第48話 同じ

 ソファで丸くなる縁に釣られた私は1時間ほど一緒にお昼寝をした。耳がいいので寝ている間に純子がタオルケットをかけてくれたり、雪那が帰ってきて別のソファに腰掛けたりする度にうっすら覚醒したが、再び心地よい微睡みの中へ沈んでいく。透を放って呑気なもんだと自分でも思ったが、縁のおかげで気が楽になったので元来の切り替えの早さが表に出てしまった。


 しかし、夕食前に起きる蓮太郎がリビングへ降りてくる音を聞いて、さすがに起きるかと伸びをする。いつの間にか私の足を枕にしている縁を起こさないようにそっと体を移動させ、立ち上がった。縁は手足を伸ばして一瞬目を開けたが、まだ寝るようで再び目を閉じる。いたずらにタオルケットでぐるりと巻いてみたが、そのまま健やかな寝息をたて始めた。


 私はそのまま純子を手伝おうとキッチンへ行く。すでにいくつかおかずが出来上がっていたので、声をかけてからテーブルへ運んだ。寝起きでぼーっとしている蓮太郎が、半分目を閉じながらすでに食卓についている。雪那は読んでいた本を閉じてお皿を運んでくれたので、眠っている1人と1匹は放って準備を進めた。


 そしてテーブルの上にご飯がそろい、私もいそいそと席に着いたときにやっと気づく。


「あれ、高橋くんは?」

「あ、高橋さんもお部屋で休んでたんですよ」


 桜と縁さんがよく寝てたから、眠くなったんでしょうね。そう言って純子は透を呼びに部屋を出て行った。やっぱり他人が寝ていると眠くなるものなんだなと感じながら、私は待てを言い渡された犬のようにご飯を見つめて待つ。私の我慢が利くうちに髪をぼさぼさにした透がやって来たので、つまみ食いはせずに済んだ。眠った透は心なしかスッキリした顔で席に着き、みんなと一緒に手を合わせる。食事も私ほどではないが、おそらく男子高校生の平均的量を食べていた。


 透は居候の身だからか、食事の後は必ず食器を洗って食卓を拭く。純子も喜んでニコニコしているが、まったく家事をしない私にはその光景に少し罪悪感を感じていた。純子は何も言わないけど、ひょっとしていつも手伝ってほしかったのかも。でも男性陣はまったく動かずのんびりしているので、私もソファでごろごろしている。


 そしてひと段落した時、例の説得が始まった。






「え、今日は女王様のとこ行かないの?」

「ああ、言ってなかったか。女王と昨日話して、説得できるまではいいってさ」


 まだ透が働いている時に、働いていない私は同じく働いていない雪那から今日のことを聞く。この後はバラ園で生きるよう透に説得して終わり、だそうだ。


 そうして働き終わった透と純子も、私たちがいるソファへと腰かける。と言っても1人掛けが2つと横長のソファが1つで、透が真ん中に来るよう横長のほうに座らせるとぎゅうぎゅうとなってしまうだろう。蓮太郎が微妙な配慮でソファとセットの足置き台を差し出してきたので、私は少し不服に思いながらもそこへ移動する。できればソファを譲ってほしかったな。でもこんな小さい足置きに長身の蓮太郎が座るのは窮屈すぎるかと思い直して、皆より低い視線で説得に参加した。


 これから話し合いが始まる空気を察して緊張する透の様子を見ながら、雪那が慎重に口を開く。


「昨日のこと、覚えてるか?」


 問いかけられた透は少し息を詰めながらも、小さく頷いた。おそらくこの話をすると予想していたのだろう。戸惑いは感じられたが、ある程度受け入れられた顔をしているように見える。蓮太郎の催眠術が効いたのか、それとも胸にあった妖精の姿が消えたおかげか。しかしその手は、昨夜のことが脳内に蘇ったのか、パニックを起こす前と同じく胸をぎゅうっと掴んでいた。


 透が覚えていること、そしてまたパニックにならないことを確認して、雪那は静かに続ける。


「女王の話を聞いて、俺たちはこの件を収めるためには、お前があの庭の契約者として生きるのが最善だと考えた」


 すると透は唇をきゅっと噛みしめ、眉間に深いしわを寄せた。昨夜聞いた透が生き延びた経緯や、「もう人間じゃない」という縁の発言から、そう言われることを薄々感づいていたのかもしれない。それに契約者としてあの庭で生きることは、以前も雪那から勧められていた。それでも実際に言葉にされたショックは多少なりともあったのだろう。透は厳しい表情のまま視線を俯かせたが、雪那は透の様子を注意深く見ながら、低く落ち着いた声で改めて事情を説明した。


「縁がもう人間じゃないって言ったのは覚えてるだろ? お前は妖精の命で生きるうち、魔物に変化したんだ。もう100%元の生活に戻るのは難しい。人間社会で魔物が生きるのは危険だ。俺たちみたいに日中は人間として動いている魔物もいるが、それは魔物として生きられるホームがあるからで、人間の中だけで生活しているわけじゃない。場合によってはお前も桜のように学校を続けられるかもしれない。でも魔物として安全に生きられる場所も必要だ」


 雪那は「それをあの庭にしたらいい」と続ける。


「あそこはお前を助けた妖精たちの住処だ。それにお前はあの庭の契約者だし、妖精たちは何があってもお前を守るだろう。人間からも魔物からも襲われない、安全な場所だ。最初はあの家を売るか取り壊すかって考えてたらしいけど、お前かお前の親が正式に相続して、お前があの庭を管理すれば、もう不可解なことは起こらない。お前は魔物として安全な場所も手に入れられる………契約者として、魔物として生きる道を選んでほしい」


 透の返事をもらうため、雪那はここで透の目をじっと見つめて黙ったが透は俯いたまま。そんな重要なことを即決できないと思っているのか、それとも魔物としては生きたくないと思っているのか。返答がないと悟った雪那はさらに畳みかける。


「前に契約者のことを話した時は拒否するのも自由だと言ったけど、今のお前は昨日のことがきっかけで完全に魔物へ変化したから、勇者の粛清対象にもなると思う」


 その言葉を聞いた透は目を見開いて、勢いよく顔を上げた。透が出会って恐怖を覚えた男。すでに顔を知られた透が容易に殺されてしまうのは想像に難くない。予想していなかった方向からの脅威に気付いて、その顔には恐怖と焦りが浮かんでいた。


「契約者になることを拒否したら、身を守る術もなく勇者にやられるだろう。だからあの庭にいるのが一番安全なんだ」


 自分の身を守るには魔物として生きるしか選択肢がないことを突き付けられ、透は胸に置いていた手を組んで額につける。もはや道はひとつしか残されていない。それは透も分かっているはずだ。だがいろんな恐怖が渦巻いて、受け入れられないように見た。


 私も何か説得できれば、と言葉を選び始めた時、ソファのひじ掛けに座る縁は私よりも前に口を開く。


「不安だろうがなぁ、お前さんはもう魔物だから俺たちの仲間だ。平和に暮らせるようにしてやるし、これからも困りごとがあったら、いっつでも解決してやるぜぇ。このまんま人間として生活すんのより、安心できるこたぁ確かだ」


 そうして陽気に、朗らかに笑う縁に安心したのだろうか。透は縁を見て表情を和らげた。さすが、いつでも空気を和らげる達人。加えて毎日家に通って信頼関係を築いてきたのだから、もはや縁は精神安定剤になっているのかもしれない。昨夜覚醒したきっかけを作ったのも縁なのだが、それを上回る安心感があるのだろう。私は出鼻を挫かれたことも気にせず、縁に尊敬のまなざしを向けた。


 そして多少落ち着いた透は戸惑いながらも、今の気持ちを少しずつ声に出し始める。


「俺、前も言ったんですけど………契約者になったら怖いことがたくさんあるんじゃないかって、思ってしまうんです。正直、妖精も怖いし、その、勇者? も怖い。死ぬのも嫌だし。それに友達や…………両親に会えなくなるんじゃって」


 怖いんです、と囁くように心の内を吐露した透は、祈るように手を組んだ。人外への恐怖と死の恐怖、そして愛する人ともう会えない恐怖。契約者になることを躊躇う要因すべてを聞いた縁は、しかしそれらを笑い飛ばした。


「なぁんだ、そんなことかぁ! そんなら桜を見てみろぉ」

「え、私?」


 突然の指名に私は戸惑ったが、それは透も同じだったらしい。私のことを見てきょとんとしている。縁は首をかしげる2人のことは気にせず、ニッと笑った。


「お前さんが契約者になるっつぅことは、桜とおんなじような生活するってぇことだ。魔物と暮らして学校行って、友達と遊んで馬鹿みたいに飯食って呑気に昼寝して」

「ちょっと、後半なに」


 私は最後の2つに抗議したが、間違いを言っているわけではない縁は華麗にスルーする。


「桜はいろんなもん怖がって生きてるように見えるか?」


 その問いかけから、透は私をじっと見つめてきた。居心地の悪い思いをしながらも、私はそれでいい結果が出ればと思い、ぐっと我慢する。やがて透は縁に向き直り、「いいえ」と答えた。


「だろぉ? まあ勇者の問題とか住むところ移さなきゃなんねぇとかはあんだろうけど、それさえクリアしちまえば怖いもんなんてねぇよ。なぁ桜」


 縁は1人だけ低い位置に座る私を見下ろして尋ねる。


「おめぇはこの生活、どう思ってんだ」


 突如自分の考えを求められた私が真っ先に思いついたのは、ケーキを一緒に食べていた時に思っていたこと。だからそのまま口にした。


「私は狼人間でよかった。ここで皆と暮らせて楽しいよ」


 何も考えず答えたが、ニコッと嬉しそうに笑った純子と目が合った瞬間、自分が家族に対して言ったことを理解して顔から火が出そうになる。欧米人なら家族に愛してるって日常的に言うんだろうけど、私はそんなの言ったことがない。猛烈に照れて、今度は私が顔を俯けた。


 しかし、一晩考えさせてほしいと言った透が翌朝、目の下に隈を作りながら契約者になる決断をしたとき、私の恥ずかしい発言も無駄ではなかったと報われた気がした。

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