第18話 勇者

 事情を知っているだろう者の住居を訪ねたらすでにもぬけの殻になっていて、やられた、と私たちは臍を噛んだ。しかし、次の日にはご機嫌な縁がその彼を咥えて帰ってきたので、私はオレンジの毛をわしゃわしゃとかき混ぜて褒める。やっぱり猫はネズミ捕りが上手だ。

「勘弁してくだせぇ、ワシはなんも知らんのです」

 縁に首根っこを咥えられて半泣き状態なのは、いつかの依頼主である巨大なネズミ。あの日、奥さんと子供たちとのマイホームを人間に侵略されて困っていたところを助けた彼だ。もともと頼りなげな印象があったが、自分の半分ほどしか背丈のない縁に引きずられている今の姿はさらに弱々しい。力なくもがいている彼を縁はペッと吐き出して、住人がぐるりと取り囲む円の中に放り込んだ。ひいっと裏返った声が床で発せられる。

「さて、なんでここに連れてこられたか、分かるよな?」

 雪那がしゃがみながら、天使の笑顔をネズミに向けて問う。恐る恐る顔を上げたネズミは、この状況で生み出されたその美しい顔に怯えて、ガタガタと震えた。

「分からんのです、本当でさぁ。勘弁してくだせぇ、旦那」

「自供したほうが身のためだぞ」

「本当に、本当でさぁ。ワシはなんも……」

「これ、どこで手に入れた?」

 同じ言葉を繰り返すネズミに雪那が質問を変えて差し出したのは、トゲトゲがついた小さな石。私達が報酬としてこのネズミからもらった「竜の心臓」だ。確かとても珍しくて、長く生きてきた雪那も初めて見たと言っていた。それを視認したネズミはほんの一瞬ギクリとたじろいだが、すぐに独特の口調で再び言葉を発する。

「そ、それは親父の遺品にってぇ、お話したじゃないですか」

「本当に?」

「本当でさぁ」

 プルプル震えて涙目で訴えるネズミ。彼を責め立てるのには、きちんと理由があった。




 昔、同じようなことがあった。

 そう言った蓮太郎は、ぽつりぽつりと「既に入り込んでいる」事例を話す。

「……ここと同じように、結界を張った屋敷内で攻撃を受けるようになった。初めはいつの間にか花瓶が割れていたり、椅子が倒れたり、小さなものだったが、そのうち招かるざる者たちも入り込んでくるようになって……最終的に一人死んだ」

 愁いを帯びた横顔は多くの女性が息をのむだろう。暗い事象を語る今の蓮太郎は、ぞくぞくするほど仄暗い色香がある。しかし私は、表情は変わらないまま少しためらった後、重苦しく告げられたその言葉に恐怖した。人間がやってきたり、花が咲いたりしているだけの今の状況から、死人が出るまで悪化するのだと想像すると無意識に震える。怪現象は別に怖くない。ただこの中の誰かを失うことが怖い。

「………原因は、その死んだやつが受け取ったプレゼントだった。仕掛けがあると知らずに屋敷の外で受け取って、持ち込んだ。認証された人物が任意で持ち込むものに、結界は反応しない。おそらく、ここもそうだろう」

 結界がスルーする、つまり私たちが望んで持ち込むものは、例え人間だろうと悪意があろうと一緒に入り込める。透も襲撃を受けた日に風呂に入って手当てをして、夕飯まで食べていったし、それ以前も私は優美をこの家に招待したことがある。加えて仕事の報酬にもらう物の中には危険物も少なからずあるから、理屈としてその話は理解できた。ただ、今までこのような事態になったことはない。その疑問を口にすると、「……推測だが」という前置きから蓮太郎が説明を続ける。

「……その時は、その死んだやつがピンポイントで狙われていた。今回も不特定多数ではなく、俺たちを狙って仕掛けてきたのだとしたら、その分、力が集中して襲ってきているのかもしれない」

 普段手にする報酬は周りのものを呪う。今回、手にしたかもしれない報酬は私たちを呪う。それが今までなかったこの事態を引き起こした原因だとすれば、一応の納得はできる。しかし、問題はいつ、どこで、誰が、そして「何が」ということだ。

「だとしたら、怪しいのはアレかな」

 黙って話を聞いていた雪那が口をはさんだ。

「問題が起き始めた時にもらった報酬。あんな珍しいものを、そこら辺のネズミが持っているのはやっぱり不自然だ」




 簡単に調べられるから、と雪那が茶色の皮が張られた小箱にトゲトゲの石を放り込むと、女の金切り声が家中に響く。聴覚に優れる私は危うく失神しかけたが、何とか意識を保って様子を見守った。やがて箱からもくもくと黒い影があふれ出してきて、4面の顔を持つ女になる。裂けるのではないかというほど口を大きく開け、仇を見つけた時のように目を吊り上げた、すさまじい形相の女。4面それぞれで、今はいない縁以外の住人を睨み付けた。

「攻撃対象を見るんだ。特に目標がいない場合は上を向く。本当は呪われている人物を特定するための道具なんだけど」

 金切り声が収まった部屋で、雪那が説明する。彼はいくつ秘密道具を持っているんだろうと、私は不謹慎にも青くて丸いロボットを思い浮かべた。もちろん表情には出さなかったが。

「蓮太郎の推測は、ビンゴだな」

 そう結論付けた雪那の言葉を合図に、私たちはネズミを探し出し、今に至る。だが彼は案外しぶとく否定し続けるので、私はキッチンからリンゴを持ってきた。

「ネズミさん、これ、あなたの頭ね」

 私はそう言って目の前にリンゴを差し出し、そのまま片手でバキゴシャァと勢いよく握りつぶした。果汁が飛び散ってネズミの顔を濡らす。明らかに血の気の引いた顔で、ネズミはそれを拭うこともせず呆然としていた。言っておくが、これは事前に「喋らなかったらリンゴでも潰しておけ」と大人たちに言われたが故の行動であって、決して私がサイコパスなわけはない。それに純子が畳みかける。

「奥さんとお子さん、可愛いですね」

 彼女が差し出した手鏡に映っているのは、巨大なネズミと小さなネズミが数匹。みんなニコニコして、小さなネズミは床を駆け回って楽しそうだ。

「よ、嫁と子供たちだけは……!」

「じゃあ話していただけますね?」

「ネズミさんが嘘ついてるの、匂いで分かるよ」

 女二人にも笑顔で詰め寄られて、ネズミはここまでかと諦めたようだ。俯いて、何度か口をもごもごさせた後、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「そ、その石は、貰ったんでさぁ、知らない人間に。ワシら、本当に人間に困ってて、あんたたちに依頼したかったけど、報酬になるようなもん、なんも持ってなくて、困ってたらいきなり、でかい人間が家に来て、これを使えばいいって言うもんだから……」

 歯切れ悪く伝えられた内容に、私たちは顔を見合わせる。でかい人間? なぜ人間が。

「それ本当に人間?」

 私が聞くと、ネズミは口をへの字にして首をかしげる。

「形は、人間だったんでさぁ。一瞬でいなくなっちまったし、ちゃんと確認できたわけじゃねえけど」

 形は人間なんて魔物は珍しくない。現に私たちは縁を除いて皆、形は人間と一緒だ。

「そりゃぁ、人間ではないだろうなぁ」

 ふりふりと二股のしっぽを振って、縁が言う。

「気配で分からんもんかねぇ、ネズミの旦那」

 にゃっと牙を見せる縁に怯えたネズミがぶんぶんと首を振る。

「け、気配はそもそも、感じなかったんでさぁ。だからワシ、びっくりして……」

「気配がない人間なんてぇ、そうそういないからなぁ。よっぽどの〝勇者”でもない限り……」

 そこで縁は不自然に言葉を途切る。勇者というのは私たちが皮肉を込めて呼ぶ、魔物に害をなす力のある人間のことだ。彼らは積極的に私たちを排除しようとするから、始末が悪い。だがそんな人間に私は会ったことがない。仕事の対象となるのは大体、私たちに指一本触れられずに散っていく人間ばかりだ。

「ふむ。そういうことかぁ?」

「どういうこと?」

 縁が一人納得するので、私は説明を求める。

「だから、勇者が絡んでんのかってぇことだ」

「え、それって、ヤバい?」

「ヤバいなぁ」

 あくまで絡んでたらってぇ話だけどな、と縁は付け足したが、私は今までにない事態に発展しつつあることに、胸騒ぎを抑えられなかった。

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