第10話 バラ園

 透の祖父の家は、うちほどではないが大きいアンティーク調のお屋敷だった。だが入口に立っただけではバラ園は見当たらない。透に聞くとバラは裏庭にあるらしい。中に入らなければ見られないということだったが、代わりに私たちはオレンジのふさふさを見つけた。

「あれ、縁」

「よーぅ、お二人さん」

 正門近くの塀の上に、ご機嫌な顔をした縁が伏せている。私たちを見つけると立ち上がって伸びをした。

「どうしたの、こんな所で」

「あん? 調査に決まってんじゃねぇか。おめぇ今朝、ここに来るってぇ言ってたろ。一人にすんのはちぃっと心配だしよ、お守のついでに見とくんだ」

「お守って………」

「ガキが二匹にしか見えねぇからなぁ」

 縁はそう言ってにいっと笑う。確かに着物が普段着の時代から生きていたら高校生など子供だろうが、私は頬を膨らませて少し反抗してみせた。

「猫ちゃんが一匹でも心配だと思いまーす」

「はっはっは、化け猫甘く見てっと化けて出んぞ」

 おどけて言った縁に私は笑ったが、後ろで「化け猫……」と呟く透に気付いて、そういえば彼は洋館で縁に怯えていたなと思い出す。怖いイメージを払拭するためにもきちんと紹介しておいたほうが良いかと思い、私は縁をびしっと指さした。

「高橋くん、これ縁ね。喋るけどふわふわで可愛い猫ちゃんだよ」

「どぉーも、猫ちゃんでーす」

 縁も愉快そうに合わせてくれたが、透は引きつった笑顔で「どうも……」と返すだけで、私はダメだったかと失敗を悟る。まぁいいか、じきに慣れるだろう。

「ところでこの門は開くの?」

 私は目の前にある門をガチャガチャやってみたが、当然のように鍵がかかっていた。

「あ、鍵は親父が持ってるんだ」

 透は持って来たほうが良かったかと慌てたようだが、それなら飛び越えるだけなので全く問題はない。私は「とうっ」と掛け声をつけて縁と並ぶように塀の上へと飛び乗った。

「高橋くん、登れる? また持ち上げようか」

 私が塀の上から透に尋ねると、急な行動に驚いていた彼は少しムッとした表情になって「これくらい登れる」と返した。あ、プライド傷つけたかなと私は反省する。確かに透は並みの身長はあるし、これくらいならよじ登れるだろう。透が塀の上に手をかけたので私は黙って見守ることにした。もたもた感は否めなかったが、彼はちゃんと登ってきて上で一息つく。大丈夫そうなので私はひょいっと先に降りた。

「きっとドアも開いてないよね。どっか入れるところがないか見てくるよ」

 私は返事も聞かずに男性陣を置いて駆けていった。




 二階の小さな窓が施錠されていなかったので、私は体をねじ込んで侵入し、階下に降りてドアの鍵を開ける。待っていた縁と透を招き入れた。これが出来なかったらドアを蹴破ろうかと思っていたので無事に済んでよかった。

 屋内は埃が溜まっているものの、その調度品たちはつい最近まできっちりと整えられていたことが分かる佇まいをしていた。ごちゃごちゃしたところは一切なく、まるで家の設計に組み込まれていたかのように皆すっきりと収まっている。毎日几帳面にお手入れをしていたんだろうなと家主の人柄が知れた。それらを眺めながら、透の案内でどんどん奥へと進む。ある一室に辿り着き、中に入ると正面の壁が全部ガラス張りになっているのが目に飛び込んできた。そして、その先にある鮮やかな赤と緑も。

「うわー、すっごくキレイ! これがバラだよね?」

 私は駆け寄りたい気持ちを押さえながら透に聞く。透はガラスの扉の鍵を外しながらそうだと返した。

「バラ園に面している部屋の壁は全部ガラス張りになっているんだ。いつでも庭の様子が見れるようにって」

 そうしてガラスの扉から庭に出た私は思わず感嘆の声を漏らした。まるでここだけメルヘンの世界だ。バラによって生垣ができており、それが道を形作っている。うちの庭も生け垣で迷路のようになっているが高さは私の腰くらいで、いま目の前にあるのは人の背丈ほどもあるそれだ。バラってこんなに大きくなるものなのかと疑問に思ったが、バラの道を進んで行くと背の低い花も飾りのように植えられている。種類や育て方で違ってくるのかもしれない。部屋から見た時は赤いバラしか見えなかったが、白やピンク、黄色なども奥に進むと見えてきた。さらにバラのアーチをくぐると、水こそ出ていないが噴水まで設置されている。

「すごい、本当にすごい。ねぇ縁、うちも噴水置こっか」

「水出してどうすんだよ。俺ぁ濡れんのはごめんだ」

 羨ましさから縁に提案してみたが、猫らしい理由で却下されてしまった。まあ、噴水を置いたからといってこの庭に近づけるとは思えないが。

「ねぇ高橋くん、この庭ってどのくらいの広さなの?」

 少し歩いたが、未だに庭の終わりを告げる塀は見えてこない。迷路のようだからもしかしてぐるぐる回っているのではないかと気になって聞いてみた。

「確か、この家と同じくらいだって聞いた気がする」

「そんなに? ずいぶん広いんだね」

 ということは、もっと広いお屋敷にできるところを庭のために削ったのだろうか。もったいない気もするが、透のお祖父さんがそれほどまでに庭を愛していたということだろう。

「こんな広い所からバラの種って探せるのかな」

「そもそもバラの種ってぇのがどんなものかも知らねぇしな」

「そういえばそうだね」

 肝心なことを知らなかったと気づいたが、透が一度見たことがあるというので胸をなで下ろす。手伝うと言ったのに今のところ鍵を開けるという泥棒のようなことしか役に立っていない気がする。

「庭の端にじいちゃんの作業小屋があったはずなんだ。もしかしてそこにあるんじゃないかと思うんだけど……」

 しかも在りかの目星までついているなんて、いよいよ私は要らないんじゃないかと思えてきたが、分かっている人が動けばいいのだと思い直しておとなしく付いていくことにした。そのうち拳を使う場面に出くわすかもしれないし、その時に役立とう。

 そのうち、小屋というには綺麗な、六畳間がひとつ入るくらいのこじんまりとした家が見えてきた。そこのドアには施錠がされておらず、多少軋んだ音をさせながらもすんなり開く。中には簡素な椅子と机がひとつずつと、袋に入った土やスコップ、鉢や何が入っているか分からない袋と引き出しが無数に並んでいた。

「あー、確かにありそうだけど、見つけ出すのは果てしなさそう」

 私が苦笑いしながらそう言うと、透が申し訳なさそうな顔で俯いたので私は慌てて言葉を続ける。

「私、体力には自信あるから何時間でも探し続けられるよ。でも、すぐに見つける必要はないからさ、とりあえず一時間探してなかったらまた明日にしよ」

 ね? と透を窺うと、それに対して是と返事が返ってきたので私は安心した。

「よーし、じゃあ俺は下のほうを探すからよぉ、おめぇら上のほう探せや」

 縁が微妙に楽なほうの選択をして、私たちは種探しを開始する。しかし、結果から言えば一時間たってもバラの種は見つからなかった。種のようなものを見つけるとすぐに透に見せに行ったのだが全て別物で、なぜバラの種だけないんだと憤り始めたところで一時間が経過してしまう。私たちは無言で顔を見合わせてから、帰ろうかと結論を出した。

 私は集中していたから一時間でも結構疲れたなとひとつ息をついた。気づくと窓の外も日暮れが近くなっている。少し急がないと真っ暗になってしまうなと思ったその時。

 窓の外に女がいた。こっちを見ている。

 私は驚いて一瞬息を止めたが、その短い間に女の姿は消えていた。空気が突然盛り上がって形を作ったような透明な姿だったので気のせいかとも思ったが、あの一瞬、周囲の空気がわずかに匂いを変えたのを私は感じた。何かそういった現象が起こるとき、その周りでは音なり匂いなりが変化する。私ぐらいしか気づかない僅かな差だが、さっきの一瞬には確かにそれがあった。

「縁、なんかいた。窓の外」

 静かに言った私に縁はいつも笑っているような顔を僅かに険しくし、透は緊張したように動きを止めた。縁が無言で踵を返し、飛び上がって器用にドアノブを回して外に出る。私は透を庇うように前に出つつ、窓から外の様子を窺った。しばらくして外から縁の声が聞こえる。

「なんもいねぇ。だが妙なもんはある」

 来てみろと言われたので私は透を伴って外に出た。先ほどの窓の近くに行くと縁が背を向けて座っている。

「さっきはこんなもん無かったんだがなぁ」

 そう言った縁の視線の先を追うと、地面に三本のバラが生えていた。

 その三本とも、花の色は青だった。

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