忘却の霧
Jami
第1話 恋とは一体
沈黙の霧。それは
「もう少しよ。ほら、霧が開けてきた…」
透き通る金糸の長い髪の少女がそう告げると、霧の濃度が薄まり足にしっかりとした大地の感触が伝わってきた。
新しい
―――あるところに深き森の城に住まう美丈夫な王子がいました。しかしその王子は
霧が完全に晴れると、目の前には森に隣接する広い草原が広がっていた。草原には道らしき跡もあり、近くに町があることが理解できる。
「レイナ。どう?カオステラーの気配は?」
エクスは大きなリュックを担ぎ直しきょろきょろと辺りを見回しているレイナに声をかけた。レイナは「うーん」と唸りながらじっと森を見据えた。
「微かだけど、この森の奥からするわ」
鬱蒼と繁る下草と、背の高い木々が密集し、森の中は暗く、どこまで深いのか計り知れない。光の射さない森に無知で入るのには勇気がいる。まして、カオステラーに侵されたこの想区では迂闊に行動すれば命の危険すらあるのだ。
「…不気味な森だな」
一度踏み入れたら二度と出てこれないのではないかと思わせる森の入り口に一瞥をくれクロヴィスは一人ごちた。
「ここがどこの想区か分からないんじゃ動きにくいからまずは町にいかない?」
「賛成!」
お腹も空いたし。とファムの提案に一同は森を背に歩き出した。冷たい風が背中を撫でるように吹いた。
調律の巫女一行。
レイナたちは世間ではそう呼ばれている。
この世界はストーリーテラー、つまり物語の語り部、神と言うべき存在が造り出したこの世界を想区といい沈黙の霧の中をたくさんの想区が漂い存在している。想区では誰もがそれぞれに役割を持ち、その役を演じきる。しかし、時としてその神の手から逃れたいという者の弱味に漬け込んだカオステラーによって本来の物語が語られず、そして想区自体が崩れていく事態が起こっている。それを阻止するためにカオステラーの力を無くし、物語を元の姿に戻す調律の力があるレイナを中心に空白の書の持ち主たちは旅をしている。
程なくして一行は町に辿り着いた。町は活気づき昼間とあって多くの人が行き来していた。各家庭や飲食店を営んでいる店先からいい匂いが漂い、一番最初にレイナのお腹がぎゅるるると盛大に鳴った。
「いっつも思うがお嬢の腹の音はすげぇな」
「うっさいわね!とりあえずヴィランもいないし別段変な気配もしないからまずはご飯を食べるのよ!」
レイナの頭の中はすでに【情報収集<食事】が出来上がっている。手ごろな店を見つけ軽く食事を摂ることにした。
「にしてもあの森からそんなに遠くないのにこの町は明るくて賑やかだね」
「あら?お客さんあの森に興味があるんですか?」
店内から町の様子をうかがっていると料理を運んできた少女が不思議そうに声をかけてきた。
「ねぇちゃん何かあの森について知っていることあるか?」
タオが聞き返すと少女は首を横に振りぞっとしたような渋い顔をした。
「知りたくもないですよ!前はもっと明るくて薪や木の実なんか採りに行っていたんですけどいつからか霧のような靄が出てくるようになって薄気味悪くて…一度入ったら出てこれないなんて噂もあって今は誰も近づかないんです」
「前は明るい森だった…やはりカオステラーか。その森には誰か住んでいるのか?」
カオステラーはそのものだけでは存在があいまいなモノである。誰かこの想区に関わる、主役と縁の深い誰かがいなければならない。今度はエイダが聞くと少女はさぁ?と首を傾げたが何かを思い出したように手を叩いた。
「誰かいるかは分かりませんが、森に行こうとする人はいます。多分もうすぐ…」
少女がそういうや否や外が少し騒がしくなる。
「ベル!いい加減にあの森に行こうとするのはやめなさい!」
「いいえお父様!わたくしは行かなきゃいけないんです!こんなの…こんなのおかしいのに…!」
通りの真ん中で中年の男性が菫色の髪の少女の腕を掴み、必死にその歩みを止めようとしている。道の真ん中で親子喧嘩か?とつぶやくタオにレイナが馬鹿!と頭を小突く。
「ここは”美女と野獣”の想区だったのね!あれは主役の一人ラ・ベルだわ!事情を聴きましょう!」
いつの間に腹に収めたのか、テーブルの上の料理は消え、腹を満たしたレイナはすくっと立ち上がると誰よりも早く店を出た。
「今日こそ行かせてお父様!」
「だめだ!いいじゃないか!例え運命の書に書いてあることが叶わなくても、恐ろしい目に合うことなく過ごせる。それでいいじゃないか!」
小さな荷物を担ぎ、父親の手から逃れようとするラ・ベル。どうやらラ・ベルの運命の書にないことがすでに起こっているようだ。それを悟ってレイナがラ・ベルに話しかけようとした時、ラ・ベルが悲痛な声を上げた。
「そんなの…そんなのないわ!わたくしは怖いの。決められた運命が、叶わなくなることが怖いの!わたくしの恋や愛が一体なんなのか、分からなくなるのが怖いのよ!!」
想区に漂う空気が震えた気がした。
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