15.ハルとバーティの悩み
慣れた、のかなぁ。これって。
私、だんだんとグレイさんとご飯食べに行くことにだんだんと抵抗がなくなっている。
毎日毎日仕事終わりに合わせて資料館にやってくるグレイさんと一緒にカヴァニュー・トレに行ってご飯を食べながらこの世界の事を聞いたり、逆に私が今日あった出来事とか時々元の世界の事とかを話している。
最初は邪険にされないと分かっていながらもお店の敷居を高く感じたり、グレイさんと一緒にいる事に居心地の悪さを感じたりしていたんだけど、日を追うごとにそれが薄まってきて今では他人の目など感じないほどに食事を楽しんでいる自分がいたりするんだ。
でも、きっとそれはグレイさんのおかげなんだと思う。
グレイさんって、結構聞き上手なんだ。私の話を丁寧に頷いて聞いてくれる。
質問もしてくれるし、逆に自分が知りたい事を聞いてきてくれたりもしてくれて、余計な事までぺらぺらと話してしまう。
私が知りたいこの世界の事も面倒臭がらずに教えてくれるし。
多分、私を普通の人間として扱ってくれているからなんだろう。本当、友達のように接してくれている。
それに心地よさを感じながらも、でも一方で危機感も感じているのも事実だ。
このまま慣れ親しんでしまっていいのか私の中に恐れや不安、そして疑問が残っている。アルバートさんの言葉もブレーキ役を買って出ているんだと思う。
いいのかな、このままで。
迷いはいつも食事が終わった後、グレイさんの背中を見送る時に出てくる。
正直、私は自分がどうしたいか分からなくなってきている。
今までだったら関わりたくないって切り捨てられていたはずなのに、ご飯効果かそれともグレイさんに絆され始めてしまったのか、物事をそうシンプルに考えられない。
馬鹿を見るかも。傷つくのは自分の方なのは間違いなのに。
それを分かっていて、割り切れないのだ。
最近なんてもうグレイさんの顔を見た途端に腹が鳴ったりするんだからなぁ。それに気が付いた時、パブロフの犬かと笑ってしまった。
「やばいよなぁ……」
確実に馴らされている。
「何がやばいの?」
私が物思いに耽っていると、作業台の下からひょっこりと顔を見せたバーティが私を見つめていた。
今日は午前中から双子たちが来ていて、また元の世界のお伽噺を聞かせろと強請られたので作業を中断して話をし、今はエブリンと一緒に資料室の本を見ているはずだった。
よく分かんない生き物の図鑑を見て、『これは見た事ある』『これは見た事ない』と言いあいながら楽しそうにしていたはずなのに、いつの間にかバーティが私の目の前に立っている。
あれ? エブリンは? と思って目線を向けると、彼女は机に突っ伏して眠っていた。
珍しい……。あんなエブリン初めて見た。
「昨日ね、遅くまで勉強してたんだって。家庭教師の先生が出した問題が解けなくて、ずっと頑張ってたって言ってた」
私の疑問に答えるようにバーティが教えてくれた。
どうやらエブリンだけが難しい問題を出されて苦戦したらしい。
双子だからって同じ問題を出すわけじゃないんだね。個人の能力に合わせてやっているのかな。
「ねぇねぇ、それで何がやばいの?」
私のどうでもいい呟きがどうしても気になるのか、バーティは尚も食い下がる。
別に大したことじゃないし、バーティに話してもしょうがない事だと思うんだけどね。その澄んだ瞳で見つめられると、『関係ないよ』と邪険にも出来ない。
「……ご飯がね、美味し過ぎてやばいなぁって話」
まさかね、子供相手にガチで相談するわけにはいかないから、当たり障りのない言葉を選んだんだけど、どうやらそれはバーティの疑問をさらに深めてしまったらしい。傾げられていた首が更に傾げられる。
「それのどこがやばいの? ご飯が美味しいなら何も問題ないじゃない」
……そうね。そうだね。
バーティの言う通り、ご飯が美味しい事に何ら問題はない。
子供の純真な心から出る言葉は、ささくれ立って捻くれた私の心には酷く突き刺さる。そんな単純な事に気付けない私の目は濁り切っているのかも。余計な雑念が多すぎて、肝心な事には気が付けない。
ご飯が美味しい。
だから私は食事に行く。
たったそれだけの事だ。
「そうだね。バーティの言う通りだ」
「僕に言われて気付くなんて、ハルは馬鹿だね」
くっ……! この毒舌お子ちゃまめ。
こっちが珍しくあんたに感心しているのに水を差すな。
やれやれと呆れたような顔をするバーティが小憎たらしくて、その子供の割に高い鼻頭を突いてやりたい。
「難しい顔をしていたから何か悩んでいるのかなって思ってたら、そんな事? いいね、ハルの悩みは能天気で」
まだ言うか! このマセガキ!
さすがの私もムカッとして言い返そうとした。
が、ここでバーティが大きな溜息を吐いたのだ。
「……僕も違う事で悩んでみたい」
しかも、結構重い言葉を吐いて。
おっと、お子ちゃまお悩み中?
私みたいにそんな暢気な悩みじゃないって? 可愛い顔して本当辛辣だよね。
「僕ね、本当は勉強なんて大嫌いなんだ。お母様は立派な大人になるためには絶対に必要な事だからって言って毎日やらせるけど、大嫌い。毎日ここに来て本読んでる方がよっぽど面白い」
いやいや、いきなりお悩み相談を始められてもね。私に何て答えてほしいわけよ。私そんなに聞き上手じゃないよ? そういうのグレイさんが得意だよ?
「私に悩み相談とかされても困るんだけど」
「いいでしょ? 僕だってハルの悩みを聞いてあげたんだから」
聞いてあげたって、そっちが無理矢理聞き出したようなものじゃん。恩着せがましい。
……しょうがないなぁ。
それにしても、意外だったね。バーティが勉強が嫌いだったなんて。
まぁ、勉強が好きな子供とか都市伝説級の生き物だと思っていたから、本当に好きとは思ってはいなかったけれど、ある程度は納得してやっているんだとばかり。案外、子供らしいところがあるんだな。
「勉強きついの?」
「どうかな。まぁ、嫌いだから辛いって思う時もあるけど、でも僕なんかよりエブリンの方がずっとずっと大変なんだ。僕はエブリンより石が一つ少ないからね。期待が全然違う。あ、これエブリンには内緒ね? ……やっぱり、エブリンの前では言えないから」
エブリンの前では、というより、今まで誰にも言えてなかったんじゃないかな。私にそれを打ち明けるなんてそうとう溜め込んでいたと見える。
なるほどね。
自分より頑張っているエブリンが隣にいるから、僕は文句の一つも言うわけにはいかないって事か。兄妹愛と思いやりだね。
「言いたい事もちゃんと口に出さないと、いつか爆発するよ。子供はある程度我儘な方がいいと思うけどね、私は」
「ハルは分かってないな。そうしたらエブリンが嫌な思いをするだろう? 僕一人が好き勝手やっていたら、絶対に僕を嫌うよ」
分かってない、か。
それはどっちなんだろうね、バーティ。
「でも、あんたが自分に遠慮して我慢しているってエブリンが知ったら、それはそれで嫌な思いをするんじゃないの?」
「だから、ばれないようにしてるだろ?」
「馬鹿ね、バーティ。あんたたち、目を見るだけで意思疎通出来る双子なのよ? エブリンがそれに気づいてないって、本気でそう思っているの?」
双子で、しかもエブリンは女よ? そういうバーティの心の機微には敏感なはずだ。
「気が付いてないよ! そうしたら僕が分かるはずだ! エブリンの事は僕が一番分かるんだから!」
「逆も然り、よね? バーティの事もエブリンが一番分かっていると思うけど?」
「僕は隠すの上手だから大丈夫なの! お兄ちゃんなんだから!」
おー必死だ必死だ。
お兄ちゃんなんだから僕の方が上手だって言いたいのかね。
ぷりぷりと頬を真っ赤にして怒るバーティはいつもの小生意気な感じじゃない、自分の事に必死な年相応の子供の顔をしていた。
「もう! ハルに相談した僕が馬鹿だった! やっぱり異世界人のハルには何も分からないよ!」
欲しい言葉が与えられない事に不服だったのか、バーティはなかなかに酷い言葉を投げつけて眠るエブリンの下へと帰って行った。
いや、今更そんな事言われても傷つきはしないけどね、子供って本当勝手なものだねって呆れてしまう。
あぁ……今日もやる事たくさんあるのにまた無駄な時間を過ごしてしまった。
館長に怒られる前にさっさと仕事終わらせよう。
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