5週目 お勉強会

「なん……だと……!」


その日、俺は雷に打たれたかのような衝撃に襲われていた。

いつも通りの月曜。いつもの時間。……のはずだ。あれ、俺もしかして時間間違えた?学校に着くのいつもより遅れてた?


俺がこんなにもうろたえているのは、あのるなちゃんが先にいるからだ。その上……自席に座り、机には教科書を置いている。


「勉強教えて」

「えっと……?」

「掃除はもう終わらせてる。だから、勉強教えて」

「教えるのはいいんだけど……掃除全部終わらせたの!?別に勉強教えるなら放課後とかでもよくない!?」


入学初めての中間考査がいよいよ来週に迫っている。勉強とはそのテストのためのものだと容易に想像は着くが、かといってその勉強をこんな時間も少ない朝にやる必要があるとは思えない。

それに俺としても、放課後に会える方がこの時間以外に月ちゃんと会えるから嬉しい。


だが俺の言葉を受けた月ちゃんは、軽く鼻で笑ったあと心底馬鹿にしたような顔で答えてきた。


ひかるくん。私がそんなに、起きてられると思うの?」

「それを自信満々に言われても困るなぁ……」


授業中すら寝てる月ちゃんが放課後に勉強のために起きてるとも思えない。むしろ早起きしてる今日がイレギュラーすぎる……っていうか。


「勉強教えるのは問題ないんだけど……テスト勉強をこの時間だけで終わらせるの?無理じゃない?俺の指導スキルそんなに高くないよ?」

「大丈夫、私は曜くんを信じてる」

「その絶対的な信頼は何!?俺、月ちゃんの前でそんなに勉強得意な雰囲気出した覚えないんだけど!!」


月ちゃんにかっこよく見られたくて勉強はしている。中学の頃よりはだいぶ勉強はできるようになっていると思うが、誰かに勉強を教えてもらうことはあっても教えたことなど一度もない。

指導スキル高くないと言ったが、正確に言えば『無い』と言ってしまった方がいい。……だというのになぜこんなにも期待されているのだろうか。


そこについて少し確認したいが、せっかく月ちゃんが勉強の意欲を見せてくれたのだ、ならその気持ちに少しでも応えてあげたいと思う。


ぶっちゃければかっこいいところ見せたい。好感度稼ぎたい。


「ま、まあやらないよりはましだし、早速やろうか」


席に鞄を置いて月ちゃんの近くの席へ腰かける。月ちゃんは机に置いた教科書を……全教科分が山のように積まれた教科書を見つめながら口を開いた。


「って言ってもこの朝の時間だけじゃそんな幅広く教えられないからね」

「……なら、ここだけ教えて」


月ちゃんが開いたのは現代国語の教科書だ。載っているのは短編小説。


「他の科目は、暗記でなんとかなる。なんとかならなそうな数学は捨てた」

「捨てちゃったか……」

「国語も、漢字の読み書きは覚えればなんとかなる。作文は書けば少しは点数がもらえる。でも、これだけは全くダメ」

「……具体的にはどうダメ?」

「作者の意図が全く分からない。選択式のものでも無理」


気持ちは分かる。俺もそこはよく点数を落としていたから、重点的に勉強するようにしている。


「まあ、こういうのは自分で考えても意味ないからねえ。あくまで考えなきゃいけないのは登場人物の……いや、作者の気持ちか。だから、選択肢の中に小説内の文章と似たようなのあればそれが正解……の確率が高いと思う」


勉強するようになってからまだ一度もテストがないから、これが正しい勉強法か分からない。ただ『答えは文章の中にある』というのはよく聞く話だし、見当違いということはないだろう。


「似てるのがあれば……」

「あ、でもただ似てるからってよく考えずにそれ選んじゃだめだよ。文面が似てても『○○である』と『○○でない』って風に、文末の一言で真逆の意味になってることもあるから。そのときは残りの選択肢から勘で選んでね」

「勘……雑……」

「国語そんなに得意じゃないんだ。どっちかっていうと数学の方が好き」

「数学は、許さない……!」


なにがそこまで彼女を駆り立てるのか、数学に対してめらめらと怒りの炎を燃やす月ちゃん。高校入学までにいったい何があったんだ……。


「問題が選択式じゃないときは?」

「この場合も文章内と似たような感じのこと書くか……それか授業で先生が板書してるでしょ?それが大体答えだよ。似たような文章書いときゃ大丈夫大丈夫」

「………」


彼女は下を向いてしまったが、特にメモを取ったりしているわけでもないようだった。どんな発言をするか、しばし待っているが返ってくるのは静寂のみで思わず質問してしまった。


「どうしたの?」

「作者の気持ちがどうだとか、あなたの気持ち書きなさいとか、そんな問題に点数を付けるのって正しいことなの?」


最初こそ国語に嫌気がしたため文句を言い始めたのかと思ったが、その表情に純粋な疑問しかないことに気付き、姿勢を改める。

本気の質問には本気の回答をしなければ男の名が廃る。


「あくまで個人的な感想だけど、すっごく個人的な感想だけど」

「うん」

「ぶっちゃけ俺は、国語に限らず学校っていうシステムそのものが間違ってると思う」

「えっ」


予想のさらに上を言っていたのだろう、俺の過激な発言に月ちゃんはぽかんと口を開けて固まってしまった。


「例えば、さっきの読解の問題だけど。これのやりたいことは分かるよ?一つの問題から常識的な回答を導くことができないと、大人になってから相手の言いたいことが分からない馬鹿になってコミュニケーションが取れなくなる。……でも、それで感性をひとまとめにしておきながら個性がどうのこうの言ってる人を見ると『馬鹿じゃねえの』って思う」

「う、うん……」

「他にも、この前月ちゃんが『二次方程式なんて人生で使わない』って言ったでしょ。……その時も言ったけど、まさにその通りだよね。あんなもん使わないよ。使わない。たとえ使うとしても1回か2回だよね。それよりももっと大事なものがあると思うんだよ」

「そ、そうだね……」

「理科とか社会とかもね。理化学分野に行くわけでもないのに元素周期表覚えてもの意味ないし、社会……社会とかね!あんだけ苦労していろんな人とか出来事覚えても使うの織田信長だけだよ。むしろ織田信長よりアーサー王の方が使うよ、ゲーム的に」

「えっと、曜くん……?」

「英語なんてもうさ……もうさ!」

「ス、ストップ曜くん、落ち着いて」


珍しくあわあわしている月ちゃんを見て、ようやく自分が立ち上がって熱弁していることにようやく気が付いた。恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じながら席についた。


「……曜くんって、意外と毒を吐くよね」

「ご、ごめん。テンション上げすぎた……」


月ちゃんが少しだけ笑っているのが余計心に刺さる。恥ずかしい!穴があったら入りたい!


「曜くんが学校のことを嫌いなことは、よく分かった」

「……うん」

「私も学校に来るのが、すごく嫌。誰と話すでも何を学ぶでもなく、ただただ怠惰な時間を過ごすだけ。意味もなにもない」

「時間は奪われて得るものはない……ってね」


うんうんと力強く頷いて強い肯定を示す月ちゃんの瞳は、まるで同志でも見つけたかのように輝いている。これだけきらきらした月ちゃんを見るのは初めてかも知れない。


「まあ今は割と学校好きなんだけどね」


そんな月ちゃんをあえて突き放した。

ここで月ちゃんに合わせて好感度を稼ぐことも考えたけど、それはなにか違うだろう。

好きな人のために自分を変えるのと、好きな人のために自分を偽るのは同じようで違うことだ。


「……前までは友達と会えるってのを差し引いても学校が嫌いだったけど……この学校には月ちゃんがいるから。俺はそれだけで学校が好きになれた」

「ずるい。私はまだ、好きになれてないのに」

「あはは……月ちゃんに好きになってもらえるように、これから頑張るよ。だから、ね?上げて落としたのは本当に悪いと思ったから……ね?シャーペン構えるのやめよ?」


鋭い視線で俺を睨む月ちゃんは、威嚇でもするかのようにシャーペンをカチカチしている。そんなにすると芯が……あっ、折れた。

ますますもって不機嫌になっていく月ちゃんをいかにしてなだめようか悩んでいると、俺はふと先ほどの発言が気になって月ちゃんに質問した。


「月ちゃん、さっき『まだ好きになれてない』って言った?『まだ』って……」

「……ほんの少しだけ、学校に来るのが嫌じゃなくなった。ほんの少しだけ……この時間のおかげで。でも、ほんとに少しだけ。まだまだマイナス」

「そ、そっか……」

「曜くん、顔がだらしないよ」


きりっとしようとしても、頬から力が抜けていく。変な声が口から漏れてるのも感じているがもうどうしようもない。


嬉しい。ほんっとうに嬉しい。


俺が月ちゃんの心を少しでも動かせたということが嬉しい。月ちゃんの心を少しだけでも前向きに動かせたことがとてもとても嬉しい。そりゃあだらしない顔にもなってしまう。


「絶対好きにさせてみせるから。任せて」

「やれるものなら、やってみるがいい。私の心は、そう簡単には動かせぬぞ」

「なんで急に魔王っぽくなったの?」


月ちゃんの心変わりの意味がよく分からないが、これでまた一つ目標が増えた。


月ちゃんが学校を楽しいと思えるようにする。

勉強もなにも関係ない不純な動機のようにも思えるけど、俺を好きになってもらって学校を好きになってもらえればそれでいい。


それと。


「いつか、勉強も好きになれたらいいね」


意味がないと思ってしまうとどうしてもやる気がなくなってしまうから、今はまだ好きになれていないけど……いつか好きになれるのだろうか。

無意味だと思っていた勉強に意味を見出だせる日が、まるで興味のなかったものをいつか知りたいと思えるようになる日が、俺にも来るんだろうか。


……もし来るとしても、それはおそらくずっとずっと先の話だろう。なら、俺はそれよりも先に一人の女の子を惚れさせたい。


「勉強は、たぶん好きになれない。だから……好きになれそうなものから、好きになる」


月ちゃんの瞳が俺を見つめて離さない。そこにどんな意味があるか分からないけど……目を逸らすようなことはせず、まっすぐ受け止めた。


見つめあったままどれだけ時間が経っただろうか。先に目を逸らしたのは、少しだけ頬を赤く染めた月ちゃんだった。


「なんで、目を逸らさないの」

「月ちゃんが可愛すぎて」

「……ばか」


小さくなにかを呟いたかと思ったら、そそくさと教科書をしまい始めてしまった。後ろを向いて時間を確認しても、まだ少しくらいは勉強できる時間は残っていそうだが……。


「国語は勘って教えてもらった。ならもう大丈夫。おやすみ」

「それ大丈夫じゃないからね!?」


俺の言うことも聞かずに寝てしまった月ちゃんにため息をついてしまう。寝顔も可愛いからこのままずっと見つめていたいが、この状態で誰かが来てしまえば気持ち悪がられてしまうだろう。


「寝顔も可愛いなぁ……」


写メを撮りたい気持ちを必死に抑えながら、俺の席に戻る。

と、完全に油断していたところに後ろから声を掛けられた。


「……テストの点数が上がってたら、ご飯の場所のヒントあげるね」

「え、あ、ありがとう」


そうだそうだ、月ちゃんが先に来ていた衝撃で少し頭から消えていたが、先週は月ちゃんの昼ご飯場所を見付けることができなかったんだ。

さっきのアドバイスで点数が上がるかは不安しかないし、まあヒントもらえればラッキーくらいの気持ちでいよう。


………あれ。


「ねえ。俺、月ちゃんが完全に寝たと思ってこっちに戻ってくる間に一言呟いちゃったんだけど、それ聞いてた?」

「…………」

「肩めっちゃ震えてるんだけど!絶対聞いてたよねえ!!俺が思わず呟いちゃった言葉完全に聞き取ってたよねえ!?」

「……ふっ」

「聞かれてたあああああああ!!」


思わず頭を抱えて机に突っ伏してしまう。


あああああ今すぐ帰りたい!!勉強なんてほっぽりだして家に帰りたい!!

なんで……なんであんなタイミングでだけ起きてるのさ!!寝ててよ!!


「ふっ……ぷふっ……」

「うあああ……ああああああ!!」


――月ちゃんの笑い声と俺の奇声は、綺星きららが入ってくるまでずっと続くのだった。

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