積み上げられた紙が、今までこのデザインに費やした時間を物語っている。


「そういえば……」


 このデザインを見た時、樹利亜じゅりあさんは『やっぱり、親子なのね』と言っていた。


 でも、引っかかるのはその言葉だけではない。


 そもそも、樹利亜じゅりあさんは……私の母とどういった関係なのか……それすら私は知らずにいる。


「……まさか、お母さんも……?」


 こういった着物のデザインを手掛けていた事があったのだろうか……そんな考えが頭を巡った時――――。


雪榮ゆきえさん? いらっしゃいますか?」

「はっ、はいっ! 今開けます!」


 突如、ふすまに映った影と声に私は体をビクッとさせた。


 しかし、その声の主は決して知らない人物ではない。だから、私はすぐにそのふすまを開けた。


「夜分にごめんなさいね」

「いっ、いえ。ですが、珍しいですね。樹利亜じゅりあさんがこんな時間に来られるなんて……」


「あっ、あなたに手紙が届いておりまして」

「? 手紙……ですか?」


 しかし、私には送る相手も送られる相手も心当たりはない。


 母さんも一週間に一度はくれるし、その手紙も一昨日おととい届いたから……いつもの調子でいけば、手紙が届くにはまだ早いはずだ。


「ええ。あなたの……お父様からです」

「えっ、とっ父さんから……ですか?」


 私は思わず目を見開き、樹利亜じゅりあさんに再度尋ねていた。


 その後に私の脳裏で思い出されるのは、突然お母さんに呼ばれた『あの日』事。そう何も変哲もない……普通の日常。


 そんな日に、私が母さんに突然告げられたのは……遠くで働きに行っていた父さんが、その働き先で……亡くなったという事だった。


 あの時……母さんは確かにそう言い、年も気にせず大粒の涙を流したことも……よく覚えている。


 それなのに……なぜ、今となって死んだはずの人間から手紙が届いているのだろう……。


「…………」


 私は、その事実が不思議で……理解出来なかった――――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 今の店の窓から見える景色は、キラキラと光り輝く夜景だった。


 だが、そのキラキラと光るモノは、人工の光だ。でも、正直都会の建物の明かりは、綺麗ではあるがあまり目に良いモノとは……言えない。


「……はぁ」

「あら、ため息なんて……珍しいわね」


 少女は、少年のため息を聞くと口元に笑みを浮かべている。しかし、今の少年に少女の言葉に対して『何か』を言う気力はなかった。


「……あんたか」

「本当にどうかしたのかしら? あなたが噛みついてこないなんて……」


 あまりにも視線を外さず、三角座りをしたままずっと外の夜景を見ている……そんな少年の姿に、さすがの少女も心配した様子だだ。


「俺はあんたにどう思ってんだ?」

「いえ? ただ、ちょっと元気がない様に見えただけよ」


「いや、別に疲れているとかじゃねぇけど。なんかこの時代は……金融恐慌……とか、普通選挙が認められるとか……男尊女卑がまだまだ色濃く残っている……とか、なんか色々あって『今』があるんだな……とふと思ってさ」

「……そうね」


 少年の言葉に少女は小さく呟き、そして俯いた。


 そう、少年たちがいるのは、『バブル時代』も終わり、社会が少し落ち着きを取り戻し、再出発を始めた……そんな時代だ。


「まぁあんたにしてみれば、何を今更……って思うだろうけどな」

「……それも否定しないわね」


「……否定しねぇのかよ」

「えっ、だって……否定する理由も無いもの」


 少年は、少女にそうさも当たり前に言われ、ため息混じりに、窓から視線を外しそのまま自分の頭に片手を当てた。


「はぁ、あんたはそういう人だったよ」

「ええ、あなたがどう思ってそんな事を言ったのか知らないけど、私は元来、こういう人間よ」


 自分が、そう思ったら特に取り繕う事もなく、そのまま素直にはっきりと答える。


 それが、この少女だろう。でも、質問の全てをそのまま全て「思ったまま答える」事は実はあまりない。


「でもあんた、たまに回りくどい言い方をして相手を惑わせることあるよな」

「あら? そんなことあったかしら?」


「あんだよ。自覚がねぇのか? この前の『色眼鏡をかけない様にご注意ください』とか、それだけ聞いても何のことだか分かんねぇだろ」

「あら、一応この前も言った通り自覚症状はあるわよ?」


「余計にタチが悪ぃよ。都合良いんだな」

「でも、そういう時はあなたがフォローしてくれるじゃない」


「俺がいれば、渋々な。つーか、それをてにすんじゃねぇよ」


 少年がそう言うと「そうだっけ?」と少女は思ったのか、とぼけた様に自分の目を右上に向けている。


「はぁ、まぁこの話はどうでもいい。でも……」

「? でも? なに?」


「あの『短冊手帖』を買った人」

「ああ。あの人! 何に使う気だったのかしら?」


「詳しい事も聞いてねぇのに、俺が分かるはずねぇだろ」


 少年はぶっきらぼうに答え、また窓の外を見たが、当然そんな反応をされて、少女はふてくされていた。


「あら、せっかく聞いたのにそんな言い方しなくてもいいじゃない」

「……間違っちゃいねぇだろ」


「まぁ、そうね。でも、あの人。『短冊手帖』の特性を聞いてから、さらに欲しくなった……って顔をしていたわね」


 少女は、その時の状況を思い出すようにポツリと呟いた。


「そうだったか? まぁ……どう思おうが、俺には関係ねぇけど。でも普通、全部叶えたいって思うところだろ?」

「まぁ、人間はたいがい『欲張り』なのよね……」


 そこで少女はワザとの様に言葉を止めた。


「何だよ」

「たぶん、あの人はたった一つの『叶えたい願い』があったのよ。……ただ、その『叶えたい願い』と釣り合う『願い』があるとも思えなかったけど」


 何を思ったのかは定かではないが、なぜか少女は、自分でそう言うと小さくクスクスと笑っている。


「まぁ、俺には関係ねぇし」

「それもそうねぇ。でもまぁ、そういう『叶えたい願い』って叶っても……という事とか、意外な形で……とか結構多いわよね」


「……そんな話をされても俺は知らねぇよ」


 少女の言葉は、どこか皮肉じみている。


 そして、少年は少女のそんな言葉に反応しながら、ため息混じりに「またかよ」という表情で、そのまま視線を窓の景色へと戻した。


「まぁ、どんな形になっても、将来その『願いを叶えた事に対して』何も後悔がなければ、それでいいのだけどね……」


 少女はそう言い残し、そのまま下の階にある自分の寝室へと降りていった……そんな少女の姿を俺は黙って見送ったのだった。


「……」


 俺は一人残り、窓の外を見ていた。


「後悔のない人生を送れた人間なんて、そうそういねぇだろ」


 当然、そうじゃなく、わが生涯に一片の悔いなし……という人もいるだろう。あの人だって人の事。言えた義理じゃない。


 俺は、あの『少女』についてほとんど何も知らない。知りたいと思い、上手く話を誘導しても、上手くかわされてしまう。


 あの人には、色々聞きたい事がある。それは、他人からしてみれば、「なんでそんな事も知らないの?」と聞かれるくらいの初歩的な情報すらだ。


 でも、さっき言っていた言葉は……なぜか俺に向かっている様に言っている様に思えてならなかった……。

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