2.色眼鏡

第1話 夕暮 ゆうぐれ


「だからね。広幸君ひろゆきくんも授業をちゃんと受けないとダメなだよ」

「…………」


「あっそれと、今度真理亜まりあちゃんが私と広幸君ひろゆきくんと三人で……」

「ハァ……」


 その日は、とても綺麗な夕暮れだった。前日の大雨が止んだおかげで今日は、雲一つないいい天気だ。空気も澄んでいる。


 だから、そのおかげもあるからだろう。


「おっ? 見ろよ、桜が咲いているぞ」


 俺が見上げた先には、綺麗な『桃色の桜』が咲いていた。それに、気温も高く昼寝にもってこいのポカポカ陽気だ。


「あっ、本当だ……」


 さっきまで何やら怒っていたそいつも『桜』に思わず目を向けた。しかし、昨日よりも前に咲いていたら……。


 きっとこの見事な桜は散ってしまっていただろう。


 ただやはりそれはあまりにももったいない。せっかくのこんな綺麗な桜道の中を歩くことすら出来なかったのだから……


「って……もう! 広幸君ひろゆきくん、私の話聞いていたの?」


 まぁ、そんな綺麗な景色も口うるさい幼馴染……というか『腐れ縁』の『さくら』と歩いているとその魅力も半減してしまうのだが……。


 しかし……なぜ同じ名前なのに、どうしてもこいつを見て『可憐かれん』という言葉が一向に連想出来ないだろうか……。


「ちょっと!」


 それは多分、こいつのこういった態度を見ているせいだろう。


「あー? うるせぇな。ちょっと、サボっていただけだろ」

「だから! それがダメなんだってば!」


「つーか、なんで『広幸君ひろゆきくん』なんだ? 高校に入ったとたん、変えられちまっていつも返事しにきぃんだけど」

「……うっ。しっ、仕方ないじゃない! 高校生になって『ヒロくん』なんて呼んだら変な噂たてられちゃうじゃない」


「あー、それは大変だな」

「他人事みたいに言わないっ!」


 俺のこの態度を見て分かる様にいくら教師陣が言っても俺のサボり癖は一向に直らない。


 そこで、教師どもは幼馴染おさななじみの『さくら』に言って授業や補習、テストなど半強制的に参加させる様に仕向けていた。


 ただ、俺にとってはその教師どものやり口が、どうしても気に食わない。


 だが教師どもは、俺がそんな風に思っていないと思っているだろう。でも、俺からしてみれば、そんな魂胆こんたんがある事はバレバレである。


 しかし、だからといってわざわざ言葉に出して言うつもりもない。それを言ってしまうのは……なんか負けた感じがして無性に嫌だった。


「はぁ……」

「なっ、何よ」


 そんな俺のため息が聞こえたからだろう。さくらは少し言葉を詰まらせた。 


「いや? いつも大変そうだな……と」

「そう思うなら、少しはちゃんとしてっ!」


「あー、ハイハイ」

「もうっ!」


 まぁ、さくらも長い付き合いだから俺の性格はよく知っている。


 つまり、自分が言った所で俺がそれを治す……なんて事はないという事も、実はよく分かっている。


 ただ俺としてはだったらわざわざ教師どもの言う通りにしなくてもいいのに……とそう感じてしまう。


 しかし、それは『さくら』にも『立場』というモノがあるからだろう。


 実は『さくら』は、いわゆる俺の通っている学校では『模範生もはんせい』と言われる存在だ。


 肩につくほどの黒い髪を1つにまとめ、セーラー服を身にまとい、スカートの長さは、学校指定の長さのままで、決して丈を伸ばして引きずって履くようなマネはしない。


 勉強ももちろんそつなくこなす。部活の所属は一応茶道部だが、運動も出来き、他の運動部からよく助っ人を頼まれている姿を見かけるほどの運動神経だ。


 そんな俺とさくらが『幼馴染おさななじみ』だとは、言ってもほとんどの人は信じない。


 ……いや、信じようとしない。


 しかし実は、俺たちの付き合いはかなり長く、それこそ保育園に入る前から親ぐるみで仲が良い。


 ただ、結局保育園からの腐れ縁で、なぜか高校まで一緒になってしまった事は俺たちも計算外の出来事だった。


「……ん?」


 突然俺は『ある店』を横切った瞬間。一瞬見えた『何か』に違和感を覚え、思わず足を止めた。


「どうしたの?」

「いや……」


 ふと足を止めたそのお店は、俺が今まで見た事がないほど『古い建物』だった。しかし、俺が興味を持ったのはその建物の事よりも、『看板に書いてある文字』だった。


「なぁ、さくら」

「……何?」


「これ、何て読むんだ?」

「……えっ」


 俺がゆびをさしたのはその店にあった『看板』だった。


 あまりに達筆たっぴつすぎる行書ぎょうしょでその看板は書かれている。


 しかし、いくら達筆たっぴつ行書ぎょうしょとは言え、決して読めなくはない。


 ただ、問題があるとすれば昔の『看板』は『文字が左右逆』になっていた……という事よりも、その漢字自体読めなかった……という点だろう。


広幸君ひろゆきくん……。まさか、読めないの?」

「…………」


 さくらの鋭い指摘に俺は無言のまま顔を地面へとらした。


広幸君ひろゆきくん

「……黙秘する」


「……読めないのね」

「……」


 俺は決して「読めない」とは言っていないが『さくら』はすぐに確信したようだ。しかしその通りなのだから否定が出来ない。でも、何も言わないのは格好が悪い。


「……うるせぇ」


 ただ、吐き捨てる様に言ったあと、俺はその言葉が負け惜しみの様に聞こえてむしろ格好悪く感じていた。


「でも、これだけじゃあ『とんぼ』なのか『かげろう』なのか分からないわね」

「……えっ、二つも読み方があるのか?」


「……そこからなのね」

「…………」


 俺の驚いた声を聞くと、さくらは呆れた様に額に手を当てて困った様にそう返した。


 しかし、俺からしてみれば「知らないモノを知らないと言って何が悪い!」と言いたい気分だ。


「つーか、こんなところにこんな古い店、あったか?」

「いや……なかったと思うけど」


 とりあえず俺は思い出す様に尋ねた。


 だが、いつもの帰り道にもかかわらず、今までずっと見落していた。なんて事はないはずだ。


 もし暗いのであれば、見落としていた可能性は否定できない。


 それに、天気や時間によっては見にくくなることもあるだろう。しかし、それにしても今まで気づかなかったとなれば、よっぽど自分の目が節穴だという事になる。


 でも、このお店の外見がそう簡単に見落とす様な平凡な外見をしていない。


 それはもう俺が『古い』と思った文字通りの外見である。それこそ江戸時代などにありそうな、そんな感じだ。


 だからむしろ、あまりにも古すぎるがためにかなり目立っている。もし、ポケベルに写真撮影の機能があればあまりの驚きに確実に撮っていたほどだ。


 しかし残念ながら、『ポケベル』つまり『ポケットベル』にそういった便利機能は付いていない。


 俺が小学生の頃はあまり浸透していなかったが、今では校則で縛りが出来てしっているほどだ。


 それくらい『ポケベル』は大人だけではなく……いや、むしろ若者層わかものそう浸透しんとうし、今ではほとんどの人が持っている代物しろものだ。


「……ちょっと入ってみようぜ」

「えっ、広幸君ひろゆきくんっ!? ちょっと!」


 ただこんな珍しい外見に誘われる様に俺はさくらの返事も聞かずにズカズカとその珍しい店。


 骨董店こっとうてん蜻蛉とんぼ』に入って行ったのだった――――。

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