④ スーパマンみたいだ!!



 ついに試合開始――ジャンプボールの時が訪れた。

 審判がボールをトスすると、6分の1の重力に逆らって、ボールは宙に高く高く舞い上がった。


 ボールの行方を低く沈み込む体勢で見上げながら、ジャンパーである〝キング〟ことブライアン・ワイズは、目の前で同じようにボールを見上げる相手ジャンパー、

最大の怪物ビッゲスト・リヴァイアサン〟デレク・シャーザーとの間に起きた、つい先ほどの出来事を思考の片隅に浮かべていた。



 ――1時間程前。

 LBAファイナル第1戦会場、アーク・アリーナ内。

 ノースカルパティア・ソニックス用ロッカールーム付近の男子トイレ。


 試合前練習を済ませたブライアンが、洗面所で顔を洗っている最中の出来事だった。


「よお、王様、ずいぶん調子が良さそうじゃねぇか」


 野性的な響きのある、しかし耳にまとわりつくような険のある声。

 タオルで顔を拭いつつ、ブライアンが声のする方を向くと、そこにいたのは相手チームのエース・デレクだった。


 背が高すぎてトイレの入り口の枠に納まりきらないらしく、身を屈めて覗き込むようにしてブライアンを見下ろしている。


「あなたほどではありませんよ、ミスター・シャーザー。どうやら足の怪我は完治したようですね」


 そう返答したブライアンを、デレクは舐めまわすように見下ろしながら、押し殺したような笑い声を下品に漏らした。


 そこで改めてデレクを直視したブライアンは、その身体の大きさに驚嘆した。

 身長203cmもあるブライアンだが、245cmのデレクと並ぶと、まるで子供と大人のようである。 


 ソニックスとパイレーツは所属カンファレンスが違うものの、レギュラーシーズン中は2試合対戦が組まれるのだが、デレクが怪我でシーズンの大半を休んでいたため、ブライアンとの顔合わせはこれが初のことだった。


 無言で視線を合わせたまま、数秒が経過する。

 が、どうやらデレクは、このまま黙っていてもどくつもりはなさそうな様子だった。しびれを切らしたブライアンは、ひとまず誠実に挨拶を試みることにした。


「初めまして、ビッゲスト。噂に違わぬ立派な身体ですね。

 レギュラーシーズンでは残念ながら対戦できませんでしたから、お会いできて嬉しいです。今日は良いゲームにしましょう」


 と言ったあと、ブライアンはデレクに右手を差し出した。

 しかし、握手を求めてきたブライアンに対し、デレクは頭を抱えてゲラゲラと高笑いしてからこう言った。


「……はっ! おいおいおいおい勘弁してくれよ……」


 そして差し出された右手ではなく、ブライアンの手首を強引に握り込み、ねじり上げながら言葉を続けた。


「誰がてめえみてぇな汚ねぇ地球人の手なんか触るかよ、バァァァァカ!」


 デレクのものすごい握力に締められて、ブライアンの腕がみしみしと軋む。


「そんなに握りたきゃてめえの息子でも握ってな、オチビちゃん」


 その言葉に続けて、デレクはブライアンの足を思いっきり踏みつけながら、痛みを与えるために体重をかけた。

 あまりにも挑発的なデレクのその行為。

 しかし、対するブライアンは顔色一つ変えずこう答えた。


「ずいぶんと口が悪いんだな、ルナリアンの大将は」


 その《引くつもりなど微塵もない》ような強気な言葉と眼差しに、デレクはあからさまに眉間にしわを寄せ、フンと鼻を鳴らしてから口を開く。


「俺がちょっと怪我してる間にずいぶんと人気者になったみてぇだが、勘違いするなよ。LBAにはてめぇみてぇなクソチビ野郎の居場所はねぇんだよ。

 いいか、これは処刑宣告だ。この後の試合で俺がてめぇらを蹂躙し、地球人がいかに下等な種族かってことを証明してやる!」


 そう言ったあと、デレクはブライアンの腕を乱暴につき離し、不機嫌そうに去っていった。

 大股で歩いて行くデレクの後姿を見つめながら、ごく小さな声で『やれやれ』と呟くブライアン。


 これらのデレクの態度には、ブライアンへの個人的な感情というよりも、地球人・・・そのものに対する嫌悪感が明確に感じ取れた。

 しかし、そのことについて、ブライアンは不思議には思わなかった。


 地球人とは違う大柄な身体、身体的な特徴の違い。

《月》という地球と異なった環境に住むことによる、価値観の違い。

 そう言った事情から、ルナリアンのことを差別し《宇宙人》や《モンスター》と揶揄する地球人は少なくなかった。


 しかも、デレクは身長245cmを超える超大柄なルナリアンである。

 彼ももしかすると、幼いころに周りの人間――特に地球人から、化け物呼ばわりされてきたのかもしれない。


 ブライアン自身は差別主義者などではないし、ルナリアンたちに対してそういった感情を抱いたことはないが、世の中にはそういう心ない地球人が存在することも確かで、また、デレクのように地球人に恨みを持つルナリアンがいることも、ブライアンにとっては予想の範囲内だった。


「なるほど、月面人ルナリアン地球人アースリングの間にある軋轢、か。……《チームの優勝》という目標以外にも、余計な因縁が着いてしまったな」

 

 そう呟いたあと、ブライアンはかすかにため息をついた。

 だがしかし、この出来事は彼の士気を削ぐ物には決してならなかった。

 むしろ彼はこう思った。


(面白い。やるからには本気でかかって来てくれないと張り合いがないからな。

 良いだろう。この私がLBAの頂点に立つにふさわしい者か否か、この試合ではっきりと証明してやろうじゃないか――!!)



 そして場面は、ジャンプボールの最中に戻る。

 アリーナ全体が息を飲み、無言で見つめる中、10メートル近い高さまで投げ上げられたボールが最高到達点に達した、その瞬間――。


「ウオオオオオぉぉぉぉぉ!」


 野生の獣じみた野太い気合の声と共に、デレクが地面を蹴った。

 完璧なタイミング。身長245cmの巨躯を活かした圧倒的な跳躍。

 あっという間にデレクの身体はボールめがけて跳ね上がった。


 一方のブライアンは、タイミングを逸したのだろうか、どうやらまだ跳躍前の体勢だ。

 これなら完全にデレクの方が早くボールに届く。

『もらった!』と、そう思ったデレクは空中でほくそ笑んだ。

 

 しかしその時、信じられないことが起こった。

 体勢を深く深く沈み込ませていたブライアンが、やっとのことで跳躍したかと思ったその刹那――まさに《一瞬》にして、デレクと視線が合う高さにまで上がってきたのだ。


「な、なん……だと……!!」


 デレクは信じられなかった。

 身長差40センチ以上、圧倒的な体格の違いがある上に、デレクより後からジャンプしたにもかかわらず、瞬く間にデレクと同じ高さにまで跳躍して来るとは――しかも、しかもそれだけではない。


(俺より後に跳んで、なぜ先に高くまで行ける!? 

 なんで俺よりも早く……ボールに手が届きやがるんだぁッ!?)


 驚くべきことに、デレクの身体を置き去りにして、ブライアンの手はボールに到達し、勢いよくタップ(はたく)してしまったのだ。

 痛烈な勢いではたかれたボールは、少し離れた位置にいるソニックスのプレイヤーの手に渡った。


 完全に出ばなをくじかれたパイレーツの選手たちを尻目に、ソニックスの選手は簡単にレイアップシュート(バスケットに向かって走り込み、片手でリングにボールを置いてくるようにして放つシュート)を決めてしまった。


 ビーッ! というブザー音が鳴り響き、ソニックスのスコアボードに2点が追加される。

 6分の1Gでゆっくりと落下してくるブライアンとデレクが着地するのを待たずして、一瞬にして0‐2になってしまった。


 空中で歯ぎしりしながら落下するデレクは、相対するブライアンを睨みつけた。しかし、金髪碧眼の青年の表情は、不敵で涼しげな笑みに包まれていた。



 ――そこからの展開は、まさに圧倒的だった。

 ブライアンに次々とパスを回し、その驚異的な身体能力を活かして一気に得点を決めていくソニックス。


 デレクも高い身長を生かして止めようとするが、それをブライアンは簡単にドライブで抜き去ったり、ステップバックからのフェイダウェイシュートを打ってあっという間にゴールを陥れてしまう。


 まさに、手も足も出ないような圧倒的な展開。

 しかし、それは何もデレクを含めたパイレーツの選手たちが、能力的に劣っているというわけではない。むしろ、ブライアンの調子が好調すぎるのだ。


 先程の試合前のデレクとの出来事が、ブライアンの闘志に火をつけたのか、この瞬間のブライアンは、間違いなく今シーズン最高のパフォーマンスを発揮していた。

 とは言え、月の6分の1G下でのバスケをまだ1年しか経験していないにもかかわらず、他の選手をここまで圧倒することができる能力は、驚嘆に値する。


 しかも――それだけではない。

 ブライアンの圧倒的な身体能力は、時に地球のバスケでは考えられないような《信じられないプレー》を実現させるのである。


 8‐23という大差で迎えた第1クォーターの終了直前。

 ボールを保持したブライアンが、ドリブルしながらものすごい速度で相手ゴールに攻めこんだ時だった。


「これ以上やらせるかよ、くそがぁぁぁ!」


 ゴール下に陣取ったデレクが、まるで仁王像のような気迫で、ブライアンをブロックせんと立ちふさがった。

 彼我の距離はまだ約10メートル。

 

 とその時、さらに2人のパイレーツの選手がブライアンに向かって行った。

 3対1。さしものブライアンも、こうなってしまっては一度立ち止まって、他の選手にパスを出すなりせざるを得ないだろう。

 アリーナ中の誰もが、そう思った。


 しかし、ブライアンは立ち止まらなかった。

 それどころかさらに加速を続け、敵選手たちとの距離が約5メートル程になったその瞬間――渾身の力を発揮して、すさまじい勢いで大きな跳躍をしたのだ!


「おおおおおぉぉぉっ!!」


 気合の声を上げながら舞い上がったブライアン。

 地面からの単純な高さにして、実に6メートル半以上は跳んでいる。

 その身体は、完全にバスケットゴールより上の高さにまで到達してしまった。


 その跳躍のあまりの速さと高さによるものか、それを見た敵選手たちは対応することすらできず、ただただ立ち尽くしている。


 そして、まるで本当に空を飛翔しているかのように、3人の選手の頭上を飛び越えたブライアンは、そのままバスケットゴールに半ばダイブするかのように身体を寝かせて――。


 ずがぁぁぁぁぁぁん!!


 と猛烈な勢いでボールを上からゴールに叩き込んだ。

 ブザー音と共に、ソニックスに点が追加される。8‐25。

 ネットを通過して落下して来たボールが地面に到達し、数度跳ねた。

 続いて、6分の1の速度でゆっくりと落下してくるブライアン。

 

 沈黙が空間を支配する。

 その間、ブライアンの信じられないほどのプレーに圧倒されたアリーナ中の観客たちは、声も出せない状態となっていた。


 しかし、その凄まじい美技を見せたスーパースターが、静かにコートに着地したその瞬間――。


 ワァァァァァァァァァァ!!


 と、最高潮の歓声を上げて会場は盛り上がった。


「うわぁぁぁぁぁ! な、なんだ今のダンクシュートーーーーー!!」

「す、すげぇぇぇ! 完全にボールを上から叩き込んだぁぁぁぁ!!」

「うぉぉぉぉ! しかも人間を3人も跳び越えやがったぞーーー!!」


 そのあまりのスーパープレーに、ソニックスのみならず、パイレーツの選手までもが沸き立っている。

 着地を終え、会場中の歓声に応えたブライアンは、近くで呆然と立ち尽くしているデレクに向かって、涼やかにこう言った。


「どうです? これで少しは認めて頂けましたか? ビッゲスト」


 その言葉を聞いて、デレクは歯ぎしりしながらブライアンを睨みつけた。

 対するブライアンは、涼しげな笑みから一転、毅然とした表情を見せながら、こう続けた。


「たとえ体格に差があろうとも、私は立ち向かうことを諦めたりはしない。

 ……地球人を、なめるなよ!!」


 ほどなくして第1Q終了のブザーが鳴り響いた。

 状況は圧倒的にノースカルパティア・ソニックスの有利。



 その様子を、アーク・アリーナ2階席最前列で、大興奮と共に見つめていたのは、地球から来た2人の少年、神凪ミコト・ヤマト兄弟。


 初めて見る月面のスポーツ、ルナバスケのド派手なプレーの数々と〝キング〟ブライアン・ワイズの見せたスーパープレーに、ヤマトもミコトも大興奮の様子だった。


 特にブライアンが最後に放った、圧倒的な跳躍力による3人抜きジャンプからのダイビングシュートを見て、ヤマトは今まで感じたこともないような衝撃を受けていた。


「は、ははは……す、すごいや。まるで、スーパマンみたいだ!!」


〝キング〟ブライアンと言う存在が、神凪ヤマトの心の中に、確かな熱い火を灯し始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る