スピンオフ

extra1 王様の定義〈1〉

 蒼太の蒼はサムライブルーのことだから。

 気づけばそれが三峰蒼太の口癖となっていた。

 実際、一年生でありながら三峰のテクニックは小滝第二中学サッカー部において群を抜いていた。ナンバー10を背負う彼の技巧を上回る者は先輩のなかにも一人としていない。


 決して小滝第二中学が弱いわけではなく、中学総体の都予選ではベスト16まで進出している。それでも三峰としては結果に不満だった。今はもう引退してしまっている三年生たちがもっと自分にボールを集めてくれていたら、と思うのだ。


 中学でのサッカーは彼にとってあくまで踏み台である。高校では名門校に進学して冬の選手権での優勝を目指すか、それともJリーグのユースチームに入団して十代でのプロデビューを狙うか。そんな野心を公言する三峰にしてみれば、都大会のたかだかベスト16くらいで満足してはいられない。


「ちょっとぉ、そこ動きだしが遅いっすよ」


 ミニゲームで自分のスルーパスに追いつけなかった二年生フォワードの坂田を三峰が大声で詰る。三年生がいなくなった部での日常風景だ。

 三峰に対して厳しい姿勢を崩さなかった三年生とは違い、二年生たちは彼の実力を認めてくれている。そう感じているからこそ、遠慮はいらない。

 一人はみんなのために、みんなは一人のために。おれがこのチームを勝たせてやる、だから先輩といえど合わせてもらうぞ。

 王様のごとく振る舞う小滝第二中学のエース、それが三峰蒼太だった。


 そんな彼がグラウンド脇でじっと見学している小柄な男子生徒に気づいた。


「前途有望なうちへの入部希望者か? けどこんな中途半端な時期に?」


 十月の頭に新しく入部しようなどとは普通の生徒ならまず考えない。それに三峰にとって初めて見かける顔だった。

 もしかしたら転入生かもな、という彼の予想の正しさは翌日に証明されることとなる。


「みんな、新入部員を紹介するぞ。ポジションはミッドフィールダーで中盤ならどこでもやれるそうだ。じゃあきみからも一言頼むよ」


 四十手前の顧問である北村に促され、買ったばかりらしいまっさらな体操着姿の小柄な生徒が緊張気味にみんなの前へと進み出る。

 こりゃ卒業まで補欠確定だな、と三峰が内心でバカにしたその少年は「先日こちらへ転入してきた二年生の筧拓真です。あの、よろしくお願いします」とかすかになまったイントネーションで名乗った。

 筧の挨拶がすむと北村は「よし」と大きく頷く。


「新しい仲間の歓迎も兼ねて、今日は40分1本の紅白戦をしてみよう」


 その提案に対し、即座に反応したのは三峰だった。


「えー? それって今日は調整ってことすか」


 三峰が入るスタメン組のAチーム、控えの選手たちからなるBチームとでは実力の差は歴然だ。どれだけ手を抜いても負けるはずがない、という相手を舐めた気持ちがつい口をついて出た。

 そんな彼を苦笑いを浮かべた北村がやんわりとたしなめる。


「筧も前の学校ではレギュラーだったそうだからな。いってみればお披露目だよ。その実力次第じゃ三峰、おまえのポジションだって安泰じゃないぞ」


 はん、と思わず三峰は鼻で笑ってしまった。たとえ本当にレギュラーだったとしても弱小校での話だろう。いったいどれほどの価値があるというのか。

 体格で自分が勝り、使える選手たちもAチームが上、テクニックに関しては言うまでもないだろう。どこをとっても負ける要素などひとつもない、そう三峰は確信していた。

 だがサッカーにはちょっとしたイレギュラーがつきものだ。


「先生ぇ、おれ筧ちゃんと一緒にやりたいんでBに混ざっていいですかね。おれらクラスメイトなんですよ」


 すでにBチーム用である赤色のビブスを手にした坂田が許可を求めている。なぜか北村はあっさりとその申し出を認めてしまった。

 勝手なことを、と10番が記された黄色のビブスを着用しながら三峰は憤った。フォワードの軸である俊足の坂田がAチームから抜けると攻撃の幅がかなり狭くなってしまうではないか。


 とはいってもレギュラーの坂田が一人が加わったところで補欠たちの集まりなど敵ではない。彼らはなぜか新参者の筧を中心として熱心に話しこんでいるが、三峰としては「はいはいご苦労さん」と皮肉ってやりたくなった。


 その打ち合わせが終わるのを待って、顧問の北村自ら主審役を務めてホイッスルを鳴らす。三峰はいつものごとくトップ下に、相手方の筧はボランチの位置で構えていた。

 意外だったのは、小柄で頼りなさそうにすら見えた筧が、試合となれば妙に落ち着いた雰囲気を醸しだしていることだ。学校指定の体操着にもかかわらず。

 それが三峰にはどうにも気に食わない。


「どうせ一発かましてやりゃびびるんだろ?」


 ボールを受けた三峰はさっそく筧に向かって突っかけていく。

 けれども筧の対応は冷静そのものだった。コンビを組むもう一人のボランチとともにスペースとパスコースとを塞ぎ、三峰からプレーの選択肢を奪う。無理にドリブルでかわしてもすぐ囲まれてボールを取り返されてしまうだろう。

 思惑通りにいかないのを悟った三峰は舌打ちしながらペースダウンし、ゆっくりとしたキープに切り替えようとする。その瞬間、筧が一気に距離を詰めて体をぶつけてきた。

 侮っていたはずの相手による予想外の球際の激しさに、三峰はあっさりとボールを奪われおまけに転倒してしまう。


「ファウルだろうがよ!」


 座ったまま両手を上げて抗議するが、プレーを続行させている主審の北村は人差し指を横に振る。それどころかジェスチュアで「早く立て」と指示してきた。

 くそっ、とつかんだ砂をグラウンドに叩きつけながら三峰は立ちあがった。そんな彼をちらりと筧が見遣ってくる。彼の目には若干咎めるような色合いがあった気がして、三峰はまた苛立ってしまう。


 しかしゲームが進むにつれ、何より癇に障ったのは筧のその技術の高さにだった。派手さをまるで見せないせいで三峰も最初は気づかなかった。ボールポゼッション率で互角というこれまでの紅白戦にない試合展開となり、Bチームの好循環を生みだしているのはいったい誰か、と問うたときに答えはまぎれもなく中盤の筧だったのだ。


 三峰が見たところ、たった一日見学していただけなのに筧はそれぞれの選手たちの特徴をよく理解しているようだった。坂田のような足の速い選手には前方の空いたスペースへ逆回転をかけた鋭いパスを、競りあいに強い選手には足元や頭へ。利き足がどちらかまで考えてパスが出されていることに彼が気づくのには、さらにもうしばらくの時間を必要とした。


「もっとそいつに厳しく当たれ三峰! 自由にさせすぎだ!」


 他のチームメイトから指示が飛んでくる。うるせえ、と三峰は心の中で毒づいた。

 できれば極力、守備にエネルギーを割きたくない三峰の心情を見透かしたように、一方の筧は労を惜しまず走り回ってボールを受けている。三峰らがマークに付ききれていない場合には、急所を突くような彼のパスから大きなピンチを招く羽目になっていた。いまだ0―0なのが不思議なほど、Aチームは精神的にも徐々に追いつめれていく。


 こんなのはおれが好きなサッカーじゃない、そんな思いが何度となく三峰の脳裏に浮かんだ。終盤になってからはほとんどボールにも触れないようになり、ひたすら後手を踏んでただ漠然とグラウンドをちんたら走っているにすぎない。これなら陸上部のほうがまだマシというものだ。


 もう勝敗など三峰にとってどうでもよかった。どうせただの紅白戦だし、こんなつまらないゲームで無理をするのもバカらしい。とにかく一秒でも早く終わってくれよ、と三峰は願望をこめて顧問へと視線を送った。


 そのとき、背中でわずかに気配を感じていた筧が猛然と前線へ駆けあがっていく。すっかり不貞腐れて注意が散漫になっていた三峰は「あ」と間の抜けた声を残し、呆然と筧の背中を見送るより他になかった。

 ボールを受けた筧は、右サイドに流れていた坂田へとすぐさまパスを送る。なおもダッシュでペナルティアーク付近に走りこんでいった筧に坂田からのリターンパスが渡った。


 打たれる、と三峰は思った。すでにAチームの最終ラインは混乱している。筧にとっては絶好のシュートチャンスのはずだ。

 しかし筧は憎らしいほどに慌てない。シュートに見せかけたフェイントによって必死のスライディングを仕掛けてきたディフェンダーをかわし、サイドから侵入してきた坂田に最後の仕上げを任せる。

 サッカーの教則本に載せたいほどのお手本のような得点シーンだった。筧からのスルーパスを受けた坂田の右足が均衡を破ってしまったのだ。


「筧ちゃんすげー、もうドンピシャ! ほしいとこにボールが来るんだもんなー」


 抱きつかんばかりの勢いでゴールを決めた坂田が筧へと躍りかかった。坂田だけではなく、他のBチームの選手たちもみな一様に喜びあいながらニューフェイスの活躍を称えている。試合がそこからどうなっていつ終わったのか、三峰にはまるで記憶が残っていない。

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