第119話 祈雨
淳和帝即位の翌年、元号が弘仁から天長に改まったこの年の正月(824年2月)。
昨年末から期待していた降雨も降雪も極端に少なく、畿内をはじめとする日の本じゅうが渇いていた。
いわゆる春の
そういやあ、と都びとの目にも生活用水である桂川、宇治川の水位もいくぶん下がったように見える。この頃井戸の水位も目減りしてきたような…
穏やかな
この時代、天変地異など人の手に終えない事象が起こると人は決まって神仏などの目に見えないもののせいにしてきた。
都のあちこちの社では神職たちが祈雨の祝詞を上げて陰陽師たちが雨乞いをしているが一向に雨は降らない。
「まさか…あたしたちこのまま干からびて死 んじまうってことは無いだろうね?」
とうとう煮炊きの水を節約し始めた庶民の妻たちまでもが不安を隠せず井戸端で囁き合う程水不足は深刻だったのである。
昔、ある貴人の子息が縁故を訪ねて都の郊外まで馬を走らせた。
目指す人物はここ一帯の田園地帯を潤す井戸を覗き込んでいる老人で、
「お
と
「あと
と不吉な予言をしたちょうどその時である。
「
と馬上から声を掛けて来たのは年の頃十四、五才位の貴族の少年で彼が自ら馬から降りる動作や老人を見つめる顔つきには匂い立つような気品が漂っている。
老人と三人の
「は、いかにも我が名は
と名乗った。老人に対して少年は目を潤ませ彼の手を取り、
「私の名は
と嵯峨上皇の皇子で今をときめく源氏の若頭領は土埃で顔も直垂も煤けた老人に辺り構わず抱きついた。
信の衣から立ち上る
今は右大臣となった藤原冬嗣の斡旋で嵯峨帝の皇子を産んだある宮女を養女にした出来事を思い出した。
むろんこれは信の母である明鏡の後宮での立場を明確にする為の書類の上での養子縁組であった。
「もし、だ…将来万が一皇子さまにお会いする機会があったとしても実の祖父と言い張り真実を隠し通せ」
解ったか?と最後に元々鋭い目つきをさらに強めて無意識に凄んだ冬嗣の顔を思い出し、
こりゃ本当のこと言えんなあ。
と嘆息するしか無かった…
「私は四才の頃に
後見の藤原北家は大事にしてくれるけどやっぱり主従関係みたいなよそよそしさがあって…
だからこうしておじじ様と並んで座っているのが嬉しいのです」
とそこで信は言葉を切り、うふふ…と笑うと従者に命じて持参した箱の蓋を開けさせた。
「これは差し入れです。さあさあ皆さん方遠慮無くお食べ下さい」
竹の箱の中で輝く白米の握り飯を見せられ、弟名をはじめ職人達はごくり、と生唾を飲んでなかなか手が動かない。
「どうしたのです?さあ」
と信が勧めると弟名は「我はことしで
と差し出された握り飯を推し戴いて少しずつ齧り、旨い、白飯とはこんなに旨いものだったか…と一口噛み締めて飲み込む度に呟く。
「どういうことなのです?」
訝しむ信に答えたのは二十を少し過ぎた位の弟名の弟子。
「貴人の方々にとって白飯は当たり前かもしれませんがねえ、我々庶民が口にするのは
そうだよ!と四十過ぎの弟子の男が「昔っから『春の
ちくしょう!我々がこうして都じゅうの井戸を点検してお役人に報告しているのにお上は悠長過ぎやしないか!?
と文句をたれたが握り飯に一口かぶりつくと「う、うめえよなあ…」と言って涙をこぼした。
ここに来るまで全く知らなかった民の暮らしが信の目の前にあった。
今まで父上皇に可愛がられ、特に
子供の頃から両親と離されずっと寂しい、と思ってきた自分が今は恥ずかしい。
源氏の頭領として私にもすべき事があるのではないのか?
源信十五才、祖父弟名との対面は人生で初めて政治に真摯に向き合う機会となった。
地方から雑穀の不作の報告が次々と上がり…
天長元年二月(824年3月)
「神泉苑の泉の水位が下がりはじめております」
と蒼白になった神官からの報告を受けた淳和帝はとうとう決断し、都に居る官寺の僧侶たちを御前に集めて
「これより神泉苑での祈雨修法を命ずる」
と勅を下された。
おお…空海阿闍梨の
阿闍梨の祈祷なら安心だ、我々にも
空海による
干魃による大飢饉が起こり事態を重く見た嵯峨帝は空海の勧めにより一字三礼の誠を尽くして般若心経を浄書し、その間皇后橘嘉智子は薬師三尊像を金泥で浄書した。
当時立后したばかりの嘉智子のために帝が新築した嵯峨野の山荘にあるお堂で空海が五大明王に祈願すると間もなく激しい降雨が起こり干魃は解消された。
この事をきっかけに天変地異が起こると嵯峨帝が空海に依頼し、空海の修法が行われること…
弘仁年間で実に四十一回。
この時代、空海が天変地異を納める事は既に国家の恒例行事でもあったのだ。
だが次に帝が発せられたお言葉は、
「朝廷の禁苑である神泉苑で修法が行われるのは実に初めてのこと…従って最も位の高い僧侶である西寺の
という意外なものであった。
修円は空海より二つ年上の法相宗の僧侶で若い頃から生前の最澄とも親交深くしていた。
延暦二十四年、唐留学から帰った最澄から灌頂を受けたのを機に深く密教を学び始めた。
空海が東寺を下賜されたのと同時期に彼も西寺別当の任に就き、天智帝以降の歴代天皇のとその両親の法事である
「禁苑初の大役任されたこと有り難きしあわせ。この修円必ずや結願致し天下に慈雨を降らせましょう」
と帝の御前で畏まってはみたものの…
な、何で空海阿闍梨ではなくわしなんや!?
確かにわしは桓武帝に頼られ過ぎて慣れない修法で苦しむ最澄和尚を
これからは
後に帰国なさった空海阿闍梨に教えを乞うて実行を深めては来たが、阿闍梨みたいに修法行えば必ず結願させて国中に雨を降らせる強い法力を得た自覚も自信も…無い。
「どないしましょう?阿闍梨」
その日の深夜、東寺の近くにある空海が指定した家で二人の国家鎮護の僧は落ち合い、不安と重圧で顔に大汗をかいて震える修円に向かって
「わしの経験ですが結願日に降らなかったらあと二日猶予が戴けます。道心深い修円さまなら大丈夫。まずは半月、全身全霊で祈祷する事です」
と手を取って励ました。
翌早朝、神泉苑の泉の前で修円による雨乞いの御修法が始まったが、半月経っても雨は降らなかった。
空海の言葉通りにあと二日猶予を頂き、結願日である十七日目にぱらぱら、と大粒の雨が降った。
「
と触れ回る都びともあり、国家の祈願である神泉苑での儀式はこの十七日の間で
東密(真言密教)の空海阿闍梨が勝つか
それとも
台密の修円が勝ってしまうのか?
という二人の高僧の呪術比べにすり代わってしまっていた。
中には二人の対決を不埒にも賭けの対象にする者まで居て都の見えないところで多くの金銭が動いた。
修円の結願日に降ったそれは俄か雨で半日足らず都を潤しただけだった。
「とにもかくにもお前は雨を降らせたのだ。明日から空海に交替してゆっくり休め」
という淳和帝からのお言葉を頂き西寺に帰った修円は精根尽き果て床に臥すとそのまま気絶した。
神泉苑の泉の前に壇と法具を揃え、
「これは唐の不空三蔵、恵果阿闍梨から代々続く決して見られてはならぬ秘密の修法なので」と四方を白い幕で隠された空海による御修法が始まった。
幕の周囲を空海の弟である
二月だというのに真夏のようなぎらぎらした日射しが神泉苑の泉を照らして、貴族や役人たちは日中の務めが一段落すると居ても経っても居られず神泉苑に赴き、修法の様子を固唾を飲んで見守った。
その中には源氏の若頭領、源信の姿もあった。
長いこの世の歴史で雨が絶えた事などありませんよ、信さま。
天からの慈雨はいつか必ず降ります。
神仏への祈願が叶った叶わなかった、と感謝したり不平をこぼしたりするのは自然の
それでは信心以前の話ではないか、と思われましょうがねえ…
信じる。
という事をやめてしまうと人は生きる力を徐々に失っていく生き物なのです。
という祖父、広井弟名の言葉を思い出し、信も懐の数珠を合わせた両手に掛けて祈った。
そして七日目の昼にそれは起こった。
都の北東の方からやって来た黒い雲がみるみる空を覆い尽くし、
途端に滝のような激しく雨が大地に打ち付けた。
見ろ!空海阿闍梨が竜王を召還して国を救って下さったぞ!
ずぶ濡れになった貴族たちは顔を見上げて見つけたもの同士、日頃の出世争いなど忘れて抱き合って歓喜した。
信も隣に居た幼馴染、藤原氏宗(葛野麻呂の息子で和気清麻呂の孫)と抱き合い、頬を伝うものが涙なのか雨なのかも解らなくなる位喜びと感謝で心溢れていた。
皆が喜ぶ中で一人、小野篁だけは結願を終えてひとり幕から出てくる空海の姿が…
とても、寂しそうに見えた。
実は篁、神泉苑に入る前の空海から「
愛宕山を監視していた真言僧が狼煙を確認するとすぐに神泉苑に駆けつけ、その日の修法を終えた空海に「愛宕山に雲が上りました」と報告した。
空海の祈祷が必ず功を奏した理由の一つ。
それは西国の果て(五島列島)から日の本じゅうを旅して来た空海が気付いた
愛宕山に厚い黒雲が上がったら二日以内に激しい雨が降る。
という今でいう気象予測だったのだ。
淳和帝が空海よりに先に修円に修法を命じたのは雨雲が来るまでの時間稼ぎであり、干魃による水と食糧の不足という非常事態を修円と空海の術比べにすり替えたのは、
民の怨嗟の矛先反らす為の嵯峨上皇の策であった。
空海が術比べに勝利した。
という既成事実が出来上がれば嵯峨朝から重く用いられてきた空海に嫉妬し始めた陰陽師たちや神官、そして開祖最澄亡き後真言宗への毀誉損得が激しくなった天台僧に制肘を加える事が出来る。
そんなお上の思惑の結果、
修円と天台密教が著しく評判を落とし、民は不平不満を術比べに向けることで思考回路をすり替え、
わしが竜王を呼びて国中に雨を降せた。
と云うことに成ってしまうのだろう。
頭頂に痛い位に叩き付ける雨に打たれる空海は、
これは天がわしに、
心を入れ替えよ。
と叱咤して下さる灌頂の雨かもしれない。
と思い直し、齢五十過ぎて心に沸き上がるようになった暗い思いを洗い流してもらうように
雨は日の本中に三日三晩降り続け、この日の神泉苑での結願は今昔物語を始め永く伝えられる伝説となる。
その後、
源信は祖父広井弟名を定期的に訪ねるようになり、
職人の祖父と賜姓皇族の孫という身分の垣根を越えた二人の交流は弟名の死まで親しく続いた。
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