13.ハルへの忠告



「ハルカ、来なさい」


 あー……、なるほど。これは困った。

 私はその命令を受けてそのタイミングの悪さに肩を落とした。



 昨日、グレイさんと別れた私はイーゼルの店に行ってパンを買って家に帰宅し、またポルモーポルに悪戯された部屋――――今回は食器や調理器具がテーブルの上でジェンガ状態になっていた、を片付けた。


 その途中、だんだんと胃がムカムカしてきたんだよね。

 喉の奥から競り上がってくる感じがして、これはまずいと思って片付けもそこそこにベッドに横たわった。


 原因はもちろんステーキだ。

 この一年、貧相なものしか食べてこなかった胃袋に、突然ステーキという高級かつ脂っこいものを投げ込まれて悲鳴を上げている。消化不良で気持ち悪さが全開だ。しかもちょっと腸の方も怪しくなってきていた。


 という事で、見事に豪華な食事の対価を払った私は、一晩中胃のムカムカと波のように襲い掛かる吐き気と、そしてぎゅるぎゅると不穏な音を立てるお腹と戦い続けてろくに寝ていないのである。


 そして翌日、今日。

 少ししんどい思いをしながら資料館にやってきて、午前中はだるい身体を引き摺りながら仕事をした。時折昨日のステーキを思い出してにやける。消化不良は起こしたものの、それを差し引いても美味しかったのだ。出来ればまた味わってみたい。


 そんな事を思いながらお昼にパンを一枚食べ午後の業務に取り掛かろうとした時、招かるざる客がやってきたのだ。

 

「何をぼーっとしている。早く来なさい」

「…………はい」


 招かるざる客その三。

 アルバート・テイラー・モス。


 もう髪の毛がほとんど白くなった髪にひょろっとした身体の杖を突いて歩くご老人なんだけれど、この人も資料館にとっては最重要お客様。それに加えて、この資料館に置いてあるバートラティウスの遺品や資料のほとんどを寄贈してくださった大変恩義のある方なのだ……、と館長が言っていた。

 彼はこの国で一番大きい学校の名誉教授をしていて、バートラティウス研究の第一人者。今は表舞台を退き隠居生活に入っているが、こうやってときどき資料館に顔を出す時がある。


 それだけならば別にいい。

 だが、私があの双子たちやデヴォンと並べて『招かるざる客』と呼んでいるのは、彼が毎回顔を出すだけに止まらないからだ。


「ふむ。どうやら床が前回よりも綺麗になっていますね」

「……ありがとうございます」

「そこのガラスに手垢、そこの台の縁に汚れ、それらを即刻綺麗にしなさい。あとこの間寄贈した剣……は、何ですかあの展示の仕方は。あれでは影が出来て装飾の微細なところまで見えないではないですか。やり直しなさい」

「……はい」


 何と言うか、お局様みたいな事を言ってくるんだよな、この人。

 確かに自分が寄贈したものがちゃんと管理されているか自分の目で確認したいって気持ちは分からないでもないけど、重箱の隅を突くような事を言ってくる。

 ちなみに、アルバートさんがさっき言ったガラスと台の汚れは午前中についたものね。朝の掃除のときには綺麗だったもん。

 それと展示品については担当は私じゃないから正直関係ない。カシムさんってもう一人の資料館の職員の領分なんで、私は後でそれをカシムさんに伝えるだけだ。めっちゃウザがられるけど。


 私を付き従えて資料館内をくまなくチェックし、あれが汚いあれを直せと私に指示を出す。

 これがアルバートさんのここに来た時の行動その一。


 その二は……、実際これが一番厄介なんだけど、私相手にバートラティウスの生涯について講義をし始める事だった。


「前回は、バートラティウスの即位における障害とその影響についてでしたね。今日は即位直後の彼の動きと不穏分子の排除について勉強します」


 資料室の片隅の私がいつも作業している場所に椅子を持ってきて、上体の比重を杖を持って掛けながら話してくるアルバートさん。

 まぁ、これがひたすらに長い。ずっと喋っている。

 こちらから質問する事も禁止、寝る事もよそ見する事も禁止、もちろんその間他の仕事をするわけにもいかない。正直拷問みたいな時間だ。

 それに加えて、昨日ろくに寝れなかったものだから寝不足の身体にアルバートさんの講義はきつい。今日は絶対に寝る自信があるから、資料館にアルバートさんが現れた時、顔が引き攣ったのだ。

 事前に来る日が分かればいいんだけど、絶対に抜き打ちで来る。多分、常日頃資料館を綺麗にしているかっていうのを見るためなんだろうけど。とりあえず分かるのは彼が来るのは大抵二十日に一回くらいの割合ってくらいかな。


 本当、困るんだよね、この講義。

 仕事は進まないし、ずっと黙りこくって人の話を聞くっているのは辛いし。高校行っていた時、こんな授業されたら速攻で寝るんだけどそれすらも赦されない。

 拷問だ、拷問。


 しかもさ、知ってる?

 これ、毎回三時間以上続くんだよ……。


「バートラティウスには側近は何人かいましたが、その中でも右腕とまで言われたのはカーン・リュイトバレルで、彼は石が四つしかなかったものの――――」


 アルバートさんの話の中で、石の話になって不意に昨日のグレイさんの事を思い出した。


 昨日、『明日はお前の奢りな』とか言っていたけれど、本気で今日も私を食事に誘うつもりなのだろうか。


 まともなご飯を得られる機会があるのは嬉しい。

 でもグレイさんと友達になる、ってなったら微妙だ。


 信頼を得て友達になりたいとは言っていたけど、でもその先にあるのは『私の血を得る』っていう目的ででしょう?

 確かに皆が皆損得勘定なしで友達になっているものだとは思っていないけれど、でもこのまま友達になってもそれがしこりを残す。


 ……あと、恐怖もあるんだと思う。

 突然手のひらを返されたりするんじゃないかって。散々心開かせておいて、『本気で友達になりたいと思っているとでも思ってたわけ?』って裏切られるんじゃないかって思いは拭えない。

 疑心暗鬼になっている部分もあるんだろう。

 昨日の彼を見ていると、そんな事をするような人だとは思いたくもなかったけれど、所詮会ったばかりの他人だ。どう転ぶかなんて分からない。


 だから、少し憂鬱になる。

 きっと私はグレイさんに会ったら、彼の信用できるところ出来ない所を目を皿にしてその言動から探るんだろう。そしてその度に一喜一憂するのかもしれない。


 それは随分と心が軋むものだった。


「ボーっとしとらんで、人の話を真面目に聞く!」


 杖を思い切り床に打ち付けて、意識を飛ばして私にアルバートさんの叱責が飛ぶ。

 

 あ……、ごめんなさい。ついつい物思いに耽ってしまったよ。

 姿勢を正して、講義を再開し始めたアルバートさんの話に耳を傾ける。


 アルバートさんの顔には石が五つあって、眉間に一つと両頬に二つずつある。

 それを見つめながら、あの石の一つでも私にあったのなら、こんな卑屈な思いをしなくて済んだのかなって思った。

 そうしたらもっと純粋な気持ちでグレイさんと向き合って、彼の言葉を受け取ることが出来たのかなって。


 そんな考えても仕方ない事を、この講義の間中ずっと考えていた。





「さて、今日はリュイトバレルの逸話を語るのに随分と時間を取られましたね。次からは、バートラティウスの施政についてもっと詳しく掘り下げていきます」

「……はい」


 密かに欠伸を噛み殺しながら聞いていた講義がようやく終わった。

 講義が終わった後は、いつもアルバートさんはスッキリしたような顔している。まぁ、あれだけしゃべり続ければストレス発散にもなるよね。実はこの人、第一線から退いたとはいえ、まだまだ現役でいたかったのかもしれない。


「ハルカ、次に来る時まで……」

「おーい、ハルー?」


 アルバートさんが何かを言いかけた時、資料室の入り口が開く音がするのと同時に気の抜けた声が聞こえてきた。


 ……この声、グレイさんだ。

 本当に来たのかと私は信じられない気持ちで入口の方を窺った。


「仕事終わったか?」


 こっちにやってくるグレイさんは、私とアルバートさんの姿を見て立ち止まる。少し眉根が寄せられて、アルバートさんを一瞥した。


「まだ終わってなさそうだな」

「す、すみません。もうすぐ終わります」

「いや、別にいい。またここで待たせてもらうから」


 そう素っ気なく言ったグレイさんは、昨日と同じ席でまた本を読み始めた。

 よかった、昨日みたいにアルバートさんの本を手に取らなくて。本人目の前にして『面白くなかった』とか言われたらどうしようかと思ったよ。


 ホッとして、話が途中だったアルバートさんの方に視線を戻すと、アルバートさんも私の方をじぃっと見ていた。

 でもこれ、見ているっていうレベルじゃないな。

 目元の皺を眉間に寄せに寄せて私を睨み付けているようだった。

 いつもはどれだけ汚れようと私が講義中に寝ていようと注意する顔は無表情に近くて、あまり感情を露わにするタイプの人ではなかったから、その変貌に私はたじろいだ。


「……ハルカ、お前、あの男と仲が良いのか?」

「え? いや、仲が良いというか……」

「恋人か?」

「まさか! そんなじゃないです! ただの知り合いですよ」


 何だ? 何だ?

 どうしたアルバートさん。

 そんな事を聞くなんてらしくない。今まで私の事なんて興味一切なかったじゃん。


 顔もそうだけど、その質問も怖い。

 どんな意図があってそんな事を聞くのか。お前では分不相応だから止めなさいとでも言うつもりなのか。

 

 すると、アルバートさんはふっと怖い顔から少し物悲しい顔になって、静かにこう言った。


「悪い事は言わない。あの男と馴れ合うのは止めておきなさい。男女の仲をどうこう口出しするのは野暮だが、聖教会の人間だけは止めておきなさい。……お前のためだよ」


 子供に言い聞かすように、いつもとは違う優しい口調で私に忠告する。

 

 そして、アルバートさんは静かに資料室を出て行ったのだ。


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