第一章 まだキスも知らず②
「――もう、誰よ。私に〈飴色の賢者〉なんて妙なあだ名を付けたのは。いつか絶対見つけ出して、訴えてやるわ」
賢者会を終えて〈白の間〉を出たリーデリアは、兄である王太子の部屋に向かって歩きながらコツコツと靴音を鳴らした。
昼食時で近くに人気はないから、これくらいはいいだろう。
リディは回廊の窓に映り込んだ自分の髪色を、忌々しげに睨みつける。
受け取った議事録を手に、リディの斜め後ろに付き従いながら、侍女のシアラが困ったように苦笑いをした。
幾重にも編み上げて多少目立たなくなっているものの、窓から射し込む春の陽光を浴びて、リディの飴色の髪がまるで本物の飴のように繊細にきらめく。
きゅっと結ばれた小振りで柔らかい唇。
透明感のある、抜けるような白い肌。
年頃になって女性らしさが出てきた華奢な体は、抱き締めると壊れてしまいそうに儚い。
「そうおっしゃらずに、リディ様。亡き王妃様譲りの飴色の髪を称えたくなる気持ちは、毎日編んでいる私にもわかりますもの。仕方ありませんわ」
「私だって賢者と呼ばれるのは光栄だわ。でも……〈飴色の〉が付くと、どうしても素直に喜べないのよ」
――国随一の魔法士と呼ばれたお母様と同じように、魔法が使えれば気にならないのだけど。
尊敬とも侮りともとれる呼称に、ガラスの中のリディは眉間に皺を寄せる。
生まれつき、魔力の量が少なかった。
というより、自分の体内に魔力があるかどうかすら、感じ取ることができない。
総量が少なすぎて、魔力を感じ取る能力が発達しなかったのか。
はたまた生まれつき、能力に欠如があるのか、原因ははっきりしなかった。
けれど、どんな理由であろうとも魔力が感じ取れなければ魔法は使えない。
それでも、いつか魔法が使えるようになるのではないか。
淡い期待を抱いて、リディは幼い頃から血の滲むような努力を重ねてきた。
異母弟妹である他の王子や王女が遊んでいる間も魔法理論の勉強に励み、専門家にも何度も相談した。
そうして一年が過ぎ二年が過ぎ――気づけば十二歳になる頃には、自分がその専門家の仲間入りをしていた。
けれど、ライオールの魔法研究における最高機関〈賢者会〉に最年少の十六歳で所属した今でも、リディが魔法を使えない状況は変わらない。
数多くの魔法を改良し、魔法士に助言を求められるような立場にまで上り詰めたところで、知識と才能は別物だと思い知らされただけだった。
――魔法が使えない賢者なんて冗談にもならないわ。
長年の怨念を込めたため息が、ついリディの口から漏れる。
もう七年の付き合いになるシアラは、何度となく聞いたぼやきに、実の姉のように冷静に返した。
「リディ様にも、確かに魔力はあるんですよ? その、ほんの少しですけど」
「どうせなんとか一回、爪の先に火を灯すくらいのものでしょう?」
「そんなことありません! 二回はできます。三回やったら魔力を使い切って……死んでしまうかもしれませんけど」
これが厳しい現実だ。
「時々、お兄様が恨めしくなるわ……」
第一王子で王太子でもある兄のレオンは、魔法士として国内で五本の指に入る実力の持ち主だ。
能力の高さに加えて苛烈な性格から、〈紅焔の王子〉と二つ名を付けられ、国内外で恐れられている。
幼い頃は誰に習ったわけでもないのに、無意識に魔法で火を起こしては周囲の物を燃やして、よく侍従やメイドを困らせていた。
対して、リディには才能が全くない――それはもう、綺麗さっぱりと。
「私にもお兄様の半分、いえせめて十分の一でも魔力があれば……」
「レオン様は百年に一人の逸材と名高いお方ですから、比べるのは分が悪すぎるというものですわ。それに、リディ様は魔法理論の天才、特に紋様の分析に関しては、右に出る者のいない専門家として、国に十分貢献していらっしゃいます」
「でも……私は戦争が起きても戦えないから」
講和を結び戦争を終えたといっても、ライオールとヴィロンの溝は、この二十年で少しも埋まっていない。
今は両国とも王の代替わりが近いこともあり内政で手いっぱいだが、それが終わればまた戦争をしないとも限らない。
そうなれば、高い魔法の才能を持っている王族は、その先頭に立って戦うことになる。
――ヴィロンの事情はほとんど聞こえてこないけれど、王子三人が跡継ぎを争っていると聞くし、
「リーデリア王女!」
渡り終えた回廊の向こうから呼ぶ声がして、リディは足を止めた。
表情を引き締めて、外向きのものに切り替える。
賢者らしく王女らしくと自分に言い聞かせながら、隙を見せないように冷然と振り返った。
大して年の違わない、気弱そうな青年が息を切らせて駆け寄ってくる。
正規の魔法士である証の白いローブが目に眩しい。
その姿を見ただけで、リディは彼が声を掛けてきた理由にすぐ察しがついた。
「あの、リーデリア王女にこれを……」
予想通り、青年は申し訳なさそうに目を逸らしながら、おずおずと紙を差し出してくる。
洒落た手紙などには使わない、宮廷のごく一般的な羊皮紙だった。
「また研究協力の依頼ですか!?」
横にいたシアラが息巻く。その勢いに気圧されて、魔法士の青年はさらに頭を低くした。
「申し訳ありません! 上司の主任担当者がどうしても頼んでこいというので……」
「構わないわ。ただ他の依頼も受けているから――そうね。期日は中身を見てから、明日にでも相談しましょう。それでいいかしら?」
「はっ、はい。ありがとうございます!」
優しく声を掛けると、彼はほっとしたように表情を崩した。
何度も頭を下げながら羊皮紙をリディに手渡して、宮殿の奥にある王宮書庫の方へと走り去っていく。
「全く。リディ様に頼り切りだなんて、宮廷の魔法士として恥ずかしくないのでしょうか」
「まあいいじゃない。恋文よりもよっぽどいいわ」
歩きながらでは行儀が悪いと思いながらも、受け取った紙面にリディは早速目を通す。
「今回は、どのような依頼なのですか?」
「大型魔法研究への協力ね。個人の持つ魔力の量を越えた、巨大な魔法を使う方法を編み出したいんですって」
「そんなことが可能なのでしょうか?」
「大型魔法については、戦争時代に多額の予算と人材をかけて研究し尽くされたわ。最終的に、二人で一つの魔法を組む方法が有力視されたのだけど、それでも成功例はないの」
リディは記憶から、過去に読んだ関連文献を引っ張りだす。
「できる限り少ない魔力で大きな効果を発揮できるよう、魔法自体を効率化すべきなのよ。人が持ちえる魔力の量なんて――増やせないのだし」
自分の雀の涙ほどの魔力量を思い出して、思わず厳しい語調になる。
「それより、急ぎましょう。もうすぐ約束の時間だわ」
リディはシアラに紙を預けて、誰とすれ違っても品位を失しない程度に足を速めた。
昨日、予定が空いたからと、久し振りにレオンから昼食に誘われたのだ。
自分とは比較にならないほど忙しい兄が時間を作ってくれたのに、待たせるなんて申し訳ない。
三年前に王太子になってから、レオンの多忙さには拍車がかかっており、落ち着いて話しができるのは月に一度もなかった。
「少しはお兄様の気晴らしになればいいけど」
「きっと大層お喜びになります。お誘いにいらした時も、本当に嬉しそうでしたもの。リディ様がお好きなプラムのタルトを準備しておくとおっしゃっていましたわ」
「まあ、それは楽しそう。急いで行って差し上げなくてはね、お姉さま」
軽やかな声に会話を遮られて、リディは歩みを止めた。
白地に金の刺繍が入った扇が、眼前でぱちりと音を立てて閉じられる。
綺麗に切り揃えられた前髪の下からこちらを見上げる、勝気な猫のような瞳と目が合った。
リディは、思わず天を仰ぎそうになる。
――今日は悪日かもしれないわ。
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