第195話 休眠、そして覚醒

正嗣が脚を突っ込んでいるこたつの左ななめ前では高さ1メートル位の白いツリーが金、銀、橙、緑、青、ピンクの光を明滅させており、


ああやっばりクリスマス近いんだなあ…と忙しい現実をしばし忘れさせてくれる。


両脚は心地よくて眠気がする程温かく、

そしてこたつ向こうの畳の上では聡介が座布団二枚を布団代わりにして寝転がり毛布を被って気持ち良さそうに寝息を立てている。


七城正嗣29才社会科教師は、ここ伏見稲荷神社赤鳥居の途中の三次元と四次元の狭間にある料亭「木の葉」にいきなり転送されて困惑していたが、こんなことはもう何度も経験しているので今の状況に十秒で慣れた。


目の前には牛肉のしぐれ煮が盛り付けられた小鉢と熱燗とお猪口がさしずめ居酒屋のお通しみたく並べられている。


確か2、3分前まで自分は自宅の書斎で期末テストの採点チェックを終えて座椅子にもたれて背伸びしながら、


さて、一息つくか。と思っていた所であった。


きっとここの女将で食物神ウカノミタマさまが私の思考を読み、


だったらここで一息付きなさいよ。


と転送してくれたのであろう。正嗣はまずは合掌し「いただきます」と言ってから箸で牛肉のしぐれ煮を取って一口かじり、


「うまい、これはいい牛肉を使っている」とひとり感想を述べてから熱燗の焼酎をお猪口に注いだ。


こんな状況、飲まなきゃやってらんない。


野上聡介が目を覚ましたのはそれから15分後のこと。枕代わりに折り畳んだ座布団から頭を上げた聡介は半身起こし、手酌酒ですっかり寛いでしまっている正嗣と、次いで六色の光が弱々しく明滅するクリスマスツリーもどきを見てから、


「あー、やっぱ『こいつら』弱ってやがるなー」と呟いた。


「こいつら?」


「正嗣、アルコール入ったお前にはこれが何に見えるか解らんが近づいて目を凝らして見ろ」


言われた通りに正嗣が光を抱えた三角錐の物体に近寄って目を凝らすと…


それは三段のケーキスタンドでありスタンドの各段に並んだ白いお皿の上に体長13.5センチのこてんしたちが羽根を縮めてうつ伏せで転がっているではないか!


デザート皿の上で一体ずつ丸まるこてんし。

その様はまるで「食べてくだしゃい」と主張している愛らしいマカロンのようである。


「そういえばこの青く光るこてんしは、ガブリエルさん?七月に乙姫おとめさんと口喧嘩してた」


「ぱぴぃぃぃ…ん、マサ気づくの遅いでしぃ…」


顔だけ上げたガブリエルは鈍い奴、とでも言うように横に青い筋が入った羽根をぴっこっ、ぴっこっさせた。


ガブリエルだけではない、髪の色から判別するにこてんし化したのはミカエル、ウリエル、ラファエル、ジョフィエル、そしてルシフェルと主だった大天使達なのだ。



「なになになに?一体何があったとですか!?」


あー、それはだな…と起き上がってこたつに脚を入れて吐息を洩らした聡介は5時間前に起こった天使達の異変を話し始めた。


「仕事の休みの日に道場で稽古を付けた俺は暇になってさて、何しよっかな~。と机の上で伸びをしている時だった。天井のこてんしハウスからミカとウリとジョフィーの三体が螺旋状にゆっくり落ちてきた」


床に落ちる直是で掬い上げた聡介の腕の中でこてんし達はぐったりとして「何があった?」と聞いても答える気力も無い様子である。その時、


「野上のおっちゃんっ、ガブちゃんが急にマスコットみたいに縮んでもうたあー!」


といきなり榎本葉子がこてんしガブリエルを両手に乗せたままこたつの上にテレポートして来て、

同時にスライド書棚が開いて、

「そーすけっ、カウンセリング中にラファエルがっ!」

と記録天使ラジエルがこてんしラファエルを片手に握って六畳の聡介の自室になだれ込んで来た。


「つまりは大天使全員が六年に一度の『休眠期』に入ってしまったためパワーを抑えるためにこてんし化してしまったんだ…とラジエルは説明し『穀物神ウカノミタマにしかこてんし達を癒せないから連れてってくれないか?』と用事を仰せつかった。って訳」


「それでは頼む」とこてんし達を入れるペットケージを押し付けて(いくらなんでも部下にその扱いはひどい)ラジエルが本棚の向こうに消えたのと入れ違いに


「大変や聡ちゃん、うちのるーちゃんが!」


と階段を駆け上がって慌てて部屋に入って来たのは黒い羽根のこてんしルシフェルことるーちゃんを胸に抱いたウズメだった。


「そ、そーすけ。へるぷみ~…」


養子が急に縮んでテンパってるのは解るが。


ウズメさん、なぜるーちゃんを胸の谷間に挟んで運ぶ?

それともるーちゃん自ら埋もれて行ったのか?


とツッコミを入れたかったが面倒臭いのでそのラジエルから渡された見た目異星生物でも閉じ込めてそうな黒い機械型ペットケージに6体のこてんしを入れてすぐさま料亭「木の葉」にテレポートした、という顛末を語った。


「…なんか、見た目ファンシーで可愛くてずっとこのままでいて欲しいんですけどね」


元に戻ったらこの地球をるだの、


宇宙の質量負荷を減らすために人類粛清するだの

時たま物騒な事をうっかり口滑らして言う種族に対して本気の願いを込めて正嗣は言った。


「そこなグリーン正嗣よ、心の本音は解るが我らが働いてないと宇宙全体の運行が停滞するのだ、でしぃ…」


破壊天使ウリエルでさえもオレンジ色の髪と目をしたファンシーなマスコットキャラに成り下がって皿の上で這いつくばっている有り様である。


「そうよっ、私の夫までもが小型化するこのにっくき休眠期っ!」


と襖を開けて入ってきた和服美人はのは異次元料亭「木の葉」の女将でスサノオの娘で穀物神のウカノミタマ。


彼女は実はウリエルの妻なのであるが、天使と八百万の神という種族の違い。という理由で上司のミカエルに結婚を認めてもらえない1200年の内縁関係なのである。


「と、言う訳で休眠期に入ったこてんし達を癒すのはわたくしウカノミタマの手作り料理なのです。葛葉くずのはちゃん配膳してー」


そう女将に急かされてへいへい、とこたつの上にカセットコンロと出汁の入った鍋を置いて火を点け旬の野菜と海鮮の並んだ皿を並べる吊り目の仲居の少女、名を葛葉くずのはといい正体は九尾の巨大な狐である。


「箸で掴みやすいように切った魚の切り身…これは海鮮しゃぶしゃぶ鍋ですか?」


「さっすがグリーン正嗣ちゃん、今夜の献立はずばり海鮮しゃぶしゃぶよ。でもこうやって具を細かく切ってあるのはねえ」


そこでウカは菜箸でつまんだぶりの切り身を煮えた出し汁にくぐらせて火を遠し、彼女の膝元に来て口を開けているこてんし達に「はい、あーんして」と食べさせ始めた。


羽根をぴこぴこさせながら口を開けるこてんし達に喜んで鍋の具を与えるウカさんはまるで文鳥の雛に餌付けする飼い主だな、と思いながら聡介と正嗣も各々箸でつまんで火を通した具を口に入れて、


「うわっ、魚の身がぷりぷりして鮮度がいい!」

「京野菜の具で鍋だなんて乙ですねえ」と高級料亭よりもレベルが高い木の葉の料理に舌鼓を打った。


「俺が今夜ここに正嗣を呼び出したのはねえ」


え?私を呼んだのは野上先生の仕業だったのか。一体何の用事で。


室先生むろせんせいとの婚約おめでとう。と二人きりの時に言いたかったんだよ…」


下戸なのでお子様シャンパンをあおり、照れ臭そうに鼻を掻く聡介のうつむいた顔に正嗣は酒よりも鍋よりも温まるものを感じた。


「なんだか先越してしまってすいません」


「そーだよ、レッドは新婚、ブルーは婚約中、イエローはホワイトにアタック中。とこんなリア充過ぎるヒーロー戦隊の中で俺だけ彼女無しだぜ!」


「まあまあ、野上先生性格に難ありだけどいい人だからその内好いてくれる人が現れますって」


差し向かいで鍋をつつき合って軽口を叩き合って小一時間後、正嗣はとある重大事に気づいた。


「ねえウカさん、天使たちが休んでいる間は一体誰が宇宙の運行を管理してるんですか?ラジエルさん一人でやってる訳じゃ…」


「もう代行天使の双子はとっくに覚醒済みで任地に着いている筈でしぃ」


たらふく食べて少し元気になったこてんしミカエルが羽根をホバリングさせて正嗣の目の前で可愛くウインクした。



その頃、日舞喬橘流京都本部、紺野家の稽古場では家元の息子、紺野蓮太郎が10日後に控えた今年最後にして最大の発表会の演目「京鹿子娘道成寺きょうかのこむすめどうじょうじ」の花子役の舞の稽古を終えて正座した両ひざの前に畳んだ扇を置いて誰も居ない客席に向かって深々と頭を下げた…


今日の稽古で父であるお家元から、

「やっと仕上がってきたな」と初めて花子役でお褒めの言葉を戴いた。


でもまだまだ足りない、と自分では思っている。怨霊花子の欲深さや浅ましさを何処まで表現出来るか。


まるで仏師が仏像の細部の仕上げを施すような練太郎の鍛練の日々が続いた。


全身に玉の汗をかき、体重も1日で1キロ近く減るくらいの努力。でもまだまだ足りない。


舞台から降りた蓮太郎は汗を拭いたタオルを首にかけて水分補給のためにイオン飲料のペットボトルに口を付けてから、


「まあ、心身ともに健康じゃないとお客様にいいもの見せられないわね」と独りごちた。


その途端頭上から

「その通り!」と少年の声がし、ぱちぱちぱち。と無人の稽古場に拍手が鳴り響く。


「だ、誰なの!?」


薄暗い客席にぽう、とソフトボール大の白い光が浮遊し、それはたちまち16、7歳位の少年の姿になった。


白い髪をおかっぱにした紅い瞳の少年は上半身はぶかぶかでざっくり編みの白い毛糸セーターにデニムの半ズボン、さらに脚には毛糸編みの黒いニーハイを履いている。


「ピンクバタフライ紺野蓮太郎さんですね」

「あんた誰よ」

「私は担当天使ジョフィエルの代理として参りました。大天使メタトロンと申しましでし。以後メタちゃん、とお見知りおきを」


大天使メタトロン。


旧約聖書では彼は聖エノクという人間としての過去生を持つといわれている曰く付きの天使だが自分から「メタちゃん」と内臓感溢れる自己紹介されても。と蓮太郎はしばらくの間困惑したが…


でもジョフィエルよりは圧し強く無さそうだからいっか。


「よろしくね、メタちゃん」

「こちらこそ」


蓮太郎とメタトロンは何故か人差し指の先っちょを合わせるET式の挨拶を交わしてにっこり笑い合った。












































































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