第49話 おやつ

 契約者になるといっても、透は祖父の死によってすでに契約者になっているので、やることといえば住居を移して庭の管理を始めるくらいだ。透があの家に住めば女王の力も完全に回復し、勇者を敷地に入れることもなくなる。だが外にはうろついているのでは、と私が問うと、縁が顔を洗いながら「そうかもなぁ」と気の抜けた返事を返した。


「弱ってるとこを狙ってきたってんなら、いずれ諦めんだろうがなぁ」

「諦めなかったら?」


 私の疑問に顔を洗う前足を止めた縁は、にやりと笑う。


「女王や坊やが勇者を追っ払ってほしいってんなら、別料金だなぁ。かなーり高くつくぜぇ」

「あ、そこは別なんだね」

「そりゃあ、勇者を片付けなくても、この件は片ぁ付くからな」


 そうしてまたご機嫌に顔を洗い出したが、せっかく大きな決断をした透はまた不安顔に戻ってしまった。優しい縁に時々突き放されて迷子のような表情になるのが可哀想で、私は「それまで外に出られないの?」と聞いてみる。すると縁は今までのように「裏道」案内をすると言ってくれた。


「24時間応えられるわけじゃあねぇけどな。学校も行けねぇと困んだろうし、できるだけお迎えに行ってやんぜぇ」


 その答えを聞いて透は小さく笑み、「ありがとうございます」とお礼を言う。そんな面倒なことを請け負うなんて、仕事としての一線はひきながらも、やっぱり縁は優しいなと感じた。そんな温かい感情に包まれると、またモフモフしたくなる。今は毛づくろいに一生懸命だからしないけど。


 そうしてまったりと土曜日の午前中を過ごしていると、休日なんて関係なしに働く純子が10時のおやつを持って来た。ちょっと前からキッチン方面の匂いを嗅いで、小麦粉を使うお菓子だなぁと当たりをつけていた私は、現れた分厚いホットケーキに手をたたく。2段構えのそれは濃厚なバターととろける甘さのハチミツがキラキラ輝いていて、3時間前の朝食を消化しきった私の胃がぐるぐる動いた。


 4人分のホットケーキをテーブルに置いて、純子も席に着く。それを待って私は「いただきまーす!」と元気に言い放ち、大きくカットしたホットケーキを頬張った。幸せの味が口いっぱいに広がる。純子は幸せを作る達人だという尊敬と感謝の意を込めて「おいしい」と言うと、純子は眼鏡の奥の瞳を嬉しそうに細めて、自分のホットケーキを小さな口に運んだ。猫が食べてはいけないホットケーキだが、化け猫の縁は前足も器用に使ってふわふわの生地にかぶりついている。これは透も喜んで食べてるんじゃないかな、と視線を移すと、透はちょっと見ない大きさのホットケーキに驚いたのか、自分の前に置かれたそれを凝視していた。


「ずいぶん大きいんですね…………」


 透がそう呟くと、純子はおかしそうにコロコロ笑う。


「残してもいいですよ。うちは桜に合わせて食事を出しているので、量も頻度も多いんです」

「え、そうなの?」


 それに反応したのは透ではなく私だ。きょとんとしている私の顔を見て、今度は縁も笑いだす。


「おめぇは間食もいれると5、6食くれぇ食べるからなぁ」

「パンやおにぎりも“おやつ”ですからね」

「普通の女子高生の倍は食ってるよなぁ」

「ええ、だから食べきれなかったら桜にあげてください」


 大人たちのからかいに、私はピタリとフォークを止めてしまった。なんだか自分がとても食いしん坊だと暴露されたようで恥ずかしくなる。でもよくよく考えてみたら、優美も清加もそんなに食べないし、いつも「よく食べるね」と言われていた。正直、2人が小食なんだと思っていたが、男子高校生の透に指摘されるくらい大きなホットケーキを綺麗に平らげるということは、つまりそういうことなのだろう。今まで「ちょっとよく食べる」くらいに考えていた自分の認識を改めなければならないかもしれない。


「私、食べ過ぎ………?」


 おそるおそる聞いた私に、しかし大人たちは首を振った。


「いんや、魔物にもそれぞれ適正量があるからなぁ。桜は細ぇし、健康診断もひっかかってねぇし、大丈夫だろ」

「小さい頃からよく食べてましたしね。学校から帰ってきた第一声が『おやつ!』だったこともありましたっけ」

「あったなぁ。純子のお菓子も足りなくて、食パン一斤食い尽くしたり」

「うぅ………食いしん坊エピソードはもうやめて」


 つい数分前まで喜んでホットケーキを食べていたのに、その勢いがすっかりなくなってしまう。何と言われようが食べるのはやめないが、せめてもと小さくカットした甘い生地を口に運んだ。


「大丈夫だよ、高木さん。うちは親が甘いもの好きじゃないから、あんまりお菓子食べる習慣がなくて驚いただけで」


 元気をなくした私を気遣って透が声をかけてくれる。「ありがとう………」と小さくお礼を言うが、透のホットケーキが全然減っていないことも私の心をえぐった。私はあと一口で終わるんだけど。もっと食べてよ。


 私が八つ当たりに近い感情を透に抱いていると、そういえば、と純子が話題を変えた。


「高橋さんのご両親ともお話をしなければなりませんね」


 透の両親は純子と蓮太郎が対人間、特に対勇者用に透の所在をはぐらかすよう伝えていたので(というかそう振る舞うよう強制していたので)、透が契約者としてあの家に住むなら彼らにも事情を話さなければならない。普通の人間に信じてもらえるだろうかと思ったが、不安になったのは透も同じだったようだ。


「うちの親、オカルト的なことはあんまり信じてないっていうか、絶対に認めないっていう姿勢なんですけど、信じてくれますかね?」


 純子は顎に手を当てて宙を見ながら考える。


「実際にお会いした時は、認めないというか信じたくないと思っているように感じました。特にお父様はあのお家で育っていますし、高橋さんが昔、襲われた時も何かしらの存在を感じていたのではないでしょうか。実際に、勇者の話は信じていらっしゃったので」


 透の両親はあの家を処分しようとするたびに起こる怪奇現象により揉めていたらしいが、「何かいる」と感づいていても、自らお祓いなどの手配をすれば得体の知れないものの存在を認めることになると思っていたのだろう。誰だって自分の理解が及ばないものは拒否したくなるし、頭では分かっていても信じたくないという気持ちはなんとなく理解できる。でも、そこにプロのほうからお祓いすると訪ねてきたら、事態を収めたいという気持ちと「自分から頼んだわけではない」という免罪符からお願いしてしまうかもしれない。


「だから、ご両親にお話しする余地はあると思います。そういうものがいるって、諦めて認めてもらいましょう」


 純子は穏やかな笑顔に似つかわしくない強気な言葉を口にした。頼りになるなぁと思いながら私はホットケーキの最後の一口を頬張る。するとタイミングを計ったように、縁が1枚残ったホットケーキの皿を前足でズズズと私のほうに押し出してきた。言葉がなくとも食べていいと言われているのは分かるので、私は先ほど食べ過ぎなのではと思ったこともすっかり忘れ、喜色を隠し切れないまま皿を引き寄せる。それを見届けた縁は「俺が目の前で喋りゃあ一発で信じるから安心しなぁ」とドヤ顔で言ったので皆で笑った。そうして声をあげて笑ったことで一層緊張がほぐれたのか、透がポツリと心の内を明かす。


「本当は両親にもう会えなくなるかもって思ってたんです。あの2人は人間だし、こっち側? の世界とか知っちゃいけないんじゃないかって」

「まぁ、ほんとは知らねぇほうがいいんだがなぁ。こっち側の人間もいるっちゃあいるし、ぜってぇダメってわけじゃあねぇよ。それにお前さんは未成年だしよぉ、まだ親が必要だろ?」


 そう言われて透は少し戸惑ったものの、小さく頷いた。


「俺、ちょっと前まではじいちゃんの家のことで揉めてる両親が嫌で、正直会いたくないなって思ってたんですけど、離れてみたらやっぱり会いたいなってなったんです。嫌なことがあれば、きちんと2人と話すべきだったかなって」


 私は透の変化に少し感動する。祖父のことを人から聞いた話だけで悪く言った透に、自分の目で本当かどうか確かめればよかったのにと言ったのはつい先日のことだ。種探しをするために初めてバラ園に向かう途中、透の友達に後をつけられていた時のこと。血がつながっていても分かり合えるわけではないのだなと寂しく思った。しかし透はこの短期間でいろいろな経験をして、心境の変化があったのだろう。ずっと孫を待っていた透の祖父の話を聞いたこともあり、これから徐々に近づいていく家族を思って嬉しくなった。


 しかし、そうしてほっこりしている私に、透は満面の笑みで爆弾を落とす。


「高木さんが家族と仲良くしてるの見て、余計にそう思ったんだ。高木さんみたいに大好きだって言葉に出すのは難しいけど、まあまあ仲良くやれることを目標にするよ」


 それを聞いた私は昨日のことを思い出してまた顔が熱くなった。食いしん坊エピソードもそうだけど、なんだか昨日から恥ずかしい思いをしてばかりな気がする。かろうじて「大好きなんて言ったことないけど………」と反論したが、純子がまた嬉しそうに微笑みながら1枚残ったホットケーキを差し出してくるので、いたたまれなくなって俯いた。


 私がこうして貰うホットケーキに愛を感じるように、きっと大人たちは私から何らかの形で愛を感じているのだろう。分かったように笑う1人と1匹を見て悟った私は、再び2枚になったホットケーキを口いっぱいに頬張った。

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