彼岸航路
重宮汐
彼岸の嘘
「自殺したら天国に行かれないって本当ですか?」
現世に四季があるように、三途の川野にも四季はある。今ちょうど、洒落でもないけれど、彼岸花のシーズンだ。
毎日毎日、飽きもせず死者の処理で仕事漬けの地獄の悪魔も、天国の使いも時折暇を見つけては彼岸花を観に来ている。
とはいえ、来るのはキャリアを積んだジジイババアばっかりで、「綺麗だねえ」「仕事に精が出るねえ若いの」「私が若い頃は……」
大抵そんな事しか言ってこない。仕事の邪魔。
そのうえ若い奴らは仕事中で来ない。地獄の悪魔の友達が来てさえくれれば今度呑みに行く約束でも出来るのに。
地獄の連中は呑みの席には寛容だから、仕事、サボれるのに。
「あの、私の話聞いてます?」
と。
声が掛かるまで俺は自分が仕事中だという事を忘れていた。向こう岸の彼岸花畑に気を取られて、三途の川の進路を間違えかけていた。元の進路に戻そうと、櫂を力一杯動かす。その拍子で船が大きく揺れた。
「わ!」
乗っていた客、白装束の女がバランスを崩して前にのめり込む。うん、なかなかいいケツしてんじゃん。
「三途の川の船頭さん、って、こんなに荒い運転するんですね」
「悪い余所見してた」
「転覆して死んだらどうするんですか! さっき出発するとき大事なお客様って言いましたよね!」
「死んでるじゃん」
そうだった、と言わんばかりに口を尖らせる女。
だから死にたての人間は面白い。まだ死んだ感覚が掴めてなくて、自分が死ぬ事を盾にしてくる。現世での最終手段も、ここではただの皮肉ジョークにしかならない。それを分かってるなら、また更に面白いんだけど。
「で、何だっけ」
「あ、え、だから、自殺したら天国に行かれないのは、本当なんですか?」
「ううん」
首を横に振る。
「別に、死ぬ理由なんて人の数程あるだろ。自殺した奴が必ず地獄行きになるなんて法律は無い」
「なんだ、よかった」
俺の言葉に安堵して腰を落ち着ける女。
「色んな人に聞かれるけど、そんなに天国に行きたいのか?」
船は順調に進路を進んでいる。櫂を片手で操作しながら、女に訊く。
「ええ」
女が頷く。清々したような顔で、三途の川底を眺めながらに答えた。
「私、ずっと死にたかった。あの人が、先に待ってるって言うから、追いかけて来たの」
後追い、ってヤツね。女はやけにうっとりした表情になるが、すぐに不安げな顔色を見せる。
「でも、昔、おばあちゃんから聞いた事を思い出して、ちょっと怖くなっちゃって」
だんだんと、彼岸花畑が近付いてくる。
「船頭さんの言葉聞いて安心した。二人で幸せになろうって、約束だったから」
そのうちに女の声も明るくなっていったが、自分にはもう、女が心から喜んでいるのか、分からなかった。
「律儀な奴だな」
「ありがとう」
程無くして、彼岸花畑の船着場に到着した。
「着いたよ。想い人と達者でな」
もう表情一つ分からない、骸と成り果てた女は俺に六文銭を渡すと、会釈も挨拶も無く
、赤く咲き誇る彼岸花畑の中に進んでいった。
天国へ行きたがっていた女――亡者は分かるのだろうか。
自分が彼岸花畑に足を踏み入れた途端に、咲き誇っていたはずの花が枯れ、地獄への入り口が開いた事を。
嘘をついた俺を、恨むのだろうか。
その道しかもう自分には残されていなくて、生きるべきだった命を絶ってまで逢いに行った人に、逢えない事を。
亡者の姿が消えて、彼岸花が時間を巻き戻していくように、色を取り戻していく。それを見ながら、大きく一つため息を吐いた。
「そりゃ、誰だって天国には行きたいよな――天国だし」
実際、天国なんて地獄と変わりないだろうけどね。下らない冗談に、つい、にやけてしまう。
嘘をつくのに疲れて、でも自分は嘘で構成されていて、今更やめることもできない。そしてきっとまた笑うのだろう。
天国なんて行った事無いのだ。
俺の船は、地獄にしか行かないから。
向こう岸に船を停め、新たな客を乗せる。
彼もまた、彼岸花畑を遠く目にして、俺に訊ねた。
「私は今から天国へ行かれるでしょうか?」
「ああ、きっとね」
自分では、いつ死んでしまったか、なんて覚えてない。けど、また俺が死んだら、きっとこの船に乗って、俺みたいな奴に嘘を吐かれて、地獄に行っているのだろう。
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