哲子の緒恋来(しょこら)
夕辺歩
第1話
ある英国人貿易商が好物のウイスキーボンボンをイメージして建てさせた――。
嘘か誠かそんな噂のまつわる異人館に、今は国内でも有数の菓子製造会社の経営者一家が暮らしている。
何だか微笑ましい話だ。
「おや、おはようございます」
声のした方を振り仰ぐと、
「朝のお迎えご苦労様です。哲子お嬢様、いつにも増して早うございますな」
「おはようございます。
「お寝坊な
剪定鋏を腰袋に仕舞った須賀は
「佐藤の婆さんに言うてお部屋の戸を叩かせましょう。哲子お嬢様はどうぞ食堂でお待ちを」
「須賀さん。『お嬢様』は」
「旦那様が新聞を読んでおられましたよ」
そう言ってすれ違う間際、豆絞りで赤ら顔を拭く須賀がパチリと片目を閉じたのは
吹き抜けの天井から下がる豪華なシャンデリア。隅にはオルガンと蓄音機。テーブルの上を彩る盛り花は、家政婦の一人、最年長の佐藤が生けたものだという。優美な曲線を描く飴色の階段を脇目に玄関ホールを奥へと進む。
哲子は一家が以前暮らしていた都内の純日本家屋を思い出す。あの
食堂の扉は半開きだった。寄り添うようにして中を覗くと、背の高い窓からレースのカーテン越しに降り注ぐ朝の光が、十二人掛けのダイニングテーブルに複雑な
火を入れたばかりらしい暖炉、白いマントルピースの前に屈んでいた初老の男が立ち上がった。屋敷の主、
「また
「こんな毛足の長い絨毯の上を、足音を立てて歩く女はおりません。おじさま、おはようございます」
頷いた太一郎はすぐ側の椅子を引き、片手でテーブルの上を示した。扉を閉めた哲子は促されるまま席に着いた。
開かれた朝刊の片面、全五段の記事下広告の左上辺り、いわゆる突き出し部分にそれはあった。
守永製菓の新商品、チョコレート菓子『縁結び
間もなくバレンタインデー! と太文字で記された下に『二月十四日は気になる男性にチョコレートを贈ろう』と端的な文言が続いている。妙齢の美女が
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