3.ハルは忙しい
館長室を出ていくときに館長がものすごい勢いで私に向かって怒鳴っていたけれどそれを無視し、室長さんも私の名前を呼んでいたけれどそれも無視し、グレイさんが去りゆこうとする私の腕を掴んだけれどそれすらも振り払って私は出ていった。
お可哀想に大変でしたね。私の血が役に立つのであればどうぞお使いください。……なんて本気で言うと思ったのかね。それはそれはおめでたい話で。
そんなおめでたい話をこれ以上聞く気なんてさらさらなかったし、私はこれ以上ないってくらいに頭に来ていたし、……元の世界に戻りたいって強く思った。
結局のところ。
私はそのまま資料室にまた籠った。
館長に呼ばれる前にやりかけていた仕事を再開させて、本の装丁の修復、返却された本の整理などをしていた。
グレイさんたちを見送り終わった館長がやってきて私を人が来ない資料館裏まで連れ出し、そして説教をしてきた。怒りのままに手も出してきたからあれは説教というよりも折檻だな。予想したようにいつもの数倍も酷いものだったけれど。
それでも態度を改善しない私に業を煮やしたのか残業まで命令してきた。資料館内の床磨きをやれってさ。しかも業務終了後に全フロアの。やけくそだった私は『はいはい、やらせていただきますよ』と不貞腐れて返事をして、その理不尽な残業を拝命した。
とりあえずは通常業務をこなさなきゃいけないので資料室に戻ると、そこにはいつもの『招かるざる客』が待ち構えていた。私はその姿を認めた瞬間顔を顰める。
「あ! バーティ、やっと来たわよ」
「あ! 本当だね、エブリン」
仲良く手を繋いでこちらを振り返る男女の子供。招かざる客その一。
「来たの、双子たち」
嬉しそうに綻ばせるその顔はお互いそっくりだ。唯一違うのは互いの『石』の数だけ。兄のバーティは三つで、妹のエブリンは四つ。
館長曰く、ドモヴォーイという良家の子息女らしく、この資料館に出資しているスポンサーの子供で、最重要お客様……つまり絶対に邪険にしたり粗相したりしてはいけない人リストトップ。私からしてみれば取扱注意人物だ。
私が『招かるざる客』と呼ぶのは懇切丁寧に相手をしなくてはいけないのもあるけれど、私の仕事の邪魔をするからだ。『招かるざる客』の皆が私の邪魔をして、そして私だけが割を食う。
「悪いけど、今日は忙しいの。相手している時間はないよ」
「どうして?」
「どうして?」
私が断りを入れると、双子はすかさずハモって同じように聞き返してきた。
「言ったでしょう? 忙しいって」
「どうして忙しいの?」
「どうして今日は忙しいの?」
どうしてって……。
子供の純真無垢な質問って本当に面倒。『どうして?』は面倒事の前触れの呪文だ。
特にこの双子は確かまだ6歳だけれども、知識欲が物凄い。話を聞くに家庭教師がついていて毎日勉強付けらしく、ここに来るのはその勉強の息抜きのようだ。バーティがバートラティウスが大好きでエブリンはそれに付き合ってここに来ているが、資料室の本を読み漁ってその息抜きを終える。息抜きのはずなのにまだ学ぼうとするその姿勢には脱帽だ。
そこまではいい。
それくらいだったら私の仕事の邪魔にはならないし、勉強熱心なお子様ってだけで済む。
けれどもこの子たちの厄介な所は……
「ねぇねぇ。どうして忙しいの? 今日は異世界のお話してくれないの?」
「今日はこの間言っていた桃から生まれた人が動物を従える話を聞きたいんだけど」
「どうやって従えていたの? 特別な餌を与えて訓練していたの?」
「もしかして刷り込みとかかしら? 生まれた時から動物を育て上げて自分に従順になるようにしたって事?」
「いや、もしくは従属の魔法かもしれない」
「でも異世界には魔法はないって言っていたじゃない。ハルカも魔法は使えないわ」
「そっか。じゃあ何かの薬? そっちは科学が発展していたんだよね? 特別な機会を使って洗脳したとか?」
「ねぇねぇ。それって『動物虐待』って言うのよね? そっちの世界ではそういう認識はなかったの?」
その矛先が私の元の世界の話に向かっている事だ。
以前異世界の話をしてほしいとしつこく付き纏う双子たちを追い払うために元の世界のお伽噺をした所それを大変お気に召したようで、それ以来毎回こうやって新たな話を求めてやってくる。それが正直面倒くさい。
その探求心が大きすぎるせいで、元の世界では暗黙の了解で通っていたお伽噺の設定に突っ込みを入れ、私にその回答を求めてくるところだ。
一言いえば『知るか』、『子供話のお伽噺に野暮な突っ込み禁止』、『気にすんな』。けれども欲に忠実で空気を読むことが出来ないお子様たちは私の言い逃れには屈しない。足に食らいついてでも私にお伽噺を聞こうと踏ん張るのだ。そして毎回根負けする私がいるせいで面倒くさいの負のスパイラルに陥る。
「うるさい。あんたたちが何と言おうとも今日は時間がないの。ここに置いてある資料の装丁を修復しなくちゃいけないし」
テーブルの上におよそ80cm程度に積まれた本に手を置き、
「返却された本の整理も終わっていないし」
その隣のカウンターに置かれた推定50冊程度の本を指さし、
「その後床磨きしなきゃいけないの。全館、隅々まで、余すことなく」
最後に足元の床を指さして、私の忙しさをアピールする。逃げでも何でもなく、本気で今日は忙しいのだ、と。
双子たちは私の手の動きに合わせながら顔を振り、ようやく私の言葉に納得がいったらしい。二人互いに顔を見合わせて何かしらアイコンタクトを取っている。双子の不思議パワー、無言の意思疎通とでも言うのか、この二人はよく視線で会話をする。
「たまにはハルカだって忙しいときもあるよね」
「そうね。ここは私たちが気を使ってあげないと」
「大人だね、僕たち」
「ええ。大人は常に余裕を持つものよね」
なんと小生意気な。
たった六歳でこの世の酸いも甘いも噛み分けたような事を言ってくれる。
「じゃあ今日は大人しくしていよう。余裕がないハルカのためにね」
「そうね。仕方ないわね。ハルカのためにね」
「そりゃどうも」
もう何も言うまい。好き勝手に言うかよい、お子様たち。
ここで腹を立ててもエネルギーの無駄無駄。大人しくしてくれるのならこちらはそれに乗じてさくさくと仕事をするだけだ。
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