第一章⑦
そんな疑問が頭の中を駆け巡る中、突如、陽琳の足元の地面から、ずぼっ! と大きな音を立てて、何かが飛び出してきた。
否、地面から何かが生え、それに陽琳の足首が固定される。
「……?」
その氷のように冷たい感触に、おそるおそる足元を見ると、そこには─
──白く細い、人の『手』があった。
「~~~~~~~~~~!」
陽琳は声にならない悲鳴をあげ、硬直した。
状況を整理するべく心を落ち着かせようとするも、頭がうまく回らない。
とりあえず、今の陽琳にとって、できることは一つだった。
「で、で、で……出たあああああああ!!」
震える喉からようやく悲鳴を絞り出し、足首を摑んでいる謎の『手』を振り払うと、這うようにして穴から一目散に逃げ出して、紫晃の元へと駆け寄った。
「陽琳様、どうなさいました?」
「あ、あれ! あれよ、あれ!」
陽琳が指さす方向に紫晃が視線を向けると、白い人影が地面から這い上がるように、ゆっくりと上半身を現していた。
よく見ると、それは柳眉の整った線の細い美しい女性だ。
しかし、長くだらりと垂らされた黒髪を振り乱し、ゆっくりと血の気の引いた白い手を差し伸ばす姿は、どう見ても……
「まさか……屍? ですが、なぜ埋められていたはずの屍が動いて……」
陽琳の心を代弁するかのように呟いた紫晃が、呆気にとられたように目を丸くする。
紫晃の言葉を引き金に、陽琳の頭の中で以前読んだことがある妖怪目録が展開し、目の前に現れた不気味極まりない存在の特徴と合致するものを発見する。
だが、そうして得た一つの解答に、陽琳は瞳を大きく開いて思わず声を上げた。
「屍……動く屍……まさか『死鬼』!?」
その言葉に、紫晃が軽く眉間に皺を寄せた。
「それはもしや、先程陽琳様が例に挙げられていた妖怪ですか……?」
「た、多分……」
「怪しげな書物や変な形をした石ならともかく、なんというものを掘り返しているのですか!」
「わ、私だって知らないわよ! まさかこんなものが、こんな所に埋まってるなんて……!」
そうこうしているうちに、地面からすっかり姿を現した死鬼は、顔面蒼白になった陽琳へ向かって、喉の奥から響かせているかのような奇妙な声を絞り出してきた。
『こ、ろ、し、て……や……る』
「ひいいいいいいいいいいい!」
憎悪に満ちた真っ赤な瞳で睨まれ、陽琳は震えあがった。
「ま、待って、話せばわかるわ! 貴女に殺される理由は私にはないんだから!」
「陽琳様、相手に話し合う理性などありませんよ。早くお逃げください!」
そんなことを言い合っている間に、死鬼はまるで野獣のように咆哮し、とんでもない跳躍力で飛びかかってきた。
「い、いやあああああああああ!!」
反射的に悲鳴をあげ、全速力で逃げ出そうと踵を返す。
だが陽琳は所詮、体力、持久力共に難ありの引きこもり娘だ。
「あっ」
案の定、駆け出そうとした瞬間に足がもつれ、地面に倒れ込む。
背後に死鬼が迫ってくるのがわかる。陽琳は恐怖に顔をひきつらせて振り向いた。
『があああああああ!』
咆哮をあげながら、死鬼が飛びかかってくるのが妙にゆっくり見えた。
(ああ、こんな時って、何も浮かばないものなのね)
真っ白になった頭の中で衝撃と死を覚悟し、陽琳はぎゅっと目を瞑る。
「陽琳様!」
紫晃の声と同時に、金属の擦れる音がした。
なかなか来ない痛みや衝撃に、陽琳がおそるおそる目を開くと、そこには、陽琳を庇うようにして立ちはだかり、短刀で死鬼の爪をはじき返す紫晃の姿があった。
「何者かは知りませんが……陽琳様にそれ以上手出しはさせませんよ」
飛び離れた死鬼が長く伸びた爪を振りかざして再度襲いかかってくる。
だが紫晃は、袖の中に隠していた鏢付きの鎖を素早い動きで放ち、死鬼を縛り上げた。
『ころ、す……! ころすううう……!』
鎖によって身体を拘束されながら、死鬼は尚も暴れている。
「し、紫晃……!」
「悠長になさっている場合ではありません。この理性を失った妖怪を、何とかする手段はないのですか?」
この凶暴な妖怪が本当に、死して尚も起き上がってくる「生ける屍」であるならば、普通に撃退することは不可能だろう。
「えっ? そ、そうね……これが本当に文献通りの『死鬼』なら、制御するための札があれば、何とか抑え込めるはずなんだけど……」
「陽琳様がいつも練習なさっている呪符の中に、そういったものはないのですか?」
「探してみるわ!」
紫晃の言葉を汲んだ陽琳は頷き、先程驚きのあまり取り落としてしまった豆本の元へと慌てて駆け寄ると、手早く頁を捲る。
(死鬼を制御する方法……呪符……えーっと、どこかに書いてあったはず……!)
様々な文様や文言が目に飛び込んでくる中、そのうちの一つが目に留まり、陽琳は食い入るように覗き込んだ。
(これだわ……!)
確信とともに懐から無地紙を取り出す。
慣れた手つきで紙に文言を描くと、完成させた呪符を掲げて陽琳は高らかに叫んだ。
「蔡陽琳の名において命ずる……汝の理性を取り戻せ!『制』!!」
呪文を唱え、縛られたままの死鬼の額にぴしりと貼りつけた。すると─
『ぐああ……ああ……あ…………』
何がどのように作用したのかはわからない。だが、死鬼は喉の奥から絞り出すような苦し気な声を上げると、やがてぴたりと動きを止めて、そのままがくりと項垂れた。
「き、効いたの……?」
「状況から判断するとそのようですが……」
紫晃は短刀を懐へとしまい、僅かに肩の力を抜くと陽琳を振り返った。
「……そもそもこの死鬼は、一体何なのですか?」
紫晃は怪訝そうな表情のまま、倒れ伏した死鬼を指さした。
「陽琳様の呪文によって、この場に埋まっていた屍が、死鬼として蘇ったのでしょうか?」
「うーん。状況的には、そう見えなくもないけど……」
屍から死鬼を作り出すなどという大それたことを陽琳ができるはずがない。
見様見真似をしているうちにふと成功したり、いつか本物の仙人が現れて、努力を認められて弟子にしてもらえたりしないかな……と、期待しているくらいのものだ。
「我ながら悲しいけど、それはあり得ないわ……」
「では、元々ここに埋まっていた死鬼が、陽琳様が何となく唱えた呪文をきっかけに目を覚ましてしまった─と考える方が妥当ということでしょうか?」
「そうね。それが自然だけど……」
なぜ先程の呪文で起き上がったのか、いまいち釈然としない。
陽琳が唱えた呪文は、「動かざるものを動かし、眠りし力を呼び起こす」という内容のものだ。
(あの呪文が死鬼を呼び起こすきっかけになっちゃったということ……?)
陽琳は倒れ伏したままの死鬼に、おそるおそる近寄り、そっと顔を覗き込んだ。
貼られた札の隙間から見える女性の顔は、土にまみれて汚れているものの、どこか気品漂う容貌をしている。
すると突然、死鬼の目が見開かれ、瞬きをした。
思わず「ぎゃっ」と叫んで飛びのいた陽琳を、紫晃が反射的に後ろへと庇った。
死鬼はゆっくりと頭をもたげ──
「……何ですの? ここはどこなの? わたくしはどうしてこんなところにいますの?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます