第34話 為替協定 過去

――藍人 過去

 藍人は会社の命令で再びロシア公国を訪問していた。藍人の会社は商社だから有力な物があれば輸入してこいとのお察しだったが……物品の指定なしで命令されると藍人としては辛いところだ。

 彼は日本人の通訳と共に、ロシア公国の首都ウラジオストックまで来ていたがどう動くべきか途方に暮れていた。会社の意図は分かる。先日ロシア公国と関税協定が結ばれたからだということは。

 ロシア公国からの輸入品は品目にもよるが、新しい関税協定によってこれまでの関税と比べるとおよそ半分にまで低下することになる。これに藍人の会社だけでなく、他の商社も色めきだっているというわけだ。


「いくら何でも無計画過ぎますよ……」


 藍人はつい愚痴を呟いてしまう。彼がしまったと思った時にはすでに遅く、口をついて出てしまっていた。

 彼の愚痴が聞こえていた通訳は肩を竦め苦笑いをしながら藍人へ応じる。


「藍人さん。まあ、ご飯でも食べて気分転換しましょうか」


 二人はしばらく店をさがし街を散策すると、年季の入ったバーを見つけたのでそこへ入ることにする。

 店はカウンターとテーブル席に別れており、彼らは店主から何か話を聞けるかもしれないことを期待し、カウンターへ座る。カウンターの向こうには店主らしき四十代くらいの太った男性が笑顔で二人を出迎えてくれた。

 彼の後ろには酒瓶が所狭しと並べられていた。


「店主さん、この地方のおススメ料理があればいただけますか?」


「あいよ。兄さんは日本の方かい?」


「はい。日本から来ました」


「そうかそうか。日本人には世話になってるからな。待ってろ」


 店主は得意げにそう言ってから、鍋を温め始めた。出て来たのは暖かい新鮮な魚とカニがふんだんに入った煮込み料理だった。

 コトンとカウンターに置かれた深皿からは何とも言えぬいい香りが漂い、藍人の鼻孔をくすぐる。


「いい匂いだ……」


 藍人のつい口を出た言葉に店主は笑顔で「そうかそうか」と呟く。


「本当はウオッカを勧めたいんだがね。お前さんらは仕事中だろ?」


「こちらでもウオッカを作っているんですか?」


「ああ。ロシア公国になって一番に造り始めたたのはウオッカだと言っても過言じゃねえ。ウオッカは俺達の魂だからな」


 なるほど。ロシア公国の人が愛してやまないウオッカを輸入するのもいいかもしれない。興味が出て来た藍人は店主にウオッカについて質問することにした。


「木村さん。これは仕事です。仕事ですからウオッカを飲みませんか?」


 藍人は通訳――木村へ飲酒を持ちかけると、彼も「仕方ないですねえ」と言いつつまんざらでもなさそうだった。これには店主も相当面白かったようで、腹を抱えて笑っている。


「店主さん。ロシア公国産のウオッカをいただけますか? できれば生産している会社も教えて欲しいんですけど」


「任せとけ。とっておきのウオッカを紹介してやるぜ。日本の人は俺達の自慢のウオッカを飲んだら驚くに違いない!」


 店主は自信たっぷりに、薄緑色の瓶に入ったウオッカをコップに注ぎ藍人達に差し出した。



――磯銀新聞

 どうも! 日本、いや世界で一番軽いノリの磯銀新聞だぜ! 今回も執筆は編集の叶健太郎。え? 新人の池田君はどうしたんだって? どうも作家としてデビューするとか何とか。ん? 俺より立派になったって?

 おいおい。職業に貴賤はねえんだ。俺は俺で全力を尽くす。池田君は池田君で全力を尽くす。そこに上下は無いんだぜ。ん。他に記者はいないのかだって? そらいるさ。たまには違う記者に書かせろだと? 書かせてもいいけど、俺以上の人材はそうは居ねえぞ。

 御託はいいからだとお。ま、まあいい。じゃあ。違う記者に書いてもらうよ。後悔するなよ。


 先日、日本は友好国と経済協定を締結したわけだが、新しく関税の協議を行い次々と締結していっている。関税協定を結んだ国はロシア公国・ドイツ・オーストリア連邦・トルコ・ナジュドの五か国で全て日本との二か国間条約になる。

 ドイツとオーストリア連邦間でも同じような関税協定が結ばれた。

 関税協定と一口に言っても様々だけど、簡単かつ簡潔に言うとだな。関税を軽減してもいいよって品目をお互いに指定して関税を引き下げる。だいたいこれまでの半分くらいに設定することが多かったな。

 各国、もちろん日本もだが、国内産業で外国の安い品物が入ると困る分野ってのがあるから、それを避けることも可能なわけだ。

 今回の協議の目玉はもう一つあるんだ。それは通貨の事になる。


 日本は欧州大戦でロンドンが燃えてから金本位制を停止している。政府の発表によると金本位制に復帰する予定は今のところないって話だ。金本位制に戻ってないんだが、日本の通貨相場は非常に安定している。円の価値は落ちて来るどころかむしろ円高が少し進んでいるくらいだよ。

 だから、通貨を安定させるために金本位制へ早急に復帰する必要もないってわけか。今金本位制に復帰したらインフレがドカーンときそうだしなあ。物が高くなるのは勘弁して欲しいよ。あ、俺の給与がその分上がれば全く問題無いんだだけど! いや、上がらないよなあ。


 話がそれてしまったな。ともかく日本の通貨は現在安定しているわけだ。しかし、欧州大戦で疲弊したドイツ・オーストリア連邦はようやく経済が軌道に乗り始めたばかりで、資金的にも金本位制への復帰は難しい。

 そこで日本との協議の結果円ペック制を採用することになった。日本は緊急時に通貨を融通する通貨スワップを提案したんだけど、独墺二か国は円ペック制を求めたということだ。

 円ペック制ってなんだっていうと、ドイツを例にするとドイツマルクと円の交換比率を決めて、二年間はその交換比率の固定相場となる。二年ごとに交換比率が適正か協議を行い修正していくって感じだ。


 日本円もドイツマルクも金本位制ではなく、管理通貨制だから通貨価値は変動相場になる。変動相場の場合、国の経済次第では自国通貨の価値が乱高下し経済をパニックに陥れる可能性がある。

 ようやく復興し始めたドイツにとって、通貨を安定させる恩恵は計り知れないわけだ。そこで円ペックを採用することで、円の信用を得ることができるってわけだ。

 もちろん問題点もあるぞ。円が崩壊したら、ドイツマルクも共倒れする。円と固定相場なわけだから、当然と言えば当然なんだが……


 そういったデメリットもあるから日本は緊急時に円を融通する案――通貨スワップを提案したわけだが、この場合あくまで自国通貨を安定させなければならなくなる。もちろん緊急時の対策はあるにはあるが。

 両者のリスクを比べた結果、ドイツもオーストリア連邦も円ペックを選択したってことだ。


 同じようにトルコ・ロシア公国も円ペックを採用した。ナジュドに至っては、自国通貨に円を使用したいと提案してきたが制度上難しいのでナジュド円って通貨を採用することになった。

 日本と日本の友好国の動きに対して、アメリカをはじめとした列強は特に興味を示してなかった。アメリカ・ソ連は中華民国を凝視してるし、イギリス・フランスは自国の植民地に手を焼いてるみたいだ。イタリアはローマ教皇庁との緊張緩和が成されてほっとしているところかな。

 さて、これでますます経済活動が活発になってくれることを祈るぜ。

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