第193話 三貴子

その日、ユミヒコ王子は王宮の中庭に降る雨を物憂げに眺めていた。


灰色の雲の中で凝結した水滴が落下し、草木を濡らす不規則的な雨の音を聴いていると不思議とユミヒコの心は休まるのである。


「ねえ思惟」

「はい王子」

「昔我々の先祖が捨てた母星の自然というものはこの雨のように何者に対しても平等なのだな」


ユミヒコはコロニー内の惑星改造計画(地球でいうテラフォーミング)で先祖が母星を棄てる前に採取した動植物の遺伝子から復元した実験用箱庭、


高遊原タカユバルを見下ろせる展望台のベンチに思惟と並んで腰掛け、昨日までの心身の不安定さが嘘だったと思えるくらい穏やかな顔つきをしている。


今朝、重だるい気分で目覚めたら鈍い下腹部痛と寝具のシーツに付いていた血液を確認し、着衣を脱いで鏡の前に立ち、昨夜まで男子だった自分が女子の肉体に変化している事をこの目で確かめた。


ああ…父王が前もって説明して下さった完全両性とはこういう事だったのか。


これは成長の証し、生まれて始めて女性期を迎えただけの事だ。と頭では理解していた。が、最初に呼ぶ侍従は思惟にするか乳母のウズメにするかとしばらく迷った末にウズメを呼ぶことにした。


やはり自分は混乱していたのだな。と後になってユミヒコは思う。


とにかく

この日までの嵐のような精神の変調、感情の乱高下から解放されたのだ。


ユミヒコは思惟の肩にもたれて「なんだかこのまま居眠りしていたいよ」と目をつぶるが

「お体を冷やしますからダメです、でも8分50秒間はこのままでいて宜しいですわよ」と自分の脳波レベルが疲労から睡眠に移行するまでの時間を計測した思惟に言われた。


どれくらいそうしていただろうか、思惟に肩を揺すられ気がついた時には既に思惟はベンチから立ち上がって畏まり、隣には父であるイザナギ大王が腰掛けていた。


王の証である銀と青のたすきを外し、携帯しているじょうを侍従のフトダマに預けて、


今は王ではなくお前の父親だ。


と示して見せたイザナギは白い顎髭をたくわえた顔で頼りなく微笑んだ。


「ちょっと二人だけで話をしようか」


その日の夕方、王族のプライベート用の食堂に駆け込んだ青衣の少年は目映すぎる光に一瞬目が眩んだ。


「姉様張り切りすぎて光り過ぎ!光量落としてってば!」


とバイザーで目を覆いながら天井で飾り付けをしている紅衣の少女に注意すると少女は「あ、ごめんごめん」と言って弟に軽く詫びながら全身から発される光を落とした。


天上から高天原族の神鳥である三本足の鳥、ヤタガラスの模型をぶら下げ終えた少女は4メートルもの脚立から飛び降りてすとん、と二本足で着地する。


そして姉弟二人で飾り付けた食堂内を見渡して「うん、これでよし!」と満足げにうなずくと自ら脚立を折り曲げて片付けて父王ともう一人の兄弟の入室を今か今かテーブルの席に着いて待った。


「ユミヒコ兄さま、昨日までずいぶん荒れてたけど今日から『大人』になった。ってどういう意味なんだろうね?」


それを聞いた姉のヒルメ王女は弟オトヒコ王子を…


あんた、そんなことも知らないの?


と呆れた目をしたが膂力は高いが情緒が幼いこの弟にユミヒコに起こった肉体の変化を説明するのは…


結構面倒だな。と思ったので、


「それは私たち三人の誕生日だからでしょ」


とはぐらかすとオトヒコは「それは7日後の夏至の日じゃないか」と言い返す。


「だ、だから前倒しでお祝いするのよ。お父様もお忙しくなるでしょうし」


とそっか~。と無邪気にうなずいたオトヒコは「そういえば兄様の荒れっぷりだけれど僕が何度押さえつけても暴れるし結局姉様の『言霊ことだま』で大人しくなったよね」


とさっき言いかけた事を思い出してヒルメに振った。ヒルメは自らの喉にある渦巻型の痣を指でなぞりながら、


私の「言霊」(強制的に声で相手を従わせる一時的な洗脳)でしか大人しくなれないなんてあの子相当重症だわ。


今後定期的にあんな騒動を鎮めなければならないのかしら?


と気の重くなる想像をした。


姉弟が他愛もない会話をしている内に食堂の扉が開き、父王イザナギが天上から吊り下げたヤタガラスを中心に母星の古代の生物が壁じゅうに描かれているのを見て、


「これは張り切って描いたなあ…オトヒコの仕業だな?」

と驚いた後で苦笑し、思惟が「この絵は特殊な光を当てれば消える塗料で描かれております」と父王を安心させる分析をし、最後に入ってきたユミヒコ王子は、


長い髪を結って花で飾り、藍色のドレスに身を纏い顔に薄く化粧を施していた。



それは雨の中庭を見つめながらの父イザナギとの会話。


私は自分の胸腺の生殖細胞からお前たち三兄弟を作った。元々一つの細胞だったお前たちは三分裂し、


長女ヒルメには光子エネルギーを組み込んでこれから永くコロニー『タカマノハラ』の動力となるよう。


末子のオトヒコには限界を越えた運動能力を付けさせ一族を守る力を。


そして真ん中のユミヒコ、お前には機械を凌駕する知力と男と女、両方の性染色体を持たせた。


…そうだ、光と力を調律する存在になってくれるよう計画的にお前を作ったのだ。


それでは父様、私はこれから二つの性の間を行ったり来たりしながら生きる事になるのですか?


そういう事になる。永年、移住すべき惑星も見つけられずに減少していく一族を守るために非情の実験を我が子に施した。父を恨むがいい。


僕…いえ私はそうは思いません。

二つの肉体を持つ人生があるだなんて面白いじゃありませんか。うんざりするほど長い寿命を全うする楽しみが出来ました。


「姉様、オトヒコ。今日は私が肉体的に大人になり女性になったお祝いです。公式の場でも『王女』と呼んでくださいましね」


こうしてオトヒコ、後のツクヨミ王子兼王女は移り変わる心身の性のまま生きる事にした。


「その時の姉ヒルメ姉様と弟のオトヒコが席から立ち上がってぽかんとした顔で私を見ていた様子ったらなかったわ」


店内のTVモニターの向こうでパジャマ姿でシーツにくるまり戦隊メンバーに話しかけるツクヨミの声は低く体つきは一回り筋肉が付いて見た目完全に「男」になっていた。


思惟が月基地のツクヨミお籠り部屋のカメラに回線を繋ぎ、「これが今の王子のご様子です」と性転換期モニタリング中のツクヨミを皆に見せた。


これに夕方シフトに入ったきららと稽古の休憩に来た蓮太郎が加わり、二億光年の銀河に居た異星人たちの過去話を聞いている。


「あの…姉のヒルメさんと弟のオトヒコさんってやっぱり?」


ときららがツクヨミに質問するとそうよ、と相手はうなずき「ヒルメ王女は後の天照女王でオトヒコ王子は後のスサノオ。ちなみにオトヒコって次男、って意味だからね」と膝を抱きかかえながらふふっ!と肩を揺すった。


「今もメンタル乱高下中?」と蓮太郎が尋ねるとツクヨミはあ~…と気弱にうなずいてから、

「今は思惟にモニタリングさせて何とかコントロール出来るようになったんだけどね、肉体が変わる6の月と12の月はイライラが抑えきれずに…つい荒ぶっちゃう(暴れちゃう)の。お願いだから思惟、早く帰って来て~」


それまで無表情だった思惟が「嫌です!」と金切り声で叫んでモニター越しに両手を合わせて謝ってくる主にそっぽを向いた。


「だいたい王子がストレスやけ食いで今月分の私のスイーツまで食べておしまいになったのが原因ですからねっ!しばらくはそこにある食糧で我慢なさい」


し、思惟~…


と半泣きになるツクヨミの映像を思惟は強制的に消した。


「さあ、気を取り直して年内の食糧買い出しついでに地球の東京下町ライフ満喫致しますわよっ!んっふっふっふっ」


と含み笑いする思惟を前に戦隊メンバーたちは、

何だか…


長年連れ添った夫婦のしょうもない内容の喧嘩を見せつけられた気がしてそれぞれの表情でげんなりしていた。


こうして師走の古民家安宿に人間でないお客様ハイテク系一名、「いなほの間」に宿泊決定。



















































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