人外男と検体女子高生
スド
人間との接し方
13月4日
本日より、対象の監視を始める。人外と人間で揺れ動いている状況の為、小さな経過も記録する必要があると思い、日記を付ける。
年齢は人間で言う十七歳、人間で言う成人までの数歩手前という、ある意味では不安定な時期だ。注意して見守ることにする。
13月5日
予想は的中した。早速脱走しようとした形跡が見られる。
引き続き、監視を続ける。
13月6日
言語が互いに違う為、私の言葉は通じない。その為、ジェスチャーで何とか会話の代わりをしている。何となくだが、私の動作で何を意味しているのか理解しているようだ。
彼女自体の変化については、髪色が少し薄くなった程度だ。
13月8日
諦めたかと思っていたが、どうやらそういう訳でも無いらしい。本日脱走しようとした形跡有り。ただ家中の窓や戸の錠に合う鍵は私が持っているので、当然脱走は出来ない。窓を割ろうとした形跡もあったが、そういった物は人間程度の力では壊れもしないのが此方の常識だ。
明日も脱走する可能性があると思われる為、注意して監視を続ける。
13月11日
彼女が此方の世界に来てから一週間が経過した。家での過ごし方はあまり変わらない。いつも上の空で、何も言わない。人間らしい反応を示してくれるのは食事の時、風呂の時。怯えている訳では無いらしいが、基本、眼は合わせない。
諦めがついたのか、今日は脱走する気配は無かった。
13月12日
変化、大して無し。
13月14日
洗濯しているとはいえ、流石に二着しかない服を着まわさせるのは酷だと思い、外出時の行動も確かめるべく、適当な服を買ってみた。しかし、あまり興味を示さない。そういったものに対する執着は、そこまで強くないようだ。
今度、人間の玩具に近い物を仕入れ、渡してみることを検討する。日長家に籠っているというのは、流石に酷だろう。
13月17日
彼女の趣味らしきものを見つけた。どうやら小動物好きらしく、チワワ型のケルベロスに興味を示す。だが、人間にとって異常に映るであろう三首の犬を怖がらない。私の容姿の問題なのかも知らないが、我々に対し、恐怖という感情は薄いように見える。神経が図太い、もしくは精神に少し異変があるのかもしれない。一括りにただの人間、とは考えない方が良いだろう。
髪、そして肌の色素が少し薄くなり始めた。変化の兆候が表れ始めている。
13月34日
もう少しで一か月が経過する。対象に、全体の色素が薄くなってきていること以外、大きな変化は無し。引き続き監視を
『―――監視を、続ける、と……よし』
本日分の日記を書き終え、一息つく――――同時に、物思いに耽る。
『…そうか、一か月か』
長命であるが為、時間にそこまで執着の無い我々人外だが、彼女にとって一か月とはそこそこに長いのだろう。まだ思考が人間寄りの少女だ。
日記の日付を見れば、既に一か月の44日目まで、後少しだ。脳髄は大きな変化を記録していないが、この紙を見れば、中々な成長の兆しを確認出来る。監視日記とはいえ、日記を付けておいて良かったと改めて感じる。
『……ふむ』
キャスター椅子ごと体を動かし、ソファの監視対象の方を向く。やはり小動物好きなのか、犬・猫と言った動物が載っている図鑑を捲っている。何が面白いのかは、私には分からない。それでも、彼女にとってはとても興味を引かれる対象なのだろう。なら、余計な口出しする必要は無い。
風呂上がりの彼女は少し赤い顔をしているものの、他の人間に比べれば、とても肌の色が薄い。…元々白かった肌は、最近さらにその色を増している。最早、病的ともいえる色だ。
本人は気付いていないのかもしれない。彼女は見た目は変わらずとも、身体の半分は既に人外と化している。顔の色が薄いのも、そのせいだ。
本当は心臓部や腹部と言った箇所にも変化が無いか確かめておきたいが、モラル的な部分がある。取りあえず明らかな異常事態でも発生しない限り、大丈夫だとは思うが―――――
『…君も大変だね』
彼女と目が合う―――が、直ぐに逸らされた。相変わらず感情変化が乏しい検体だ。
彼女との出会いは、酷く唐突なものだった。
ある日、唐突に上司に呼び出され、会議室に迎えば、そこには上司の隣に首輪で繋がれた人間が居た。服も少し汚れ、髪も碌に整えられていない姿は、まるでペットか奴隷のように見えた。―――これが初対面。
まさか私の上司にはそういう嗜好があるのか、と思わざるを得ない状況だったが、どうやら顔から察したらしく、直ぐに違うと否定された。兎に角掛けろ、と言うので椅子に掛けたものの、真正面の上司、さらに暗い瞳の少女の目線が当たり、妙に落ち着かなかったことを覚えている。
余計なことは全て省かれ、いきなり内容について話されたが―――大体の要領は掴めた。
まず、人間も此方側の世界に引き込めないかと言う実験の結果、"久々"に人外と人間の細胞結合が上手く行った検体が出来たので、私にその面倒を任せたいとのことだった。本来は上司が知り合いから頼まれたものらしいが、個人的な事情で難しい。なので他の人外に任せたいのだが、貴重な検体である以上、任せるには信用が必要不可欠。
だから、部下の中でも信用でき、差別主義者では無いお前にしか頼めない云々と言っていたが、要するに「俺やりたかないからお前やって」と言うことだ。…厄介払い、という奴だ。
正直人間の世話など最初は断りたかったが、正当な理由が無い以上、拒否は出来ない。それが上下関係というものだ。こればかりは人外社会も人間社会も変わらないだろう。
引き受けてくれれば報酬は特別に払うと言われたが、どの道ヒラが上司の命を断るなど出来ない為、素直にハイハイと引き受けてしまった。
世話をする期限を聞いてみたが、そもそも人外になってくれたらそれはそれでオーライなんだ、と返された。…つまる所、人外に変化するまで世話しなさい、という意味だと要約した。
…もし長時間、人間のまま一切の変化が無ければ――――どうなるのか。それは、察しの通りだ。必要の無い検体は、廃棄処分が当然の措置だろう。
今日は帰って準備してやれ、と言い放ち、上司は早足に会議室を去ってしまった。まだ聞きたいことは多々あるのだが、呼び止める暇も無かった。それ程、厄介に感じているらしかった。
残ったのは、私、それと検体である少女、つまり一体と一人。 ―――酷く気まずい空気が、会議室に流れていたと記憶している。
『…よろしくね』
建前上、挨拶から入ると、ゆっくり俯いていた顔を上げてくれた。…彼女の酷く暗い眼は、特に印象的だった。
――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――
「―――で、最近どうなんよ」
蝋燭の炎をなびかせながら、友人が言う。上を向いたせいで後ろを通った客に炎が乗り移り、情けない悲鳴が上がる。
友人は胴体は人間と同じ、顔全体が蝋燭で出来た人外だ。人間からしたら奇妙な外見も、此方では特に珍しくない。そもそも人型ですらない者も居るのが、この世界の常識なのだ。
「あ、悪い……で?どうなの?」
背後の客に軽く謝ったかと思いきや、直ぐに話を戻して来る。しつこい友人だ。
コップをカウンターに置く。仕事帰り、珍しく奢りだと言って店にこうして入ったものの、やはり裏があった。…仕方が無いのかもしれない。人間は、注目を浴び易い存在なのだから。
会社の同僚だが、この人外とは昔からの付き合いだ。彼此、もう百年以上になるだろうか。互いの関係は腐れ縁、というものに近いのだろう。その為か、発言や詮索には遠慮が無い。…お互い様ではあるが。
『どうもこうも…監視員としての役割は果たしているつもりだ。何も無い時は何も、何かあれば、何かを日記に書く。それだけだ』
問いをかわすことも出来ず、素直に答えを返す。本来は他言無用なのだが、他言してはいけない程、重大な機密という訳では無い。昔から人外と人間に関する研究は進められてきたのだから。
大方、彼女もあまり良い環境で育てられなかったのだろう。人外は、そういう人間を拾い、こうして此方で使うのだ。あまり理解はされないが、必要が無いであろう人間は、別にどう使おうと人間側に影響は無い。それが、大半の人外の思想だ。
「………」
『……どうした』
返答を返したというのに無言の友人に声を掛ける。―――コップの中身を口に流し込み、一息ついてからようやく口を開いた。
「しけてるなぁ」
『ほっとけ』
しけてるも何も、元々人間について、特に知らないのだ。詳しく知らない以上、大した感情を抱くことも出来ない。人間の技術や医療などは兎も角、個人個人の感情の移り変わりなどについて、そこまでの理解を持っている、という訳でも無い。容姿は似ていても、異類同士であることに変わりは無い。犬や猫の感情を理解できないのと同じだ。
頭を抱えたくなる。どうして私なのか、という疑問が監視初日から脳内に巣食っている。
『…何で私が抜擢されたのか……』
口から自然と出た言葉に、友人が返す。
「お前が結構人間に近い容姿だからじゃないのか?流石に、俺みたいに異類かどうかが明らかな奴は、人間には遠ざけられるだろう」
人間に近い容姿…と言われるが、果たしてそうだろうか。彼の様に明らかな容姿では無いものの、自分は人外だ。異常に白い素肌に、色の反転した眼球。血の様に赤い唇。素肌同様の白髪。人間に近い容姿ではあるが、普通とは一線を画している。
首を傾げる。
『…微妙だろう』
「微妙か?今、目はサングラスとかで隠せばいいだろ。肌は…まぁ、たまに人間で真っ白な容姿をしてるのも居るから、それで誤魔化すしか無いな。…お前の人外らしさは置いといて…結局その子はどうなんだ?」
『…どう?』
話の要領を得れず、聞き返す。
「ほら、可愛いとか、そういう奴」
―――少し考える。可愛いかどうか、と言われても、判断基準が良く分からない。人間なんて、あまり良く見たことが無い。
…取りあえず、可愛いと結論付けた。容姿は整っていると思うし、体つきも細く、綺麗だ。
『…まぁ…可愛いと思う。静かでいい子だ。手間がかからない。…それにしても…何故逃げ出さないのかが不思議だ』
普通は何をされるか分からない以上、逃げ出そうという気持ちがあっても可笑しくない。―――だと言うのに、彼女は初日以降、殆どリビングのソファから動いていない。トイレ、風呂、洗面台、書斎…動いているのを見たのは、この程度か。
店員に再注文をしてから、友人が口を開く。
「"訳アリ"の人間なんてそういうモンだろ。それなりの事情があるから、こうしてコッチに連れてこられてるんだ。…普段は何してる?」
『動物好きなのか、それ系統の図鑑を良く読んでいる。…後は、必要最低限のことくらいしかしていない』
「……買い物には連れて行ったか?」
『服とかには大した興味が無さそうだ』
日記にも書いたことだ。衣類は着れれば良い程度の認識らしく、そこまで興味を引けなかったのを覚えている。
友人が考え込む。―――肩に、手を置かれた。
「…難しいだろうけど、どうにか世話してやれよ。色々と不安定な筈だからな」
――――本当に、難しいことだった。
夜、人間は急な環境変化に大して弱い…という情報を仕入れたので、彼女には今まで使っていた自分のベッドを使わせている。自分は最初はソファで、しばらくしてからはパイプベッドを買って来た。布団と言う選択肢もあったが、冬のことも考えれば、ベッドの方が良いだろう。
上司との雑談の際にその話をすると、床で寝せればいいのにと返された…が、そんなことをさせる訳には行かないだろう。ある意味、自分の身よりも大事な存在だ。もし彼女に何かあれば、責任を取らされるのは私自身。注意深くなるのも仕方が無い。
貴重な検体かどうかと言われれば貴重なのだろう。人間の技術を此方に輸入したい人外にとって、少しでも人間が暮らしやすいように様々な道具を開発している。その中でも、そもそも人外化させてしまえば良いのではないか、という意見が幅を利かせている。兎に角、有能な人間を人外にしてしまえば、寿命も人間よりも長く引き延ばすことが出来、人間の高度な技術を何百年という長時間の間、仕入れ続けることが出来る。…人外の細胞を埋め込まれた彼女は、実現の為のモルモットと言うことだ。
「―――…――……―――」
彼女は静かな寝息を立て、すやすやと眠っている。此処に来た当初は流石にここまで落ち着いていなかったが、一週間もすれば簡単に眠るようになった。寝る以外にやることが無いせいかもしれないが―――それにしても警戒心が低い様な気がする。
(いくら何でも…ここまで慣れるものなのか…?)
脱走を考えていたのも最初の内だけだ。なのに、ある日を期にピタリと止めてしまった。もっと長引くと思っていたのに、拍子抜け――――とは少し違うが、それに似た感覚だ。
どこか決定的な部分に"穴"がある気がする。一体どんな経歴を持つ人間なのか、気になる所だ。―――まぁ、当然碌な経歴でないことは確かだ。見た目、暴行の痕は無いものの、実際は腹部やわき腹に痣があるかも分からない。…この世界に連れてこられている時点で、可笑しなことだとは感じない。
彼女とどう付き合っていくべきなのか。ひと月経った今も、まだまだ手探りの段階だ。
――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――
『―――じゃ、行ってくるよ』
伝わらない言語だが、一応毎日、出勤の言葉は残していく。返事はいつも、期待していなかった。…それも当然かと思う。言語が通じず、さらには不気味な容姿をした化け物だ。会話もしたくないことだろう。
ただ、その内最低限の会話は出来るようになりたいと思う。彼女の変貌時期が分からないということは、もしかすると、何年もの付き合いを強いられるかもしれないだろう。それなら、少しは信頼関係を築いていた方が特だと思われる。
「……」
一瞬こちらを見た彼女だが、直ぐに手元の図鑑に目を戻す。毎日毎日、飽きもせず良くやるものだ。
『…行ってきます』
念の為にもう一度声を掛け、背を向ける。どうせ返答は来ないだろう。…先程言ったように、言語が違う時点で、返事なんて出来る訳が無い。犬が人間に対し、いってらっしゃいと返すだろうか?少なくとも、私はそんな光景を見たことも聞いたことも無い。
後ろ手に戸を閉める。全身に降り注ぐ日差しが、イヤに気持ち悪かった。
『―――じゃ、行ってくるよ』
伝わらない言語だが、一応毎日、出勤の言葉は残していく。返事はいつも、期待していなかった。…それも当然かと思う。言語が通じず、さらには不気味な容姿をした化け物だ。会話もしたくないことだろう。
ただ、その内最低限の会話は出来るようになりたいと思う。彼女の変貌時期が分からないということは、もしかすると、何年もの付き合いを強いられるかもしれないだろう。それなら、少しは信頼関係を築いていた方が特だと思われる。
「……」
一瞬こちらを見た彼女だが、直ぐに手元の図鑑に目を戻す。毎日毎日、飽きもせず良くやるものだ。
『…行ってきます』
念の為にもう一度声を掛け、背を向ける。どうせ返答は来ないだろう。…先程言ったように、言語が違う時点で、返事なんて出来る訳が無い。犬が人間に対し、いってらっしゃいと返すだろうか?少なくとも、私はそんな光景を見たことも聞いたことも無い。
後ろ手に戸を閉める。全身に降り注ぐ日差しが、イヤに気持ち悪かった。
――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――
彼女のその行動は、ただの興味本位から来るものだった。珍しく家主が閉め忘れたらしく、鍵が開いていた―――だから、外に出た。
此処が嫌になった訳では無く、その行動の根底にあるものは、好奇心だった。何も知らない子供が、周りを見て自然と物事を学ぶように…自身が無知だと知っていたからこそ、好奇心を彼女は優先した。
監視者に用意された靴を履き、こっそり、様子を伺いながら外に出た。別段、行きたい場所など無かった。彼女の目的は、外を見て回ることだ。自分がどのような状況下に置かれているのか。それを、知りたかった。自身の身の安全より、好奇心が勝ったのだ。
結果、過去の自分を恨まざるを得ない状況に、彼女は陥った。
好奇心は身を滅ぼすと言うが――――果たして、彼女がその言葉を知っていれば、未来は変わっていたのだろうか。
――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――
人間社会から仕入れた技術は、人外社会には既に必要不可欠な物として浸透している。眼前に備え付けられたデスクトップパソコンも、その一つだ。
データ等の情報処理も楽になったとしみじみ感じる。百年以上生きているが為、新たな技術というものを自分は間近で見て来た。革新的というのだろうか、当時最先端の技術を駆使して作られた電子機器の登場に、自分は感嘆の溜め息をついた。
だが、当時は革新的と思ったそれ等も、今では古めかしい物という認識に変わってしまった。日進月歩という言葉があるが、人間社会にはピッタリの言葉だと思う。それ程、彼等の技術には目を見張るものがある。
とはいえ、まだ一年か二年程度、向こうと比べれば技術への理解が遅れている。だから、人外の多くは人間を仕入れ、此方の新技術開発に貢献して貰うために、彼女のように様々な手順を講じて人間を引き入れようとしているのだ。
それは他の種族への対抗心から来るものなのだろうか。人間を下と見る人外が多いのも、劣等感からだろうか。専門家では無い以上、憶測の範囲に留まるが、これでも百年程度の社会経験がある。…当たらずとも遠からず、という所だろう。実際、私に彼女の世話を任せた上司は人間である彼女に対し、対応が冷たい。
こうなると、外出は思っていたより危険かもしれない。
(下手に外は歩かせられないか―――可哀想な気もするが…)
今まで人間に興味が無かったせいで、人間がどのような扱いを受ける存在なのかを自分は殆ど知らない。知っていることと言えば、男は力が強い傾向にあり、女は弱い傾向にあるということ程度だ。個人差、というものがあるらしい。…知っているのはこれくらいだ。
(…何故ここまで考える必要があるのか)
彼女に対し嫌悪は無いが、どうも面倒ごとに巻き込まれそうで気が重くなる。―――気晴らしに、喫煙室に行くことにした。丁度、昼休憩の時間だ。
煙草臭い部屋の中を、さらに煙草の煙で満たしていく。軽く開けた口元から、真っ直ぐ煙が吐き出されていく。
喫煙室の中には自分だけで、他の社員は一人もいない。人間側から習って、禁煙家というものが人外社会でも増えてきているせいだ。喫煙家にとって、住みずらい社会になっていくのが目に見えている。
『……』
手元にあるのは人間側から手に入れた煙草の一つだ。―――J"A"KERという銘柄のそれは、結構前に人間側で廃止になった銘柄だった。此方でも売られなくなる前に大量に買っておいたそれも、既に在庫が一桁台に突入していた。
『…禁煙するか』
独り言が口から零れた。コレを期に、禁煙するというのも良いかもしれない。…そうだ、一応今は(半分程度は)人間と住んでいる。彼女の為にも禁煙を―――――……
『――――?』
…何となく、今まで感じていた可笑しな感覚に対し、実感が持てた。どうして彼女の為なんて言葉が出てくるのか、不思議なのだ。まだ出会って一ヶ月。しかも彼女は検体であり、自分はそれを押し付けられた立場だ。だというのにどうして、彼女の世話を、自分はここまで焼こうとするのだろうか。
(一目惚れ――――じゃあないだろうな………)
脳裏に浮かんだ言葉を打ち払い、再び口元に煙草を咥える。…妙な感覚は収まらない。何か彼女に固執する切欠があったとも思えない。
じゃあ何だ?と自身に問いかけてみても、そこまでの領域にまだ踏み込めていないらしく、憶測は浮かんでも確信は浮上してこなかった。
―――喫煙で気は紛れそうにない。喫煙室に取り付けられた窓に近づき、開けて換気する。新鮮な空気でも吸えば、多少思考も晴れると思っての行動だった。
縁に腕を乗せ、外を見る。目の前には二つのアパート。殺風景とは違うが、何とも興味の無い光景だ。
…特に意味も無く下を見る。流石にこの時間帯、出歩いている人外は殆どいない。それも正面玄関方面ならいざ知らず、こっち側は裏側だ。外灯も無いこの道にあるのは、ゴミ捨て場や路地裏くらい。コンビニ等の施設は正面玄関の方にある。
そう、歩いてる人外なんて――――
『………?……』
二体の人外が歩いてくるのが見えた。遠目からでも分かる程、薄汚れた上着を着た獣系統の人外だ。その内一体は落ち着きが無く、頻りに周りを見渡している。もう一体は片手を後ろに、何かを引きずるようにして歩いていた。
あんな気配が無さそうな場所に来るなど、碌な目的じゃあ無い筈だ。怪しい物資の受け渡しでもあるのだろうか。
挙動不審な様子を見て、ポケットから携帯電話を取り出す。緊急連絡用画面を開き、番号を入力しておく。勿論、連絡先は警察だ。
治安がそこまで良い訳でも無いので、ここら一帯では良くある話なのだが―――嬉しいことに情報提供をすると、報奨金が出ることがあるのだ。もし金銭を貰えたら、彼女に何か買ってあげれもするだろう。満足感も得られるだろうし、一石二鳥だ。
それにしても、後ろの一体は何を引きずっているのか――――少し身を乗り出して"それ"を見てみる。
人外に引きずられているのは、一体の人外だった。真っ白な白髪をした、自分と同じタイプの人外だ。中々珍しい。しかも長髪の為、性別は女だろう。…首を傾げる。新たな違和感が浮上したからだ。
もしかして強姦目的か―――そう思い、携帯を握る手に力が籠る―――――人外が路地裏に踏み込んだその瞬間、何処か感じていた違和感に気付いた。
(…白髪………女……?………――――)
―――違和感は、確信に変わった。
最悪の状況に、鼓動が異常なくらい早まっていく。
「―――!」
嫌悪の声を上げるも、人外は聞こえていないかのように彼女を無理矢理引きずっていく。
どうにか逃げようとしてもどうにもならず、終いには路地裏に連れ込まれる。動物の形をした二体の人外は、酷く力が強く、彼女の抵抗など毛ほどにも感じていないらしかった。
半ば引きずられる形で連れ込まれると、壁に体を押さえつけられる。…体毛だらけの顔が歪む。薄汚れたその姿と相まって、嫌悪は強まる一方だった。
「――――、―――――。…―――――」
口を開き声を出す――――が、何を言っているか分からず困惑していれば、両頬を片手で挟まれる。―――背筋が凍るような感覚が彼女を襲う。
「―――」
「…―――」
互いに何か話していることだけは分かったものの、彼女にそれを理解する力は無い。…それでも、この状況が何を意味しているのかだけは、何となく分かっていた。
両頬を押さえられたまま、人外の手が太腿に触れる。感触を確かめるように、妙に念入りとした仕草は、彼女にとって恐怖の対象でしかない。
しかし彼女が嫌悪と恐怖に目を逸らした瞬間――――鈍い衝撃音が、耳に聞こえて来た。
何時振りかはっきりしないが、ここまでの無茶をするのはかなり久しぶりだと思う。
人外の体が丈夫に出来ていることが幸いだった。御蔭で、"四階相当"の場所からこうして"飛び降り"ても、そこまでの衝撃は感じない。骨に強い痺れはあるが、ヒビが入るまでには達していない。だから、直ぐに走れた。路地裏に向け、全速力で走ることが出来た。
…だからこうして、最も良い角度でもって、横合いから殴りつけることが出来たのだ。身体が丈夫で良かったと思う。
『……――――!』
右拳に感じる感触からして、腕自体はあまり落ちていないらしい。駆けつけながらでも、狙った場所へと吸い込まれるように命中してくれる。
「―――いッ!?!」
自分と同様、人間に近い容姿が仇となっている。血の飛んだ地面を、頭を抑えて転がり回っている。
叫びながら相方を心配するもう一体も、取りあえず鉄拳を打ち込んで黙らせた。―――同じ格好の人外が増えた。
悶える人外の背後に周り、そこから股間付近を蹴り続ければ、痛みで自然と気を失った。もう一体にも、同様の手順を施していく。
『…念の為』
脚を上げ、何度か頭を踏み潰す。念には念を入れよというので、さらに顔に蹴りを入れたところで…一旦、止めることにした。これ以上は、病室送りでは済まなくなる。
取りあえず路地裏の端に二体を集め、その上から傍にあったゴミ袋を乗せていく。…見るからに怪しい状態だが、そのまま放置するよりかはマシというものだ。こうしていれば、近づこうとする人外もあまり居なくなるだろう、と見越しての行動だ。
ついでに土での投げつけようかと屈み込んだところで――――追い込まれていた"彼女"のことを思い出した。
腰が抜けたのか、八の字のままペタンと座り込んでいる。息も荒く、眼も僅かに潤んでいる。――――間違いなく、自分の監視対象だった。
一旦嗜虐行為を止め、腰を上げて近づいていく。見れば、服の上部分が裂けていた…が、そんなことを気にする余裕は無いだろう。明らかに体目的の連れ込みだった。直ぐこの状況に適応出来る者など、人外にすら居るか怪しいレベルだ。
(……確か…密着、だったろうか…)
うろ覚えの知識を頼りに彼女に近づくと、まずしゃがみ込んで目線を合わせ、"取りあえず"抱き締めてみる。同種に強く密着されると人間は落ち着く傾向にあると、昔何かで読んだ記憶があった。
別に犬や猫でも良いのかもしれないが、生憎この場にそれ等はいない。居るのは、人外だと言うのに、皮肉にも人間に近い容姿と言われる自分だけだ。
だから"取りあえず"抱き締めてみた。見た目は人外に近づいているとは言え、まだ見た目で人間だと判断できる程度にしか染まっていない。なら、精神的な部分は人間のままだろう。外面が変化したところで、内面にまで変化が及ぶ訳じゃあない。
微かに震える体は、やはり細い。思い切り力を込めれば簡単に折れそうだ。
…それは兎も角、これでは流石に仕事に戻れないので、再度携帯電話を取り出した。宛先は緊急連絡では無い。蝋燭の同僚だ。どうせ上司に取りあっても、まともな対応が返って来るとも思えなかった。
コール音が鳴るのに連れ、彼女の震えも落ち着いてきた。
――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――
『…痛』
深夜、本日分の日記を記入していた途中のことだ。夕食時から感じていた鈍痛が、はっきり形を持って表れた。年甲斐もなく無茶なことをしたせいだ。四肢の節々が痛み、右拳が赤黒く内側で出血している。暴力沙汰など約数十年振りだ。
最終的に友人が上手く言ってくれたらしく、返しの電話で上手く言い包めたから帰宅しても大丈夫だと言って貰えた。立場的には自分と同じだが、こういった事態での対応は彼の方が手際がいい。
そして今は夜中。彼女と共に帰宅してから十時間以上が経過していた。帰宅して来て分かったことだが、朝、自分は玄関のカギを閉め忘れていたらしい。それを見て、何故彼女が外に出ることが出来たのか…その謎に合点が行った。
無断で外に出たことについて彼女に対し説教しようにも、それが出来る程の精神状態では無かった(言葉が通じない時点で不可能ということには後で気づいた)。精神面については、事故直後よりかは幾分落ち着いているものの、夕食後、全ての身支度を整えてから寝室に籠ってしまった。
トラウマになってしまわないか心配する。今は彼女に対し自分が固執する理由など、どうでも良かった。今はメンタル的な部分を気遣ってあげるべきだと、素人目にも分かるくらい彼女は参っている。
無断外出についてだが、外に出てしまったことを、正直責める気にはなれない。まだ十代の子供だ。好奇心、そして自らの置かれている状況を知りたいという想いがあるのも当然のことだ。それどころか元を正せば、彼女が外に出たのは自分が戸締りの注意を怠ったせいでもある。必要とあれば窓からでも外には出れるが、彼女は見た通りあまり体が丈夫では無いらしい。だから今まで外に出ようとはしなかったのだ。…今回、このような事が起こったのには、様々な要因が重なったからだろう。原因の見当は大体ついている。
『……――』
溜め息が出る。本当にこの調子で彼女と付き合っていけるのか。
『…?』
ネガティブに走った思考を打ち消したのは、戸の開く音だった。
キャスター椅子を回転させ、振り返る。…その先には、若干怯え気味の彼女が立っていた。
―――下手に話し掛けるのは悪影響と思い、首を傾げて彼女が現れた疑問を表現する。てっきり、もう眠っているものかと思っていた。
少しの間の後、思いつめたような顔のまま、裸足で此方に近づいて来た。右手に、何かを持っている。凶器という訳でも無いらしい。遠目には包帯に見えた。
(……ケガでもしたのか?)
包帯が巻けず、私に頼みに来たのかと思ったが…どうも違うようだ。
目の前に来ると、そこで立ち止まる。何か言いたげに口を動かしているが、しばらくすると飲み込んでしまった――――代わりに左手を伸ばしてくる。
一体何の用なのか測りかねていると、いつの間にか右手を取られていた。何をするつもりかと様子を見ていれば、右手に持った包帯を手の甲に巻いていた。―――彼女に手に、ではない。私の右手に包帯を巻いていた。
『?』
何故こんなことをするのか聞きたかったが、言葉が飲み込んだ。今人外の言葉で話しかければ、トラウマを刺激する可能性もある。向こうの言葉と違い、此方の言語は明らかな違和感を感じさせる言語らしい。人間研究の本に載っていた。
成すがままに手当を受けているが、よく見れば彼女の持つこの包帯、私が彼女の手当て用に購入してきたものだ。寝室に置いてあった救急箱から取ってきたのだろうか。
…それは置いておき、実はこの右手の怪我を放っておいたのには理由があった。簡単なことだ。人外は個体にもよるが自己回復が早いのだ。人間との大きな違いを挙げるとすれば、それは容姿とこの回復力が代表される。
打ち身や打撲は数日内で。この右手も、明日か明後日には完全に治っていることだろう。この傷の痛みも、体内で修復活動が行われている証拠だった。
だから手当も余程で無い限りはいらない…のだが――――
「…―――」
涙目ながらも処置をしてくれる少女に対し、必要とは流石に言えなかった。幾ら人外でも、それくらいの常識と教養はある。
数分後、私の右手には綺麗な包帯が巻き付いていた。巻くのが上手だと思わず言ってしまったが、当然の如く彼女は不思議そうな顔をするだけで、特に恐怖心を煽るようなことには至らなかった。
『…ありがとう』
まだ"覚えきれていない"ので此方の言語になってしまったが、動作も加えれば大体のニュアンスは感じ取って貰えるだろう。
頭を下げながらの礼をした後、彼女を見れば少し驚いた顔をしていた。…これは、一見不愛想な私が、素直に礼をしたことに驚いているのだろうか。そう思われるのは少々心外だった。私だって、一応マナーは学んでいる。…それが人間に当て嵌まるのかは別の話だ。
喜んでいる…ということでいいのだろうか。試しに口元に笑みを浮かべて見せる。これで私の思考が伝われば嬉しい。
「………」
感じ取ってはくれたのか、一つコクンと頷くと踵を返して立ち去る。向かう先は当然寝室だ。
ふと、置時計を見る。針が指す時間はかなり遅い。明日も仕事があるのだから、いい加減私も彼女に倣って寝るべきだろう。
ただ、今日はリビングのソファで眠るつもりだ。あんなことがあった以上、加害者と同じ種族が近くに居ると言うのはストレスになるかもしれないという点を、考慮してのことだった。
椅子を引き、立ち上がる。まずは毛布を引っ張り出す為、クローゼットに向かうことにした。
寝室に繋がる戸、そこから音が聞こえた気がしたが――――気のせいだと結論付けた。
――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――
朝食を済ませ、朝の準備を終えた彼女は、相変わらず飽きもせずに図鑑を読み耽っている。そこに関しては、いつも通りだ。昨日までと、何ら変わりは無い。
(トントン拍子、とは行かないか)
昨日の彼女の様子から、少しは親睦も深まったかと思っていたのだが、これといった変化は無い。
唸り声が口から零れたが、それで何かが変わる訳でも無い。―――今私がするべきことは兎にも角にも出勤、それだけだ。
靴ベラを使って革靴を履き、玄関扉を開ける。そして、いつものように外出の挨拶を掛けようと振り向けば―――――
『…………』
「………」
彼女が眼前に立っていた。
『…―――?』
珍しい光景に首を傾げて見せたが、彼女は至って普段と同じ。無言で無表情。…そこから数十秒硬直してみたものの、状況に一切の変化は無い。
『……いってきますー』
肩を竦め、彼女の返事に期待せずそう言い放つ。再度、戸を大きく開け――――
「―――――」
「……おい、どうした?」
『………』
朝、出勤してからずっとこの調子の友人に思わず声を掛ける。仕事自体にミスは無いが、どこか魂でも抜けているような表情なのだ。
肩をゆさゆさと揺らせば、首ががくりと後ろに傾く。―――異常性が垣間見えた。
「…検体に何か異変か?」
思い当たる節があってそう問えば、その態勢のまま肯定の呻き声が聞こえて来た。
昨日、どうやら検体に色々と大変なことが起こったと電話で聞いたが、その時は落ち着いていた。…こうなった理由は、帰宅してからだろうか。そこから先は連絡を取っていないので、自分には分からない。
妙な沈黙が続く空間で、どう切り出そうかと試行錯誤をしていた自分だが、意外にも口火を切ったのは彼が先だった。
『…声……初めて聞いたんだよ…』
「……は?」
―――いきなりの発言に、疑問しか含んでいない声が口から漏れた。
『……声だよ声………早一ヶ月、初めて聞いたんだ…』
ぐわッ、と体勢を直す姿に、周りの人外が一瞬跳ねた。…やはり皆、彼の異常性に気付いているらしかった。
「…声……検体の声か?」
予想は合っていた。だらりと手足を放り出しながら、頭が大きく揺れる。
『…そう、検体の子の声だ』
ゆっくりとした口調で言いながら、頭が机に向かって下がっていく。
『……声、聴いたんだよなー…』
そう言って、机へうつ伏せになった彼の横顔を盗み見る―――――その顔が意味する感情を察し、唖然とした。滅多に彼は笑わないのだ。愛想笑いはしても、心から自然に笑うようなことは、滅多に無い。
『……ふ…』
そんな、滅多に笑わない彼の横顔には――――ここ数十年…いや、もしかするとこれまで見たことが無いくらいの、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
――――その日の勤務中、彼の顔には終始、笑みが張り付いていた。…友人に言うのも何だが、非常に不気味だったと記憶している。
ちなみにその日の勤務終了後、嬉々として帰宅する彼の姿が目撃されていたらしい。
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