白金高輪駅(南北線、都営三田線)
現代でこそセレブの街として知られる白金高輪界隈。
徳川幕府成立以前から、この一帯は漁師町であり、江戸市中に比べて民家も疎らであった。
東海道の宿場町である品川宿は目と鼻の先で、歌川豊春の『絵本江戸錦』に描かれている高輪海岸を見ると、カーブを描いた海岸沿いに街道が続き、道の片側にだけ民家が立ち並んでいる。そして、品川宿の手前には花見の名所として人気のあった御殿山が見て取れる。
高輪の名所として知られているのは泉岳寺と大木戸。
歴史モノ、時代劇などがお好きな方であれば、泉岳寺の名を聞いた事はあろうかと思う。
泉岳寺といえば、忠臣蔵で知られる
もともとは家康が外桜田に創建させた寺であるが、寛永の大火で焼失。後に現在の場所に再建されたのである。
もう一つ…大木戸は市街地の境目として街道を仕切った大きな木戸で、江戸には、この高輪の大木戸と四谷の大木戸がある。
高輪の大木戸には高札場が設けられ、海岸から少し離れた場所には、通称「牛町」と呼ばれた文字通り、牛の飼育場があった。
ここから荷物の運搬などに必要な際、牛車を出した訳だ。
また、同時に東海道を往来する者が多い為、街道沿いに茶屋もたくさん並んでいた。
ここは景色が良く、江戸からもそれを目当てに訪れる者が多かった為に、観光客を引き入れる目的だったのだろう。
前述にもあるように御殿山が桜の名所でもあるから、行楽シーズンになると多くの人で賑わった事だろう。
この御殿山も桜は、八代将軍吉宗が植えさせたもので、上野の寛永寺などは将軍家の菩提寺であるから、花見といっても、あれこれ制約があるため、御殿山での花見の方が気軽であった事だろう。
ちなみに御殿山は家康をはじめとした歴代将軍が鷹狩の休息所として利用した城があった場所で、その城自体は元禄15年(1702年)に火災で焼失。結局、その後は再建される事もなく、庶民の行楽地として整備される事となった。
御殿山 銀の扇に 帆が映り
御殿山から海を行き交う帆掛け船を望む事のできる、最高のロケーションだったのだろう。
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