みっつのキモチ、みっつのコタエ
奔埜しおり
君をキャラメルで餌付けする。
かわいいわんこの
「おはよーっ!」
キュッキュッと床を移動する足音。リズミカルに音を立てて、手や床、そしてネットを駆け回るボール。汗と制汗剤の爽やかな香りが混ざり合う。たった数ヶ月前まで自分もこの景色の中にいたのが信じられないくらい、それはとても眩しかった。
男子バスケ部。私はそのマネージャーをしていた。
「
私に気づいた茶髪の後輩が一人、大きな瞳を輝かせて駆け寄ってくる。この笑顔をこの学校の生徒たちは密かに、ワンコスマイルと呼んでいる。言われてみれば確かに、飼い主を見つけて駆け寄ってくる犬のようである。フリスビーや、首輪まで見えてきそうだ。
「どうしたんすか?」
「今日はなんの日でしょうか?」
「なにって……火曜日、ですよね?」
「啓、バカ! バレンタインだぜ! バ・レ・ン・タ・イ・ンッ!」
「あっ!」
いつの間にか練習の手を止めていた他の部員が立花君に大声で怒鳴る。すると、なるほど、と閃いたように立花君が両手を鳴らす。
「先輩からのお恵みっすね!」
「まあ、そういうことで、はいっ!」
私は右手に持っていた茶色の紙袋を立花君に渡す。中には人数分に個包装したチョコレートクッキーが入っている。もちろん手作りだ。丸い形で、バスケットボールをイメージして模様を入れてある。
「あざーっす!」
部員全員からの低くて太いお礼の声は、どこか嬉しそうで、こっちまで嬉しくなってしまう。立花君が部員たちの方へ行くと、一気に部員は円になり、上の学年から順に、紙袋に手を突っ込んでいく。きゃっきゃっと騒ぐ後輩たちを微笑ましく思いながらも、私はこっそり立花君に手招きをする。それに気がついた立花君は、首を傾げつつも他の部員に紙袋を渡して駆け寄ってくる。
「なんすか?」
「あのね……」
早くなる鼓動に気づかれないように、小さく深呼吸をしてから、スクールバッグに手を入れる。私は高校三年生。来月には否が応でもお別れが来てしまう。だから今のうちに想いを伝えてしまおう。せっかく伝えるのなら、今日がいい。そう思って、昨日友人や後輩たちに配るためのクッキーを焼いたあと、ありったけの想いを込めてせっせとコレを作ったのだ。
スクールバッグの中に、ピンク色の小さな紙袋、中には淡い橙色に包まれた丸い容器が入っている。紙袋に近づいていく指が震える。落ち着いて。ただ渡すだけなのだから。大丈夫、大丈夫。
「実は……」
「立花君おはよう! ちょっといいかな!?」
「抜け駆けずるいッ! けー君! 私も用事あるの!」
「
「
「
どこから溢れて来たのか。みるみるうちに体育館の入り口は女子生徒で埋め尽くされていく。
「体育館裏って、俺今から絞られんの……?」
「おいこら
部員たちからまた低い声が聞こえてくる。そんな中、立花君が女子に迫られ、困ったように私とそちらを交互に見る。
周りがどこか浮ついた空気の中、私の中で膨らみかけていた勇気は、あっという間にしぼんでしまう。こんな大勢の目の前でアレを渡すなんて、今の私にはとてもハードルが高い。
「俺、今……」
「あー、うん。やっぱりなんでもない。差し入れ、よかったら食べて。朝練頑張ってね。それじゃ」
「え、あ……」
なにか言いたげな立花君に手を振り、私はその場をあとにした。
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